2009年8月24日月曜日

31.「おばちゃん」

「おばちゃん」と聞いてまず思い出すのは、「おばちゃんのブルース」です。笑福亭仁鶴さんの大ヒット曲。ローカルヒットやったかもしれんけど。当時出演していた「ヤング・オー!オー!」でよく歌ってはりました。当時、仁鶴さんはいろんな番組の司会とかでも引っ張りだこで、絶大な人気を(関西では)誇っていたので、大ヒットもありかも、という気がします。今聞いても、なかなか泣かせる曲です。
当時子供だった僕も、この曲を聴いて「世の中には見えないところで頑張って働いているおばちゃんがいっぱいいてるんや」と教えられた思いがあります。そういう人たちに支えられて、世の中は動いている。その思いは今につながっています。ちょっと気取った言い方やけど。

一般に「大阪のおばちゃん」というと、元気があってどぎつくてがめつくて、生命力にあふれていて、声が大きくてうるさくて、がめつい、ずうずうしい、なれなれしい、etc. と言われるけれど、全部が全部そんな人ばかりではありません。だいたい「大阪の」でくくってしまうのもどうかと思うし。よく言われるのが「大阪では電車に乗る時に、降りる人を待たないで乗り込む」というのがあるけれど、僕の経験から言うと東京でもドアが開いた途端に乗ってくる人が結構います。地域性というのはあるかもしれないけれど、それでくくられるのはどうかなあ。
話がそれそうになるけれど、まあ百歩譲って(50歩ぐらいでいいかもしれないけれど)、大阪のおばちゃんは上記に挙げたような人ばかりではありません。
遠慮深い人は遠慮深いし、静かにしゃべる人も結構います。ただ、そういう人は人前で目立たないので分からないだけ。大声でしゃべる人は人前で目立つし、そういうひとのしゃべってる内容はたいがいが面白いものやし。あ、しゃべってることが面白いというのは、あるかもしれないなあ。どこかで話の落ちをつけないと気が済まないところはあります。確かに。でもこれはおばちゃんに限らず、大阪人の特性でもあるけどね。

となると、「大阪のおばちゃん」とはなんぞや、ということになって、ますます難しいことになりますね。弱ったな。話題を変えよう。

「おばちゃん」と呼ぶ時は、たいがいの場合は親しみを込めた響きがありますな。これと対照的なのは「おばはん」。こちらはちょっと剣があるというか、いやなやつを呼ぶ時の呼び方ですな。
「ちょっと、おばちゃん」というと、柔らかく呼びかけるような響きがあるけれど、「ちょっと、おばはん」と言うと「そこ、どいてんか」と続けてしまうような、ややけんか腰ともいえる響きになってしまいます。まあ、「おばはん」と言うことはほとんどありませんが。ときどき「おばちゃん」と言いつつ後者の響きになる時もあるので、要注意。何を注意するんだか。

ぶたこの話に出てきた番組の、ふたりぐみのおばちゃんは、ほんまにパワフルで頼りになりそうな人たちでした。そうそう、大阪のおばちゃんのもうひとつの特徴は、「誰にも臆することがない」つまり誰に対してもヘイコラしないし、かといってえらそうにもしない、つまりは誰とでも対等になるってところかなあ。この番組の二人組の最大の共通項ではなかったかしらん。「人なつっこい」というのと通じるところがあるねんけど。誰とでも普通にしゃべる。
自身が「おばちゃん」であることを理解すると、自分より若い子は「にいちゃん」「ねえちゃん」であり、同年輩なら「奥さん」であったり「あんた」であったりするし、自分より年配なら「おとうさん」「おかあさん」であったりする。もちろん血のつながりなんか関係ない。おばちゃんにとっては「人類みなきょうだい家族」なのですな。

これは強い。なにより家族であるからして、同じ家族の利益を考えないわけはない。家族であるからして、家族の安全を第一に考えて当然である。家族であるからして、守ってもらって当然である。

そういう「家族の一員」であることを、おばちゃんのまわりの人間は認識しないといけません。そしてその家族の要には、きっちりとおばちゃん自身が座っているのでありますな。
というわけで、誰もおばちゃんには逆らえないわけです。逆らってはいけないのです。おばちゃんが3人、横並びで道をふさいで歩いていたとしても、迷惑がってはいけないのです。そこは「家族であるみんなが使う道を、家族の一員であるおばちゃんが通っている」だけなので、それをどうこう言う権利は誰にもないのです。歩道を全速力でママチャリで駆け抜けていっても、迷惑がってはいけないのです。道を譲るのが家族の一員の正しいありかたです。

だんだん卑屈になってくる自分が、哀れに思えてくるのでこのへんで。
では次のお題にいきましょう。
わたくしが「おばちゃん」と並んで、この世の最強生物と思っている(おばちゃんと覇権を争ってるに違いない。われわれ男子の知らない世界で)、「女子高生」です。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年8月22日土曜日

30. 「三味線」

さて、たこぶとの往復エッセイです。
今回のお題は「三味線」。

最近の私はどっちかっていうと洋風の音楽に関わりが深い生活なのですが、子供の頃は、けっこう和風な習い事をたくさんしていました。10歳まで離れて暮らしていた母が、一緒に住み始めてからも商売で家にいないことが多く、夕方早くから夜中まで帰ってこなかったので、一人でいる寂しさをうめるためにも、外の世界との関わりを持つためにも、習い事をしなさいとすすめてくれました。今から考えると、そんな費用も捻出してくれていたんだなと感謝ですね。

小学校高学年の頃は、なぜか、お茶、お花、三味線・小唄を習っていたのです。これって、小学生にしたら珍しいですよね。お茶とお花は、二軒お隣の運送屋さんの奥さんが先生をしていて、運送屋さんの二階に教室がありました。すぐ近くということもあって、ここに数年通っていた覚えがあります。といっても、そんなに真剣な習い事って感じではなく、毎回出てくるお饅頭が楽しみで、お抹茶も大好きで、そのお茶の合間にお花も生ける・・・みたいな感じかなぁ。たぶん、週に一度通ってたと思います。

三味線と小唄は、母親と一緒に通ってた覚えがあるけど、これはあんまり長続きしなかったような。家に三味線もありましたねー。母は仕事に必要というか、習っておきたいと思っていたらしく、あんたも一緒に習ったらどう?と連れていってくれました。1年は続かなかったんじゃないかなー。その後小学校の終わりから中学にかけての二年ぐらいは日本舞踊も習っていたので、ほんと、この頃は和風に傾いてました。今から思うと、もっとちゃんと続けていれば、今ごろ、使い物になったのになーって。っていうか、英語を学び出して、海外に友人もできると、逆にこういう和風の趣味がちゃんとあるといいなってあこがれるのです。外国の友人に教えてあげたい、見せてあげたいって。これから先の人生で、いつかまた習う機会があるといいのになぁ。自分で習うとなると、他にやりたいことに優先して費用をかける・・・・というのが、なかなか難しいんですね、これが。どうしても必要なことではないし。でも、いつも、何か新しい習い事を・・・と思うたびに、日本舞踊はまたやってみたいなぁ・・と思うことの一つです。

こういう習い事がまったく役に立たなかったかというと、そうでもなくて、前にも書いたけど、今でも時々日本舞踊の会のアナウンスの仕事を頼まれるのは、アナウンスができて、その上で、ああいう日本の音楽や踊りを少しは知っているということが理由なのかもしれないと思います。わかってくれている人がやってほしい・・・と主催者側は思われるようで。少しかじっただけでも、まったく知らないよりマシですもんね。人生、どんな小さな経験でも、邪魔にはならない、後で役に立つこともあるってことですね。


さて、話は戻って三味線。
多分、今、目の前に出されても、全然弾けません(^oo^;) 自慢ぢゃないけどっ。
覚えてるのは、調子に、本調子、二上がり、三下がりっていう種類があったなぁ・・・とか。楽譜は、数字譜やったなぁ・・・とか。三本ある弦がそのまま三線紙になっていて、おさえる弦のところに数字が書いてある。でも、音符の長さは分からん。長さは、お師匠さんから口伝えで教わって、それを覚えるんですね。バチの使い方も難しかったなー。あと、口三味線の言い方。「チリ」というと、左手の弦を押さえる指で、「り」のときに弾くとか。「シャン」となると、複数の弦を一度に弾きおろす音やったかなーとか。そのカナによって、奏法が現れていたって記憶です。流派は、里園流だった気がする。お師匠さん、お元気かなぁ。あの頃もう「おばあちゃん」って感じやったけど(^oo^;)

お琴や三味線や篠笛や尺八・・・。自分が日本人であるわけだから、こういう和風の楽器を一つぐらいできるといいですよね。楽器を買わなくても習えるところがあったら、これもまた、いつかやってみたい楽器かなぁ。

この機会にと、Wikipediaで三味線を調べてみました。
三味線の皮は、ネコからできているとどこかで聞いたことがあったけど、私は、実は信じてませんでした。あるいは、「上等なのだけはそうかもしれんけど、お稽古用とか、普通の人が使うのは、何か人工のに違いない」と思い込んでました。でも、今、これを読むと、えーーー「一般に」ネコを使用していたのー? ネコの腹だって(;oo;)怖いよー(;oo;)(;oo;) でもって、最近は材料不足のおりから、犬の皮が使われているとか。もっと怖いかも・・・・。知らんかったー。今や、ネコを愛する私たち、ネコの家族がいる我が家なので、それを考えると、前言撤回、やっぱり三味線は習いたくないよーって思ってしまいました(;oo;)

楽器って、バイオリンの弓とかも馬の毛だったり、動物を使っていることが多いんですよね。それって、複雑だなー。でもまだ「毛」ならいい。だって死ななくても毛ならもらえそうな気がするから。ネコの腹の皮・・と聞いたら、ものすご怖いよーと思ってしまいます。

あー、ここからどこにも話が進められなくなってしまった(^oo^;)

ネコが出てきたところで、わが家のもう一つの心配ごと。
この春の終わり、我が家のネコ、ぶーこが天国にいったのですが、実は、残った二匹のうち、ガラくんも最近元気がないのです。夏バテかなぁとも思ってたけど、どうやら違うみたい。食べなくなり、水もあまり飲まなくなり、げっそりやせてきて、じゃれてこなくなり、寝ていることが多くなり、ゴロゴロしたり、ニャアニャアと可愛い泣き声もあげなくなり・・・・。獣医さんに相談して、部屋を涼しくしたり、新鮮な水をと色々してみたけど、あまり変わらない。この週末、先生のところに連れて行ってみてもらおうと思っています。ぶーこが逝ってしまってまだ日が浅いというのに、ガラも・・・というのはつらすぎるし、がんばってこの夏を乗り切って、また涼しくなったら元気になってくれないかなーというのが、私たちの願いです。


三味線からこんなところにいってしまったわ(^oo^;)


さて、次のお題のリクエスト、何にしようかなー。
そうそう、昨日ね、テレビ東京で10時からやってた番組、見た方おられます? 三林京子さんと元かしまし娘の庄司照江さんが主役で、実在する大阪のおばちゃんを演じてはりました。大阪市の財政のムダを徹底的に指摘するおばちゃんオンブズマンの話。これが、ものすご痛快でしてん。しかも、その再現ドラマ、脇役に至るまで全ての人が、カンペキな関西弁をしゃべってた。こういうパターンのドラマって、関西弁が不自然で、内容よりもそれが気になってしまうものなんだけど、昨日のは、ほんまその点でも気持ちよかった。主役の演じっぷりも見事で、シリーズ化して、二時間ドラマになれへんかなって思ったぐらい。あの家政婦シリーズみたいに。で、これは実際にあった話なので、ホンモノのその二人のおばちゃんも出演してはったけど、そのお二人のキャラがまた素晴らしい! 大阪のおばちゃん万歳!って思いました。再放送とかないかなぁ。


ってことで、次のお題ね、「おばちゃん」にします。
たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年8月15日土曜日

29.「あんこ」

大好物です、あんこ。あんこには「こしあん」と「つぶあん」があるけれど、どちらかというと「つぶあん」が好きです。人によってはあのつぶつぶが苦手という人もいるらしいですが、あのつぶにはあんこのエキスというか、あんこの元がぎっしりつまっているようなイメージがあって(そんなことはないのだろうけれど)、とても好きです。

大阪であんこというと「回転焼き」と「おはぎ」ですな。回転焼きというのは関西弁かなあ。関東地方では今川焼きともいうらしい。というのは子供のころ読んだマンガで知った。
近所の商店街には回転焼きやさんがあって、よくおやつというかお土産に(近所の商店街のお土産というのもおかしいけれど)買ってもらったなあ。同じ店では、夏場になるとアイスコーヒーも売っていて、店先でガラスのコップになみなみとつがれたのが出てきてその場で飲むんだけど、これが関西風に言うと「キンキンに」冷えていて、とてもおいしかった。

大阪には「御座候」という(大阪じゃないかも。本店は姫路らしい)回転焼きの老舗があって、時々買います。(今調べたら、「回転焼き」という言い方はしないのですね。商品名は「御座候」なのですと)
昔、商店街で買ったのと比べると、断然皮が薄いですね。商店街の回転焼きは皮(生地というのかなあ)がとても分厚かった。まあ、生地も含めて「回転焼き」ということなんでしょうけど。食べる方の目的は何といっても中のあんこなので、やはり皮は薄い方がよろしい。書きながら唾がわいてくるわい。

「泳げたい焼き君」という歌があったけど、たい焼きは子供のころは一般的ではなかったなあ。テレビドラマで見るくらいで。たい焼きの中身があんこだというのも、ずっとあとで知ったかなあ。

あんこのもう一つの代表、おはぎですが、これが彼岸の食べ物だという印象はあんまりないなあ。まあ子供のころは、年の行事にそもそもあんまり興味がなかったということもあるけど。

そういえば、子供のころは家であんこを作っていたなあ。小豆を炊いて。詳しい作り方は知らないけれど、鍋に一杯の小豆を炊いていた覚えがある。それで時々、火にかけているのを忘れて焦がしてしまったり。そんなこともあったような。少々焦げてもかまわずにそれであんこを作って。そしたら、やや苦みのあるあんこができたりしてね。
記憶違いかもしれないけれど、やや焦げのついたあんこを食べた覚えがある。家であんこを作るというのは一般的だったのだろうか。それが彼岸の習慣だったのだろうか。

あんこそのものじゃないけれど、今だったらアイスクリームの「あずきバー」。なぜだかアイスクリームの中で、一番冷たいような気がする。あずきの力なのか。あんこの力なのか。硬くて冷たくて、というのは昔からあずきバーが一番だった。ときどき歯が立たないくらいに硬くて冷たくて、唇がアイスにくっついてしまったりとか。そんな経験ありませんか。

あんこを使ったたべものはまだまだある。あんドーナツにあんパン。最近の僕の好みはあんドーナツだけど、子供のころはあんパンしかなかったかな。なんか子供のころの話ばっかりになるけれど。そういえば、と今思い出したけど、子供のころは粒あんのあんパンよりこしあんのあんパンを好んで食べてたなあ。子供のころはつぶつぶがイヤだったのだろうか。まあ子供やから、柔らかいものを好むとういうのは分かるが。分かるって、自分のことやねんけど。
考えてみると、あんこは西洋のものじゃないよなあ。それと西洋のパン(あるいはドーナツ)と一緒にして、しかもおいしかったというのは、誰のアイデアだったんでしょう。思いついた人はエライ。


今日はお盆で、近所のお寺では河内音頭が流れている。太鼓と三味線とエレキギター。変わった取り合わせだけれど違和感がありませんな。三味線とエレキというのは、寄席番組で見慣れているからかもね。
では次のお題。「三味線」にしましょう。どないでしょうか。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年8月11日火曜日

28. 「豆腐」

こっちもほったらかしになってました。たこぶとの往復エッセイです。
たこぶから投げられた今回のお題は「豆腐」。豆腐かぁ。

豆腐といえば、「味がない」、「だから嫌い」というのが、子供の頃の私でした。
子供の頃、こういう微妙な味がまったく理解できず、コンニャク、豆腐、水炊きが嫌いでした。はっきりとした味、鍋物なら、すき焼きが大好きでした(って、しょっちゅう食べられるわけでもなかったのですが、とにかく甘辛ければ、豚肉でも鶏肉でもスキヤキと思っていた)

今思い出しても気持ち悪いのですが、昔、水炊きが夕食のメニューのとき、みんなはポン酢をつけて食べているのに、私だけなんと生卵をつけて食べていたのです(^oo^;) スキヤキのつもりになって、おいしいと思い込もうとしていたらしいけど、水炊きってそれでなくても味がないのに、それと生卵なんて、余計気持ち悪いやんっ。何でそんなことを思ったんでしょうね、私(^oo^;) コンニャクも嫌いやったなぁ。味ないもんって。ガンモドキとか、ああいう系統だめでした。

いつから好きになったんやろう、豆腐。大人になってからって思うけど、何歳ごろからか覚えてない。でも、今は、私もたこぶも豆腐は大好き。もちろん上等のおいしい豆腐も好きだけど(京都で食べる湯豆腐なんて最高だー)、別に安もんでもいいんです。いわゆる、充填豆腐ってんですか? ああいうのでも気軽に買ってきます。スーパーに行って、その日に売り出しになってるのをあんまり細かいこと気にせずに買います。時々、なんとか次郎とかいう、上等の豆腐が売り出しになってたら、思い切って買ってきたりして、「おー、やっぱり上等の豆腐は味が違うなー(^oo^)(^◎^)」と、ものすご幸せを感じつついただきます。これも、普段安もんの豆腐を食ってるからこそ、上等の素晴らしさが分かるのだ、だから普段の庶民な生活は意味があるのだと、自分たちに言い聞かせている部分もあります(^oo^;)

豆腐って、便利ですよね。生でも食べられるし、炒めて麻婆豆腐にもなるし、味噌汁に入れてもいいし、グラタンにもできるし、チクワやニンジンと一緒に炒り豆腐にして副菜にもなります。

アメリカでも豆腐はもう普通にスーパーで売ってました。ハウスが幅きかせてたなぁ。日本食スーパーにいかなくても、ブルックリンでもマンハッタンでも、シータウンや、アソシエートとかいう、日本でいうところのサティとかヨーカ堂やサンディみたいなスーパーでばりばり売ってました。一緒に住んでいたリサも豆腐大好き。特にNYでは、ベジタリアンの人が多くて、そんな人たちには豆腐は肉代わりにたんぱく質がとれるということもあって、欠かせないものみたいです。野菜と一緒に炒めるという食べ方が、リサんちではポピュラーでした。っていうか他の食べ方、あんまりしてなかったかも。私がカレースープを作って豆腐入れたら、おいしいおいしいと言って食べてくれたなぁ、あー懐かしい(●^oo^●)

日本食でいうと、豆腐や寿司は、NYの人たちは、日本人以上に頻繁に食べてるんじゃないのってぐらいでした。彼らにしてみたら、本場は日本なんだから、日本人はもっともっと頻繁に寿司を食べているんだろうと思っているらしいけど、寿司なんて特別なとき以外は食べないし、大体家で作らないもんっていうと、驚く人も多かったです。食べないよね(^oo^;)寿司。運動会とかひな祭りのときに、お母さんがチラシ寿司を作るとか、イナリ寿司を作るとかはあるか。それから最近だと家族で手巻き寿司とかあるのかな。我が家はそういうのなかったです。二人暮らしだったし。っていうか、母と二人で暮らしていた10歳から大人になる頃までも、食事はほとんど別々だったから、要するにいつも一人で食べていたし。それで手巻き寿司ってのもおかしいもんな。たこぶと暮らしてからも、二人で手巻き寿司ってのはやったことないです。何回か、チラシ寿司をインスタントのん買ってきて、作ったことあるぐらい。イナリ寿司は、もしかして作ったことないかも。あー、ダメダメ主婦なのがばれてしまう(^oo^;)

そうそう、お寿司といえば、たこぶ家を思い出します。お正月に家族が全員集まるとき、それとかたこぶの実家での法事のとき、出てくるのが決まって出前のにぎり寿司なのです。だから、にぎり寿司といえば、たこぶのご両親の味がするって感じ。今の私には。そんな私の人生の後半になって加わった新しい思い出、習慣、歴史ってのもええもんです。お盆には帰れないけど、今月末にお父さんとお母さんところに会いに行く予定。元気にしてはるかな。久しぶりに会えるの楽しみだ。


あら・・・・またまた豆腐から寿司まで、すっかりふらふらと横道にそれてしまったわん(^oo^;)いつものことか。

さて、次のお題は何にしようかなー。豆腐ときて、私が寿司に寄り道して、日本の味といえば、他に何があるやろう。「あんこ」これにしよう。魚のあんこうちゃいまっせ。小豆のあんこ、これです。

んじゃ、たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年8月5日水曜日

27.「雑草」

わが家の庭です。


たくましいなあ。「雑草魂」というと現オリオールズの上原が座右の銘にしていましたね。たくましさの象徴のように言われますな、雑草。確かに、そこら中に生えているよく分からない草草には力強さを感じます。

雑草という種類はないのですね。あたりまえやけど、庭に生えているわけではない、育てているわけではないのに生えてくる。丹誠込めて育てる草花もきれいですけどね。

地球は本当はそういう雑草に覆われている方が健康なのかもしれないなあと思います。「スターウォーズ」に出てくる、地表がすべて人工物で覆われた星。あれは怖かったなあ。でも昔々、そう大阪万博のころはそういう「未来都市」みたいなものに幻想があって、あこがれていたところもあったな。真鍋博というイラストレーターが描いた未来都市。高層ビルの間を突き抜ける高速道路、流線型の車、宇宙服のようなものを着た人々。そこにはなぜか自然のものは描かれてなかったなあ。今やったら受け入れられるかどうか。

さて、最初に紹介したうちの庭(無理やり「庭」と呼んでおきます)に生えている草草。それぞれに名前があるんでしょう。といっても自分たちでつけた名前ではなく(あたりまえ)、わたしら人間が都合上分類上つけた名前なんですけど。オオバコとかアザミとかは分かるんですが、そのほかのものはわかりません。一番繁殖しているこの丸い葉っぱは何という名前だろう。マメのような葉っぱだけれど。ツルになってないからマメじゃないなあ。葉っぱの下には小さなキノコもいっぱい生えてます。キノコといえば、かつてお風呂場で、ほっららかしにしていたボディブラシにキノコをはやしてしまったこともありましたな。そうやって、ズボラな生活をしていると雑草やらキノコやらに好かれるのかもしれませんね。

庭の雑草は今や最盛期。実は去年も(これほどではないにしても)たくさんの雑草が生えていたんですけど、冬になると一気にしぼんでしまって、ただの土くれだけの庭になってたんですね。やっぱりこんな小さな庭では何も育たないのだなあと思ってたんですけど、1年経つとまた復活。この「復活」するエネルギーもまた、雑草の雑草たるゆえんかなあ。
決して日当たりも良くない(北向きです)わが家の庭に生えている色々な草草(雑草と言わず、こう言っておこう)は、派手じゃないけどいい感じ。毎日眺めて喜んでます。はい。


しばらく更新をサボってましたな。すみません(_◎_)。時間が開いたわりには大したことも書けませんでしたが、ま、こんなもんでしょう。

うちの庭の草はマメではないと思いますが、マメといえば豆腐、ですな。
というわけで、次のお題は「豆腐」でお願います。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)