2009年7月2日木曜日

13.「平等」

新聞の折り込みチラシを見てたら、「半夏生」というのが載っていた。夏至から数えて11日目だそうだ。蛸を食べるのだと。つまり蛸の売り出しだったわけだけれど、そういう暦もあるのだなあと思った。お題を出したのはそういう暦とは関係なかったんだけど。確かに一日一日の積み重ねで人生はできあがるわけだけど、1年というとなぜか長いような気がするし、ひと月だと短すぎる。半年ごとに振り返りつつ人生を歩むのもいいかもしれない。あんまり過去を振り返らないタイプなんだけど。

で、「平等」ですか。難しいなあ。何を書いていいのやら。
「平等」という言葉から一番最初に思いついたのは、フランス国旗だ。三色旗の青、白、赤はそれぞれ自由、平等、博愛を表している。というのをWikiで調べました。三つの色はアメリカ国旗の色にもなっている。
世界で初めて「革命」を成功させたフランスは、世界中のあこがれの的だったのかも。だから似たような国旗が世界中にあふれている。

平等が「白」というのは象徴的だなあ。何もないスタートライン。一番始めの、何もないところ。そこから始められる。そんな状況。
フランスではどうだったんだろう。歴史が苦手だったので(さらに「ベルサイユのばら」も見ていないので)実はフランス革命についてはあまり知らないんだけれど、平等を求めた民衆は、国中を平等にしようとして、平等から飛び出した人たちの首をちょん切ってしまったようだ。
そこまでして平等を求めるか。
今はそんなことをしたいと思う人は居ないだろう。

今の日本は自由と平等がある程度保障されているので、実に住みやすい国になっていると思う。もちろんいろんな矛盾はあるけれど。何もかもが平等かといえばそんなことはない。生まれや育ちによっていろいろだ。ある程度の差はしかし、仕方ないだろうと思う。

誰にでも個人差はあるから、何もかも平等というのは難しいだろう。
でもあきらめてしまうのも癪にさわる。
だから、「これは譲れない」という線を、いろんなところにひいているような気がする。
どんな「平等のライン」があるだろう。

法律上のライン
仕事上のライン
勉強のライン
遊びのライン

その時々でラインは変わってくると思う。どれを平等と思うかも。

「公平に」ということなら、もうちょっといろいろあるなあ。
一番公平に物事をすすめようとするのは、子どものころの遊びの時だったかもしれない。
僕は運動神経は全くないし、近所でも一番ちびだったので(大阪弁で言う「ごまめ」だ)、一緒に遊んでくれる子どもたち(僕から見たらおにいさん、おねえさんたち)は、きっと気を使ったことだろう。一緒に遊ぶのには手こずるけれど、放ってもおけない。やっかいな存在だったに違いない。

小学校のころ、公園でソフトボールをするとなると、チーム分けをしなければならない。同級生でのチーム分けは、なかなか公平な方法でやっていたなあ。
まずクラスの主力選手(運動神経のいいヤツ)が二人出てきて、ジャンケンをする(大阪弁では、いんじゃん)。そして勝った方から順に、クラスの中から気に入ったヤツを自分のチームに入れる。ひとりずつ選んだところで再びいんじゃん。また勝った方が好きな人材を確保する。そうやって一回のいんじゃんで二人ずつをとっていく。当然、それぞれが力のあるヤツからチームにとっていくから、両チームの戦力はいつもほぼ同程度となる。もちろん僕は最後の方まで選ばれずに残るのだけれど。そして最後にひとりだけ残るとなると、両キャプテンがチームに入れたがっているのかどうか、ということが気なったりしたもんだけど。
なんだかプロ野球のドラフトみたいだけれど、そうしないとゲームは面白いものにならない。
うまいやり方を、子どもながらに身につけていたのだなあ。


はじめ、「平等」というタイトルから思いついた言葉を書き連ねていったら、なにか堅苦しくて、きれい事を装ったようなものになってしまって、自分でもさっぱり面白くなかった。倫理的に立派な人間であろうなんて、全く思ってもいないのに、言葉にし出すとそういう「立派な」ことしか書けなくなってしまう。
「平等」というのは美しい言葉だけれど、そういう危うさも含んでいるなあ。美しい、正しいことがらゆえに、否定できない、批判できない。多くの人がそれが正しいと思っていることに、反論するのは難しい。反論する気はないけどね。正しいことだし、いいことだと思うし。
でも、当然と思われるきれいごとを並べるのは、なんだか恥ずかしい。なにも斜に構えるわけじゃないけれど、ちょっと別なことを書きたかったなあ。


梅雨が本格的になっているのか、各地で大雨、災害も出ているようです。こんな時に思いつくもの。
次のお題は「洗濯物」でいきましょう。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

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