2009年6月30日火曜日

12. 「半年」

たこぶに書いてもらった鉛筆だけど、私も大人になってから、すっかり使わなくなっていたんですね。でも、NYで衝撃を受けたというとおおげさだけど、鉛筆がまだまだ市民権をしっかり守っていたこと。特に音楽の世界で。入った合唱団では、楽譜の書き込みはみーんな鉛筆だった。それもシャーペンじゃなくて、削る鉛筆。音楽事務所で働いていたときも、ワークショップの準備用品のなかには、しっかり鉛筆が入っていて、当然、鉛筆削りも。個人的にも向こうの文房具やさんで鉛筆や鉛筆削りを購入したぐらい。必要だから。小さな鉛筆削りを持ち歩いておくと、芯が折れても平気だし。

日本での合唱経験では、他の人は知らないけど、私は楽譜の書き込みはいきなり赤ペンや蛍光ペンでしてました。知る限り日本でもオーケストラの譜面とかだとレンタルの場合があるので、書き込みは鉛筆でして、あとで消して返却と聞いたことがあるけど、合唱の場合、基本的に楽譜は自分で買い取るし、あとで消す必要はないので、自然に赤ペンで書くようになったんだと思います。目立つしよく見えるし。

でも、向こうで、普通に鉛筆を使っているうちに、なんだか鉛筆に愛着がわいてきて・・・。最近通っている合唱団の練習にもしっかり鉛筆を持って行って書き込んでいます。この団の場合、練習指揮者と本番の指揮者が違うので、もしかしていいかもしれない。本番の指揮者が練習指揮者と違う指示をしても、簡単に消して書きなおせるし。鉛筆、案外いいのかもなーって思ってます。シャーペンは削る必要はないっていうけど、芯が途切れたときに、カチカチカチって何度もノックして、なかなか芯が出てこないときってあせるんですよね。だから結局テストのときとかには、何本も持たなくちゃいけない。ちなみにシャーペンの場合、私のこだわりは、0.3のBです。細いけど濃い。これがきれいに書ける。でも最近、シャーペン使ってないなぁ。鉛筆をせいぜい使ってやろう。赤鉛筆と青鉛筆が背中合わせでくっついているのとか、ゼンゼン使ってなかったし。使ってあげよう。


おっと、すっかり鉛筆話になってしまった。
だって次のお題、「半年」って(^oo^;) なにそれー(^oo^;)(^oo^;) モノの名前っていうより、観念やんなぁ。

半年ってどのぐらいの長さなんやろ。一ヶ月が六回。何日とは言えないのだな。その間にある一つ一つの一ヶ月が28日の場合もあれば31日の場合もあるから。だから、いってみたら、適当な長さ。だいたいやねー(って誰かこういうモノの言い方する人おったなー)。

今から半年前、私は何してたやろ。おー、年末かぁ。クリスマスも終わって、年越しも一人でするんかぁって、ブルックリンのアパートでそんなこと思ってたなぁ。

NYに行ったのが4月だけど、その半年後の10月ごろには、合唱団にいくつも入って、教会のオルガンもときどき弾いたり、歌のレッスンを受けたり、音楽学校で指揮のクラスを受講したり(単位はもらえないただの見学のようなもんやけど、とりあえずの参加)と、老人ホームでのボランティア以外に、1年の滞在でここまでさまざまな体験ができるとは、思ってもみなかった。4月に現地についた頃は、1年間まぢめに老人ホームでのボランティアをやり遂げて帰ることだけを考えてもんなぁ。もしかしたら、ホームのなかで歌をうたったり、ピアノを弾いたりすることが、「あるかも」しれんなぁって、かすかな可能性は想像してたかもしれんけど、ホームでの活動の外で、あそこまでいろんなことがあるとは、ほんまに想像もしてなかった。

で、もう半年さかのぼってみて。
4月の半年前のおととしの10月。私は、小さな小さな夢として心の底に「外国の老人ホームで働いてみたいなぁ」って持ってたけど、まさかかなうとは思ってなかった。これっぽっちも思ってなかったよ。一生のうちにかなうような夢じゃないと思ってた。できたらいいなぁというよりは、「ああ、もっと早くから英語勉強して、もっと若いうちにやっておけばできたかもしれんなぁ」ぐらいで、やっといたらよかったなぁと過去の自分に夢を語ってたような感じ。その私が半年後にはNYで老人ホームのボランティアを始めているわけやから、人生分かりませんね。

言いたいのは、半年という期間は、ときどき予測のつかないことが起きるぐらいの期間になりえるってことかな。それぐらいの未来になりえる。自分の人生、何が起きるか誰にも予想できないもんね。逆にいうと、あまり嬉しくない方向にがーんって変わってしまう可能性だってある。極端にいうと、もうこの世にいないことだってありえるわけやんね。

それから、もっというと、なぁーんもないってことも、これもよくある(^oo^;) ぼーっと暮らしていたら、知らん間に、半年たっとったってことは、しょっちゅーあります(^oo^;) 半年はたってないけど、私が帰国してから、もう二ヶ月半ですか。なぁんもしてない気がするもん(^oo^;) この約二倍もすると、もう半年やもんなぁ。何かしなくちゃ、何か始めなくちゃ、もっと勉強しなくちゃ・・・・と、一応はあせってみるも、たいして何もしてない間に、ぼっぼって、一ヶ月単位で過ぎていってる気がする。そして、もうすぐ私は一つ年をとってさえしまうのですな(^oo^;)

こうやって並べてみたら、すごく動きの激しい半年もあれば、ゼンゼン動きがないように見える半年もある。私、これ、どっちもええなぁって思うねんなぁ。過去を振り返ってみると、なぁんもしてなかったわーっていう、動きがない方の半年も、実は、モグラみたいに土の中でセッセセッセと働いて、自分の住まいを整えていたり、球根から芽が出て、それが土の上まで出てくるまでの期間だったり・・・。自分の中で気がついていないんだけど、苦しいことも、哀しいことも、ムダに見えることも、一人一人との出会いが、会話が、毎日目にしている景色や、耳にする音や、感動する心や、ケンカしてしまうすさんだ心でさえも、半年後にもしかしたら起こるステップの備えになっているのかもしれないって。その半年半年の積み重ねで、人生はできているのかもしれませんな(^oo^)


・・・・って、ちょっとこじつけかな(^oo^;)(^oo^;)

この「半分」っていう観念、適当で、ええ加減でよろしいな。考えてみたら。

・一ダースの半分は、半ダースで六個。
・一日の半分は半日。これが12時間かというと、時々は起きてる時間の半分ぐらいの観念だったりするから6時間ぐらいを示すこともあったり。
・半時間は30分。これも大体っていう感じで使うときが多い。
・一人前の半分は、半人前。これも一人前の丁度半分じゃなくて、一人前に満たない状態をからげて、半人前というたり。
・一世紀の半分は半世紀。おー50年かぁ。
・おまんじゅう、半分分けて、おせんべい半分分けて、牛乳半分飲ませて・・といっても、ほんまに正確に半分はかる人は見たことない。いつも適当で、愛情の度合いや、二人の関係によって、ちょっと割合が変わったりしますねんな。


半分。面白いね(^oo^)

半年から、半分になってしもたわ、たこぶ(^oo^;)

えっと、次のお題。ちょっと真面目モードにしようかなぁ。
うんとね、「平等」。これにしよ。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

11. 「鉛筆」

全身石鹸洗いのたこぶです。シャンプーも使わない。昔は、シャンプーを使わないと頭が臭くなると言われていたけれど、最近の石鹸は頭を洗っても臭くならないみたい。自分で臭うことはないけれど。石鹸の質も良くなったんだろう。石鹸本来の匂いが、今は気に入ってます。

先日、「田辺聖子文学館」に行った時のこと。昔の作品などの展示物の中に、自筆の原稿というのがいくつかあって、それがぜんぶ鉛筆書きだった。四角い升目が書かれた用紙に、鉛筆で書いているのだね。なんとなく、「自筆」というのは温かみがあるなあ、と思った。それと「鉛筆」っていうのがいいなあと思った。ほら、よく「文豪」と呼ばれる人は、パーカーか何かのふっとい万年筆で書いてるイメージがあって、あれって高級感があるなあなんて思ったりするんだけど。
それにくらべると「鉛筆」は、いかにも庶民のもののような気がする。田辺聖子さんのイメージどおりだなあ。

そう思って展示物を眺めていたら、中に「使い切った鉛筆」というのが箱にいっぱい詰まっているのが展示されていた。2Bだったかの鉛筆を、削って削って、5ミリぐらいになるまで使っているのだね。無駄がないというか。しぶちんというか。ますます「おせいどん」のファンになってしまったよ。

実生活では、鉛筆を使う機会はめっきり減ってしまった。小学校、中学、高校と、授業にはだいたい鉛筆を使っていたなあ。いや、高校になったらもうシャープ・ペンシル略してシャーペンになっていたかも。
なにしろ削る必要がない。いつでも細い線が引けるという点で、シャーペンの登場は衝撃的だった。出始めたころは高級品やったなあ。今は100円程度で買えるけど。

小学校のころはもちろん鉛筆。芯が折れたときのために、スペアで4,5本は筆箱に入っていたかも。たまに友達で、1ダースの鉛筆を筆箱いっぱいに詰め込んでいるヤツもいたけど。そんなに持ってどうするんだろう。よっぽど芯が折れた時、というのがこわかったのか、1ダース揃った鉛筆を見せびらかせたかったのかの、どちらかだろう。

そういえば、何年生かの進級の時、「記念に」といって名前入りの鉛筆を1ダースもらったことがあった。あれは親戚のおばさんだったか、家族の誰かからだったか。覚えてなくてすみません。
一本ずつに名前が彫り込んである。飴色の鉛筆に金文字。かっこよかったような恥ずかしかったような。ああいう「名入れ」は今でもあるんだろうか。

名前を自分で彫る、というのも一時期流行っていた。六角の一部分をナイフで削って、そこにマジックで名前を書くのだ。こうすれば人の鉛筆と紛れることがない。人の鉛筆と紛れて、だからどうなんだと今では思うけど。

変わった鉛筆もいろいろあった。アニメのキャラがデザインされたものは今でもあるなあ。どういうわけかそういう「色もの鉛筆」は、六角ではなく丸かったような覚えがあるなあ。変わったところで三角や四角形の鉛筆もあった。もっともそういう「変わり種」が出てきたのはずっと後の方だけど。そして、あんまり流行らなかったなあ。

鉛筆削りもいろいろあった。一番ポピュラーなのは、ハンドル式の手動鉛筆削りだろう。高級なものになると「削り具合」を調整することができるようなものもあって、ぴんぴんにとがらせて喜んでいたなあ。
電動の鉛筆削りもポピュラーだったけど、音がうるさかった。手動の鉛筆削りは、回しているハンドルに手応えがなくなることで削り終わりのタイミングが分かったけど、電動の鉛筆削りは、鉛筆を突っ込んでいる間は際限なく削り続けるので、なんとなくもったいない気がしたものだ。

手動の極地は、「肥後の守」などのナイフだ。鉛筆削り用に、カミソリの刃を差し替えるタイプのナイフもあった。子どもでもそれで鉛筆を削っていた。いい時代だ。ときどき手がすべって・・・・ということもあったけれど、痛みを伴ってこそ分かることもあるからね。
とはいえ、僕は4人きょうだいの末っ子ということもあって、そういう危ないことはすべて姉兄に頼っていた。削ってほしい時は頼めばいいのだ。きれいに削ってくれる。もちろん自分でもやろうと思うんだけど、どう頑張っても姉兄ほどにはうまく削れなかった。かえって悔しい思いをするだけで終わってしまうので、やっぱり姉兄に頼むことになる。

削り方をよく見ると、まずは角の部分をそぎ落としていき、それからナイフの背に親指を当ててしゅっしゅっと削っていくのである。芯が出てきて、ある程度先端が三角錐らしくなってきたら、最後の仕上げに芯の部分をしゃしゃしゃしゃしゃっととがらせてできあがり。いやあ、実に見事です。
もちろん、鉛筆削りを使う方が簡単で、きれいにできあがるんだけど、この方法を覚えておけば、思ったとおりの太さの芯を作り出すことができる。
というわけで、きっと今でも、美術やデザインで鉛筆を使う人は自分で削っているんだろうなあ。
田辺聖子さんも、あれだけ短くなるまで使うんだから、きっとナイフで(ひょっとしたら肥後の守で)しゃしゃしゃしゃしゃっと削ってるんだろうなあ。

鉛筆がシャーペンよりも温かみを感じるのは、周りを覆っている「木」のせいだろう。鉛筆を削った時のあの木の香り。それだけでなぜか心も落ち着くというものだ。木の香りには、心を落ち着かせる作用があるに違いない。
そういえば、鉛筆削りに溜まった削りかすの臭いを嗅ぐのが好きなヤツも居たなあ。僕も嫌いじゃないけど。なんとなく懐かしい気分になるのはなぜだろう。子どものころ使っていた記憶のせいか。いや、多分もともとの「木」の力なんだろう。

始めに書いたように、鉛筆を使う機会はすっかり減っている。おかげでわが家にある鉛筆はいつまでもなくならない。お尻に消しゴムのついたやつとか、タイガースの模様の入ったやつとか、いろんな鉛筆が引き出しにはいったまま。なんとなくもったいないような気がしている。ちょっとずつでも使ってやりたいなあ。おせいどんほど、使い切ることはできないかもしれないけれど。


だらだらと書いてみました。さて、次は何にしようかな。

6月も終わりに近づいているので、「半年」というのは、どうでしょう。

ではぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年6月29日月曜日

10. 「石鹸」

最近、お風呂で身体を洗うのにも、ボディシャンプーなるものを使う家庭も多くて、石鹸の存在って昔ほど大きくないのかもしれないですね。でも、わが家で「石鹸」の存在はかなりのもんです。

たこぶは、アトピっ子です。というか、でした・・ともいえるのかな。いいお医者さんを紹介していただいて自然に治療するというやり方を何年か続けたあと、ほとんど症状が出なくなり、今は病院に通うこともなくなりました。その先生のところに通いはじめた頃から、たこぶは純石鹸で身体のすべての部分を洗います。少しでも香料とかが混ざってたらいけないので、東急ハンズで混ざりものナシの純石鹸が安くなってるメッセのときに、いつもまとめ買いをするのが、わが家の慣習です。すべての部分というのは髪もです。私の中で、髪はシャンプーでしょうという固定観念があったので、へー髪も石鹸かぁと、最初は新鮮でした。でも、ずっと見ていて慣れてくると、いいなぁと思います。一つの石鹸で、頭のてっぺんから足の先まで全部洗えるんですもんね。旅に出かけるときも石鹸一つ持てばいいわけだし。シンプルな暮らしだなって思います。

今、髪の手入れも肌の手入れも、すごく複雑になってきてるなぁって思います。特に女性にとって。

髪にしても、シャンプー、リンスだけでなくて、コンディショナーと呼ばれるトリートメントする人が多いと思うし、白髪が増えると白髪染め。若くても真っ黒な人は少なくて、段階の差こそあれ茶系に染めている人がいっぱいいてっていうか、ほとんどの人が染めてるような気がするなぁ。私もときどきは染めてみようって思うときがあるけど、今は染めてないです。白髪もたくさん出てきた。鏡のなかにうつった自分をゆっくり眺めると、ときどきげっそりしたり(^oo^;) でもまっ、これが今の自分なんですもんね。これからも少しずつ白髪が増えてきて、素敵な銀髪になる、これもいいのかなって思います。洗うときも、シャンプー、リンスは使うけど、コンディショナーはほとんど使わないなぁ。めんどくさいし。髪がゴワゴワでも、そんなにつややかでなくても、まあいいやっなんて、ほとんど女を捨てているのかもー(^oo^;) 

それから、美容室。行ってないなぁ。最後にいったのは、NYに行く前だから、去年の早春。おかっぱに短く切って。向こうにいる間、半端に伸びてきたけど、持っていった無印のカットハサミで、自分で切ってた。こっちに帰ってからも、それが続いていて、美容院にかける費用がゼロの記録が続いてます。一生美容院に行かないぞとは思わないけど、一ヶ月に一回とか二ヶ月に・・・とか、そういう頻度はなんだかもったいない気がして、行けない。高いですもんねー、美容院。でも、あー、一度プロの手ですっぱり美しく切ってほしいとか、気分転換にパーマでもかけてみるか・・とか思うときもあるかも。そういうときは、自分の気持ちに正直になって、美容院、行こうと思います。今のところは、しばらく予定なしってところ。

そして、肌の手入れ。みんな、どうしてるのかな? テレビとか見ていたり、お店の売り場を通ると、ほんとにいろんな製品出てますね。シワをどうにかするとか、肌色を明るくするとか。私は、いわゆるメジャーな化粧品ブランドのセカンドブランドの化粧水と乳液をぬるぐらい。それもええ加減。風呂上りも二回に一回ぐらいしかつけなかったり。化粧する前も、化粧水と乳液のつぎに下地もつけないことも多いかな。化粧はするんですけどね、さすがに素顔では外に出かけられない。あまりにもひどくてー(^oo^;) でも、パックとか、美容液とか、しわとりクリームとか、そういうお手入れをするのがすごく苦手。何もしないまま、46歳の今に至ってます。

私の中では、たこぶみたいに、すべてが石鹸一つですむ・・・というのってうらやましいです。男だったらそうしてるのになぁなんて。出かけるときにも化粧しなくていいし、服もたくさん持たなくていいし。手入れ、という点で、男の人って自然でいいなぁと思います。

シンプル・イズ・ザ・ベストってやつですね。シンプルな生活についての本はいっぱい出てるけど、女性の髪や肌の手入れは、いつになってもシンプルにならず、どんどん複雑になっていってる・・・そんな気がして、なんか矛盾を感じるのでした。


それから、石鹸といえば、シャボン玉。小さい頃、シャボン玉をつくって遊ぶのが大好きでした。それから、すごく不思議だった。液体なのに、ストローをとおしたら、虹色の風船ができるなんて、ほんとに素敵。それがまた空に向かって飛んでいくんですもんね。細かい論理は分からんけど、シャボン玉は、夢が形になったみたいだなぁ、なんて思います。石鹸のマジックだ(^oo^)



さてさて、石鹸については、こんくらいかな。いつものごとく、脱線しまくりでしたが(^oo^;)
次のお題は何にしようかなー。うんと、最近気になってる存在、「鉛筆」これにしよう。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年6月28日日曜日

9. 「バランス」

ぶたこへのお題は、何か関係ないもので思い浮かんだもの、というので最初は「スッポン」が浮かんだんだけど、ものの名前じゃない方がいいかなと思って、そこから思い浮かんだ「すっぽんぽん」か「すってんてん」か「すっからかん」か、悩んだあげく(ウソ)決めたんですけど、意外にあっさりと返答されたのでがっかり。もっと難しいお題を考えたろう。といっても、どんなことを書いてもいいから、難しい題でも関係ないんですけどね。


山田耕筰の「夕やけの歌」の作詩は、木下杢太郎でした。杢太郎の戯曲「南蛮寺門前」(修善寺物語じゃないよ)の冒頭に、教会の前で子どもたちが歌う、という設定で作られた歌詞だそうです。ちょっと調べれば分かるのにね。「南蛮寺」という題名から、「寺」が「教会」かなという想像もつきますわな。
歌詞の全文は、こんなのです。

夕やけ小やけ。
摩訶陀(まかだ)の池の
さんしよの魚は
きらきら光る。
玻璃(びいどろ)のふらすこ
ちんたの酒は
きらきら光る。
鐘が鳴る。鐘がなる。
寺の御堂(みだう)の
十字の金(かね)は
きらきら光る。

まずは訂正でした。


体調がすぐれない時、精神的にまいってる時、「あ、今バランスが良くないな」と思う。どこのバランスがどう良くないのかは分からないんだけれど、きっとどこかでバランスが崩れいているのだ、だから体調がおかしいのだ、気分もすぐれないのだ、と思うようにしている。
そこで体を動かしてみる。ラジオ体操なんかをしてみる。ちょっと散歩をしてみたり。
あるいは逆に、何もしなかったり。ここだけの話だけれど、仕事中におかしいなと思ったら、トイレの便器に座ってしばらく何も考えずにぼーっとしたりもする。
無駄な時間のようだけれど、おかげですっきりした気分になる。

人間には無駄な時間もきっと必要なのだろう。考えてみたら、毎日6時間ぐらいは寝てるんだから(多少の差はあるけど)、一生のうちの4分の1、あるいは3分の1ぐらいは何もしない時間があるわけだ。寝ていなくても、ぼーっとして過ごす時間もある。
それが「無駄な時間」と考える人も多い。「死んだらいつまでも寝られるし」そんなに生き急ぎたいのか。今のうちにやっておかないといけないこと、そんなにたくさんあるんだろうか。

ユダヤのことわざに、
「お金を貯めるためには、二つのことをすればよい。明日の仕事を今日のうちにやり、今日食べるものを明日にまわせ」
というのがあるけれど、今の自分の生活は全く逆で、明日にまわせる仕事があったら、焦らずに明日にまわそうよと思ってしまう。一分一秒を争うような仕事をしていないせいもあるけれど。
それより、今の楽しみを大事にしたいと思ってしまうのだなあ。
おかげでいろんな人に先を越されてしまっているんだろう。「ぼちぼち行こかぁ」といってる間に。
「あとから来たのに追い越され/泣くのが嫌なら、さあ歩け」
と歌の文句は言うけれど、先に行きたい人があるのなら「お先にどうぞ」と道をあけてしまうだろう。その人が切り開いた道を、「どうもありがとう」と言いながらぼちぼちとたどっていく。そんな生き方があってもいいんじゃないか。


話が変な方に向かうのはいつものこと。「バランス」でしたな。
人によってバランス感覚というのはまちまちだ。外から見ていると「どうしてこんな風に?」と思うけれど、本人の中では納得できているんだろう。「人間は矛盾に満ちた存在だ」というS・モーム先生の意見には賛成だ。だから面白い。だから「わたしは全くぶれてません!」と宣言する人ほど信用できない。そうありたいと思うのは勝手だけれど。人間はぶれるものだし、考えも変わっていってあたりまえなのに。変われる余裕も必要だと思うのだけれど。

ぶたこも書いているけれど、お金の使い方のバランスは難しい。とくに大きなお金は。国のお金となると特に大変なんだろう。それは分かるけど、使い方に疑問を持つことが多い。疑問を持つことばかりが報道されるというのもあるんだろうけど。
最近「エコ」ということがよく言われるけれど、どの程度何をすればいいのか、よく分からない。経済を活性化させるのと環境を守るのと。
最近、自転車通勤とかが流行っていて、それ以前にも町には自転車があふれているし、ときどき人との接触事故が起こったりして、駅前にも駐輪している自転車がいっぱいで、「迷惑です」という宣伝もしているけれど、自転車用道路とか駐輪場とかのインフラ整備はどこも全く進んでいる様子がない。自動車専用道路はいたるところで工事をしているのに。自動車はどんどん走らせて排気ガスもいっぱいばらまいて。エコカー減税で、いちおう排気ガスを抑えるという名目はあるけれど、排気ガスを抑えたいんだったら、車の台数を今の半分で済むような社会づくりを考えた方が早いんじゃないかと思う。
車嫌いのたわごとなんだけど。
どうせ無理だと分かってるんだけど。日本は車社会だし(車産業社会、ということ)。


こういうことを書き出すと、文句ばっかりが並んでしまうなあ。基本的には、どこかで全体のバランスは取られていくんだろうと思っているのです。今「おかしいなあ・・・・」と思ってるところでも、いつかはまともなところに落ち着くような気がしています。いつか、というのはいつか分からないけれど。10年先か100年先か1000年先か。


さて次のお題。なにか身近なものにしたいなあ。
「石鹸」でどうでしょう。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年6月27日土曜日

8. 「すっからかん」

なんちゅーお題やねん(^oo^;) すっからかんかぁ。
「すっからかん」を辞書でひくと、「全くからっぽであるさま。中に何も残っていないさま。」
別にお金と特定しているわけじゃないねんけど、この言葉は、もうダイレクトにサイフや家計と結びつくイメージありますね。

おサイフがすっからかんなのを忘れて、買い物に行って、レジで気がついた・・・なんてことは、幸いにして今まで経験ないけど、足りなくて、青くなって、買ったものを減らしたってことは何回かあった気がするな。

それで思い出したけど、NYにいるとき、マンハッタンの裕福な地域といわれるアッパー・ウェストサイドにあるスーパーで見た光景。レジに並んでいたら、前にいた女の人がなんとなく支払いでモタモタしていた。っていうか、その前からその人の様子はおかしかった。髪は乱れていて、一応ちゃんとしたスーツのようなものを着ているんだけど、強烈に覚えているのは、スカートの後ろのファスナーが軽く開いていて、どうやら壊れているみたい。布地もだいぶくたびれている様子。年齢は三十代って感じかな。子どもがまだ小さいのかなというイメージ。子どもを連れていたわけじゃないんだけど。

その人が買っていたものは、みんな、賞味期限ギリギリで割引された野菜や果物ばっかりやった。半額とかになってる、ハッキリいって半分腐ってるみたいな色のも混じってた。レジで合計金額が出てきた。1ドルとちょっと。その人は1ドルしか持ってなかった。カバンの中を必死で探したけど、数十セントが出てこない。あきらめて、買うつもりだった果物からいくつかを減らして買えるだけのものを買っていったその人。

今、自分のブログを検索してみたら、この話、書いてました。去年の10月だ。
「1ドル札」

もしかして、あの人は、ホームレスだったのかな。それとも福祉住宅に住んでる人なのかな。あの日1ドルしか持ってなかったけど、他の日はどうなんだろう。毎日食べるものはあるのかな。あの日の印象は強烈で、あれからも何度かあの人のことを思い出します。

日本でも、最近、生活保護という言葉がよくニュースに登場しますね。
私がNYで働いていた老人ホームには、たくさんのボランティアがいたけど、必要でもないのに、頼まれてもいないのに、自分からボランティアさせてくれって人は、私以外ほとんどいなかったと思う。レギュラーで来ている人のほとんどは、政府から日本でいう生活保護のようなお金を受け取っている人たちで、そのお金と引き換えに一ヶ月に何十時間とか決められた長さだけ、社会奉仕活動をするという条件があるらしいんですね。だから、政府から補助を受け続けるために、老人ホームに来て、入居者のお世話をしている人たちがいっぱいいました。何年も来ている人もいるし、何ヶ月かで来なくなる人も。私が知らないだけで、そういう条件じゃなくて自分の意志で来ていた人もいたのかもしれないけど、ホームの人の話によると、そういう人がほとんどだということでした。


最近の日本で生活保護が話題になるというと、二種類ある気がする。
悪用する人たち。生活保護を受けている人目当てに、入院させる病院、必要でもないのに手術させる病院、老人の施設を作って、生活保護の費用や介護保険の費用で設けている人たち。もちろん善意でやっている人たちもいると思うけど、悪用している人たちの話が目に付きますね。そういうニュースを見ていると、生活保護を受けるのって、申請して認可されるのって簡単のように見える。病院や施設を通すと、何かコツのようなものがあって、うまくいくようになってるのかな。こういう場所に団体で保護を受けている人たちがいるってイメージ。


で、一方では、生活保護を申請したのに認可されず、病気で働くこともできて、日々お金がなくなっていって、この時代に餓死してしまうという哀しい話もよく聞えてきますね。それと、そこまででなくても、生活保護という言葉にあまりいいイメージがなくて、生活に困っているのに、条件は満たしているのに、保護は受けない、ギリギリまでがんばるって、がんばりすぎて、結局、病気になったり、生きていけなくなったり。


私は本当にラッキーだと思うけど、食べるのに困ることなく、今までの人生を歩ませてもらった。それどころかやりたいことさえ、やらせてもらうことができた。


福祉って何なのかなぁ。誰のためのものなのかな。
悪用する人のためではなくて、それによって生きることができる人たちのためのもののはずで。
障害者の郵便特待制度を悪用した人たちもいたけど、そういうのを悪用するってどういう神経なのかな。
それほど経済的にひどい世の中だから、仕方ないの? 仕方なくなんかないよなー。
うーんわからん。


モノってどのぐらいあるといいのかな。
いっぱいありすぎてもあかんし、足りなさすぎてもあかんし。

人生のなかにはいっぱい波があって、何度も谷があって。谷があるから山もあって。
その谷からなんとか這い上がるためには、一時期だけでもこういう公からの助けってのは、必要やもんね。生活保護にしても、雇用保険にしても。こういう制度が一応充実しているといわれる日本に住んでいることは幸せなんやけど、その利用の仕方が、だんだんおかしくなってきてる気がして、どう考えたらいいのかようわからなくなるときがあるねんなぁ。


すっからかんかぁ。
うちの家計がすっからかんにならんように、余計なお金は使わんようにせなあかんね。
でも、お金持って死ねるわけでもないから、貯めるばっかりに心をくだくのではなくて、一度きりの人生を楽しむために、自分の人生のために使うことも大切やとも思うねんな。


バランスってのは、ありますな。なんにでも。
ってことで・・・・。次のお題は「バランス」か?
芸ないかな。こうやって話題が脱線した行き先を単純にお題にするのは・・・・。

でもまっ、いいや。「バランス」。たこぶのバランス考、聞きたいし。
これでお願いします。


たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年6月26日金曜日

7. 「キラキラ」

マイケル・ジャクソンが輝いていた時代というのは、実はほんの少しの間だけだったような気がする。世界的なヒットになったアルバム「スリラー」、その5年後かにリリースされた「バッド」、次代に残る作品といえばそれくらいじゃないだろうか。実は「スリラー」で、新しい世界を開いたように見えて、やれることは全部やってしまったような印象だ。当時、ホラー映画の巨匠として人気を集めていたジョン・ランディスが監督した「スリラー」のビデオを(深夜のMTVで)見て、驚いて呆れて引き込まれてしまった。でも、「これ、何回も見たいとか聞きたいとか思うかなあ」とも感じた。もともとソウル・ミュージックには興味なかったし、ディスコ・ミュージック(死語か)にも興味なかったし(踊れないし)。集団のダンスは見事だと思ったけど(振り付けも斬新だとは思ったけど)、「だからどうした?」という思いも強かった。「スリラー」からシングルカットされた曲はどれもミリオンセラー。そんなアルバムは過去には存在しなかったから、大変な話題になったけれど、逆に「次は?」というプレッシャーはあったに違いない。5年後に出た「バッド」は、「スリラー」から発展できたのだろうか? 聴いてないから知らないけれど。MTVの「バッド」の映像は、「スリラー」ほども、「ビート・イット」ほどにも驚きもなく、なんだかなあという感じだった。その後にアルバムを出していることなんて、まるで知らなかった。別に興味がないから知らなくてあたりまえなんだけど。

マイケル・ジャクソンは「キラキラ」というイメージからはほど遠い。
ただ、「スリラー」のビデオクリップを作ったことで、時代を変えたとは言えるかも。それまではただ「歌ってる姿を流す」だけだったビデオクリップが、お金をかけて映像に凝って、話題を作ってアルバムも売れる、という図式を作ったのだから。これはビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を作って、LPレコードの意義をすっかり変えてしまったのと同じくらいの出来事だったかもしれない。

それでも「キラキラ」というイメージからはほど遠い。

「キラキラ」というと「いつも輝いている」ということと、「周囲に輝きをふりまいている」というイメージがある。それでいて「ギラギラ」というほどまぶしさがいやらしくなく、「ヒラヒラ」というほど軽くもなく、「チラチラ」というほど目を凝らす必要もない。

思いつきでいろいろ書いたけど、重ね言葉っていっぱいあるのだなあ。読み返してみて思うのだけれど、それぞれ一瞬の動きではなくて、継続しているというか、持続している動きのような気がする。これが「キラリ」だとか「ギラリ」だとか「ひらり」だとかだと、一瞬の動きだけで、でもそこに惹かれるものがあるような印象だ。
マイケル・ジャクソンは「キラリ」と光ったのかもしれない。


「キラキラ」という言葉は、次に「光る」と続けて言ってしまう。「キラキラひかる」というドラマもあったなあ。元は小説か。
「キラキラ光る」というと、僕には昔歌った合唱曲がすぐに思い浮かばれる。山田耕筰の「夕焼けのうた」という曲で、多分「修善寺物語」のなかで歌われるのだと思う。歌っていた当時は、そんなことはまったく気にもかけずにただ歌っていたのだが。あの歌詞は誰が書いたのだったか(今、楽譜を探せば出てくるんだろうけれど、めんどくさいので記憶を頼りに書いています)。多分詩も山田耕筰だったのではないか。夕焼けこやけがキラキラ光る、というだけの歌詞だったが。中に、
「鐘が鳴る鐘が鳴る/寺の御堂の/十字の鐘は/キラキラ光る」
というのがあり、「十字の鐘」というのが何のことかさっぱり分からなかった。楽譜に書いてある歌詞だけを追いかけていくと「十時の鐘」かと思って、夜の10時に鐘が鳴るのかと思ったが、それでは「夕焼け」にはならない。
誰かが漢字の歌詞を見つけてくれて、「十字の鐘」と書いてあったのだ。それでも、何のことだかますます分からなかった。分からないまま歌っていると、指揮者の先生が
「教会の尖塔の、十字架の下にある鐘が光ってるんだよ」
と言ってくれて、そこでようやく「寺の御堂の」というのがキリスト教会のことを指すのだと分かったのだった。分かりませんよ、そんなん。寺と言われたら日本の寺しか思いうかべへんもん。
さらにこの歌の「キラキラ」という表現が一番の決め所だ! というわけで、「どんなキラキラにしたいの?」と問いかけられながら歌ったことが忘れられない。
言葉から、どんなイメージを受けて、それをどう表現するか。歌う時に一番大事なことなんだろうなあ。しょっちゅう忘れるけど。


「キラキラ光る」といえば星。ときどき夜空を見上げることはあるけれど、都会ではポツポツとしか光る星を見ることはできない。満天の星は、空気のきれいなところに行かないと見えないだろうなあ。
昔、「天の川」を見たことがあった。琵琶湖で合唱団の合宿をした時だ。雨上がりで天気もよかったんだろう。夜空を見上げると、天気がいいはずなのにすじ雲のようなものがかかっている。友人が「天の川や」と言ったのだが、信じられなかった。ただのすじ雲だと思った。だが、「合間から星が見えるやろ。ということは、あのすじ雲のように見えるのが、星の後ろにあるってことや。せやからあれが天の川や」という物知りの友人に言われて、改めてほほーっと思ったのだった。
天の川を見たのはその一度きりだ。またいつかどこかで、見られる時があるだろうか。都会では無理だろうなあ。


「キラキラ」を書きながら、さて、次の題は何にしようかと考えていた(キラキラは、難しかった(^◎^;))が、「星」だとか「天の川」だとかだと、まるで連想ゲームみたいでかえって面白くない。
なので、全く関係ないものにしましょう。

次のお題は、「すっからかん」でお願いします(_◎_)

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年6月25日木曜日

6. 「エエかっこしぃ」

たこぶと同じく、就職活動をしないまま仕事についた私です。大学時代バイトをしていた飲食店の常連だった人が社長さんで、私のそのお店での働きぶりを気に入ってくれて、働かないかと言ってくれました。それで大学を辞めたとき面接を受けて、そのままその会社に。最初は正社員で、その後、アナウンスや音楽の仕事や趣味に時間をとられるようになって、あまりにも残業が多く、責任も重く、ハードだったその仕事の形態を、正社員から準社員(パートのようなものなんだけど、社員色が強いもの。。。みたいな感じかな)に変えてもらって、その会社とは結局10年以上は縁が続いたかな。

でも、たこぶが言うように、自分の中では何十年も同じ会社でフルタイム働き続けたという経験がないから、一つのことを永年続けている人、特に職人色の強い仕事に人生かけて打ち込んでいる人を見ると、心から尊敬してしまいます。っていうか、NYでも話すのが好きだったのは、ドアマンやバスの運転手さんやスーパーで売り場の整理をしている店員さんや、デリの店員さん。誰もがやりたがらない仕事、朝早くからだったり、長時間だったりする仕事をやってくれている人たちって、本当に感謝やなぁ・・・なんて思います。そういうことをしていない自分をどこか、「すみませーん」って思ってるんかもなぁ。


さて、私ら二人ともが、たいがいエエ加減な生き方していると、だんだんバレてきたところで(^oo^;)
今回のお題は「エエかっこしぃ」ですかー。ほー。面白いトピックやな。

私はエエかっこしぃか?と言われると、そうでもない気がするけど、でも、この感覚ってどこかで誰もが持ってるような気ぃもするんですね。

「エエかっこしぃ」って、もしかしたら「プライド」なんかもしれん。って。日本語でいうと「尊厳」みたいな。

この「エエかっこしぃ」って、「かっこエエ」って順番変えたら、だいぶイメージ変わりますわな。「エエ」が先に来た途端に否定的なイメージになりよる。なんでなんかな。「かっこエエ」となると、素敵なイメージ。なんでやろな。「しぃ」に鍵があるんかな。

とにかく。

たとえば。。。。
それまですごく社会的に活躍していた人が病気になるってことはあります。いつもおしゃれだった人。いつもみんなのリーダーだった人。いつも活動的だった人。そんな人が、たとえば末期がんと診断された。たとえば、脳梗塞で半身不随になってしまった。

このときにどうするかって色々ありますよね。

ある人は、誰にも会わなくなるかもしれん。自分が髪をバサバサにして、元気なくなって、ベッドで寝てる姿は見られたくないって。そんな自分を見られたくない。よくなってから、またみんなの前に姿を現したい。で、もし二度と人前に姿を現すことがなく、自分が死んでしまったとしても、それでいい。元気やった頃の自分だけを覚えててほしい。

私、これはこれで、かっこエエなぁって思います。エエかっこしぃやなぁって思うけど、その人がその方法を選んだのなら、尊重してあげたいし、会えなくなるかもしれないから、会いたいって思うのは、こっちの勝手で、会えなくてつらくても、やっぱりその人の気持ちを尊重すべきで、そのまま会えないで亡くなってしまったとしても、いつまでも元気やった頃の溌剌としたその人を覚えてあげているしかないのかなって。



それとはまったく逆に。。。。
末期がんだったり、大きな病気だったりを、人前に堂々とさらけ出す人がいます。髪が抜けても、身体がぼろぼろになっても、やせ細っても、うまく舌が回らなくなっても、とにかく、自分の醜い部分も含めてさらけ出す。人間はこうやって弱っていくものなんだ、こうやってまた土にかえっていくものなんだって、教えてくれる、そんな人がいます。これまた思うねんなぁ。かっこエエって。これもいい意味でのエエかっこしぃやなって。




私が嫌いなエエかっこしぃって、どんなんやろ。
人の存在に上下つけることかな。
最近でいうと、例の○○県知事が国政に参戦するかどうかのニュースで、国会議員の人が「けっ」「何をねぼけたこと言うとんねん」みたいなコメントしてましたよね。衆議院議員はえらくて、参議院議員も衆議院よりは「下」やけど、それでも国会議員ではあって、その国会議員よりも「下」なのが、知事であり市長であり、地方議員っていう図式。人をさげすむことで、自分の地位を守ろうとして、自分が「えらい」んだって示そうとして、その結果かえって、その人がいかに「つまらない」存在なのかを、世間にさらしていることに気が付いていない。最低の人たちやなぁって思いました。その最低の人たちの最低ぶりをさらけ出す目的で、あんなことを意図的に言うてはるんかな、あの知事さんはなんて思った。いや、もっともっと裏に色々ありそうですけどね、今回のことは。何もかもが自民党に注目を集めるためのコマーシャルじゃないのとか。すごく大きな芝居が、全員でうたれていて、国民がだまされているんちゃうかとか、ほんま、勘ぐりだしたらキリがありません。

あれ、話がまた横にそれはじめたけど(^oo^;)

とにかく、自分は「えらい」んだって思ってる人、そういう意味で「エエかっこ」してる人、私は嫌いです。自分のなかにそういう感覚が存在していないか、すごく気になります。自分にプライドを持つことは大切だけど、自分が誰かより上とか下とかはないはずで、そういう感覚は持ちたくないなって。鈍感でいると、知らない間に持ってしまうかもしれないから、気をつけていないといけないなって。

でも、エエかっこせんとこせんとこって気をつけるのは大切だけど、さっき書いたみたいに、自分に対して「プライド」を持つこともとても大切。それは自分を愛してあげることになるし、自分を愛せたら人を愛することもできて、自分が幸せだと人にも幸せになってほしいから、誰かに対して親切になれる・・・そんな気がするから。自分ばっかりにはなりたくないけど、人間一つ一つの存在が大切なんだってことは、自分も含んでるんだって忘れたくないなとも思うのです。

こないだ、シルバーコーラスの練習で、練習の最後に、自分でもまったく意図していなかった言葉が出てきました。意図していなかったというか、今日はこれを言って練習をしめようとか、そんな計画はしていなかったという意味。最後に、その日やった曲を通して歌ったとき、指揮する私を見つめて、一生懸命に気持ちよさそうに歌うみんなを見ていて、私は思わずこう言っていました。

「皆さん、本当にきれいですよ」って。これ、本心です。気持ちの底から出てきていました。勝手に。流れ出すみたいに。みんなも正面きってそういわれて、照れるみたいなでもとても可愛い微笑みを浮かべておられました。うちのメンバーは確かに若くはないけど、美人コンテストで優勝するよう人たちばっかりじゃないけど、みんな、本当にきれいです。それは、みんなが生きてきたそれぞれの人生が美しいから。素晴らしいから。どれもこれも、自慢できるものだから。そう感じるから。私も、これから年を重ねて、過ごしてきた人生が、あんな風にキラキラと放出される、そんな人になりたいなって思いました。

エエかっこしぃから、えらい脱線してしまいましたな。わははははは。これもありでしょー。
次のお題かぁ。何にしようかな。
そうだ、単語じゃないけど、「キラキラ」。これにしよう。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

5. 「仕事」

僕も勉強は嫌いな方で、結局大学まで行ったけど、卒業することなく現在に至っている。年を追うごとに勉強嫌いになっていったのも同じ。小学校ではまだ「良くできる子」で通っていたけれど(それは4人きょうだいの末っ子という特権があったからに違いないと、今では思う。学校で起こるどんなことも、すでに上3人が体験済みというのは大きい)、中学校からはだんだん並みの子になっていき、高校では中の中。一浪して入った大学では、部活(合唱団)にうつつを抜かしているうちに、勉強嫌いの性格が爆発して、授業はさぼりまくり。
大学は夜間部だったので、昼間はヒマ(部活も夜だった)。ぶらぶらしていたら、知り合いに「働いてみぃひんか」と言われて、アルバイトをしたのが就職の始まり。いわゆる就職活動の経験がないのですね。
しかし、学校でのさぼり癖は仕事にまで及んで、仕事についた始めのころこそまじめに働くものの、遅刻、欠勤の常習者となり、減給、あるいは首になることもしばしば。
何度目かの「おさそい」で(なぜかぶらぶらしていると、誰かが声をかけてくれるのだった。ええ時代やったのかも)勤めたのは本屋。仕事は店番と、月刊定期誌の配達。初めて「免許」なるものを取得。原付バイクにいっぱいの荷物を積んで、店を出て左にハンドルを切ったとたんに横転。幸い擦り傷だけで済んだけど。練習もなしにいきなり30キロ超の荷物を積んで走らせるとは、本屋の店長も無謀だった。

しばらくは本屋に勤めつつ、合唱団の指揮をしつつ、という多忙な日々。
「しんどぉて、かなわんわ」
と愚痴ると、当時合唱団員だったぶたこが、
「ほんなら、やめたら」
その一言で仕事を辞めて、またしばらくぶらぶら。失業保険が切れかけたころ、元合唱団の団員からまたまた「おさそい」。「うちの主人の勤めてる会社でバイトを募集してるけど」
というわけで働き始めたところに、20年勤めることになったのでありました。

こういう人間なので、まともに働いている人には頭が上がらない。どんな小さな仕事でも、まじめに働いている人はえらいなあと思う。仕事の大小に関わらず。地下鉄のホームで掃除をしているおばさん、スーパーでレジを打っている女の人(女の人が多いなあ)、道でチラシを配っているどこかの飲食店の店員さん。どの人も輝いて見える。どんな小さな仕事でも、それがないと社会は成り立たないのではないかと思うからだ。

昔々、僕が若い頃は「社会の歯車のような仕事はしたくない」という人が多かった。今でも「起業家」とかはもてはやされるのかなあ。
でも、思うのであるよ。出来のいい歯車になるのも、悪くないと。「こんなことして、何の役に立つのか?」と思うような仕事、世の中にはいっぱいあるけど(今の僕の仕事も似たり寄ったりかなあ)、どの歯車も、ひとつでも欠けると世の中は回らないのだよ、きっと。


僕は、このように流されて流されて、成り行き任せのままに生きてきて、たまたま仕事にありついて、お金をもらえるようになっているわけで、これはとてもラッキーなことだったといつも思っている。特に今の世の中ではね。
多くの人が将来の夢とかを抱いて、学校で勉強したり就職活動したりするわけだけど、僕はそういう夢みたいなものはあんまりなく(仕事以外の夢はたっぷりあった)、努力とか勉強とかも嫌いだったから、ほんとに今でも生きていられるのは、たまたまが続いているせいだと思う。叶うことなら、これからもたまたまはずっと続いてほしいところだ。

自分の現状には不満はないけれど、夢を実現したひととかを見るとうらやましく思う。それと、自分の仕事に誇りを持っている人は「かっこエエなぁ」と思って、尊敬の眼差しで見てしまう。「ドリームハウス」で、建築家の奇妙なデザインの設計にも「なんじゃこらぁ?」と言いつつ、設計図どおりに仕上げてしまう大工さんの腕前には感動する。枯れかけの桜を再生させるために、努力を惜しまない「桜守」と呼ばれるおじさんは、その努力をたたえられても「植木屋でっさかい」の一言でかわしてしまう。かっこエエなあ。

こうやって考えてみると、僕が感心しているのはどうやら「自分の力で仕事をしている人」みたいだ。才能とか才覚とか、やり手だとかじゃなくて、自分の力で努力している人。大勢のそういう人たちが居て、この世界は動いている。通勤の電車に乗っていて時々思う。ここに居る人みんなで、この社会が成り立っているんだなあ、と。


かっこつけすぎ(^◎^;)

つぎのお題は「エエかっこしぃ」にしよう(^◎^)

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年6月24日水曜日

4. 「授業」

たこぶの「ラジオ」話、前半のメカニックなこと、ほとんど分からんかった(^oo^;) 普段は男も女も関係ないやんとかいうけど、ああいう話になると「男の子話だ」と感じてしまうなぁ。なんやろ。自分の中に、これは女の子、これは男の子みたいな分別があるんかもしれんなぁ。

聴いてたラジオ番組というと、
「ぬかるみの世界」→ティーチ・インにも行ったし、新世界ツアーにも参加したよ
「ヤンリク」→キダ・タローさんのミキサー完備スタジオ貸しますに友達三人とカルテットコーラスで出演したよ。
「ヤンタン」→ちんぺいの女性立ち入り禁止コーナーとかに電話してオンエアになったことあるな。一回だけ。
「サタデー・バチョン」→浜村淳さんの「思い出は映画とともに」のコーナーが好きやった。
「オールナイト日本」、「走れ歌謡曲」このあたりは、朝まで起きてテスト勉強のときに聴いてた。勉強はせずに(^oo^;)

・・・と私がラジオを語る番ではなかったのであった。
お題は「授業」ですな。

授業かぁ。
私の学校時代というと。
小学校のときは、まじめな生徒やった。前半は寝屋川市の小学校、後半は転校して大阪市南区小学校。いじめられたりはしたけど、基本的に勉強がきらいじゃなかったな。体育はいつも苦手やった。

中学になって、授業が面白くないと思い始める。生徒が団体で先生をいじめるなんていう、最低なこともはやってたな。今から思い出すと、やさしくていい先生やったのに「ださい」「めんどくさい」「うっとうしい」とかいうて、国語の先生が教室に入ってきたら、全員机と椅子を後ろに向けて、先生が話すのも無視したり。一度、先生が泣いてしゃべってはったこともあった。あー、悪かったなぁ。あのとき。あの頃、校内暴力とかもはやってて、生徒同士で恐喝みたいなこともあったりして、「不良」って言葉を覚えたのもこの頃。私は、不良にもなれないけど、まじめな子たちにも入らず、適度に悪かった。寄り道で喫茶店に行ったり、放課後ディスコ行ったり、十分ふまじめやねんけど、「不良」といわれる子たちの域には達しないところで、とどまってた感じ。地域的に都会の真ん中やったし、みんな、親が商売してたりして、野放しなってた子も多くて、寂しかったり、家庭の事情が複雑やったりしたんかもなぁ。

そうそう、中学・高校あたりは、交換日記というのもはやってて、授業中、ノートに何か書いては、グループ同士で机の下からまわしては、読んだりしてた。

高校。いよいよ授業がおもしろくなくなって、しょっちゅうサボってました。今でも覚えてるけど、あと一回さぼったら留年ってところまでさぼってた。あかんやん(^oo^;) こんだけサボってるわりには、先生とは仲がよくて、放課後、教科準備室に遊びにいって、話し相手になってもらったり、ご飯を食べに連れいってもらったりと、先生たちには可愛がられた生徒やった覚えがあります。もしかしたら、あぶなっかしくて、ほっておけなかったんかもなぁ。

そんな私も短大に入れて、クラブにうつつぬかして、これまたあんまり授業はまじめじゃなかった。途中で声楽を勉強しようということになって、四年生大学のを受験するねんけど、結局は私は大学を一つも卒業しなかった。これは今でも少し後悔してるし、私ってあかんやんなーって思うことの一つ。


授業というと、私の中では大人になってからの方が印象が強いかも。記憶が新しいこともあるけど、大人になって、自分でお金出して、自分がやりたいことを学ぶということが、すごく素晴らしいことだって気がついたから。日本で通ったサイマル・アカデミーの授業、一生懸命受けて、一度は奨学生として学費を割引してもらえたし、最初の短期海外留学のカナダの英語学校でも、最後には優秀生徒賞みたいなんをもらった。大人になってから受けた授業、一番最近のNYでの指揮法の授業も含めて、ほとんど休んだ覚えがない。先生の言うことをひとことを、一つも逃さずに聴くぞ、自分のものにするぞ、復習するぞ、予習するぞって、やたら気合が入ってるねんな。

この違いって何なんでしょね。この気合が、子どものときからあったら、私はまったく違う人生歩んでたんやろな(^oo^;)(^oo^;) もっと早く気づけよって思うけど、まっ、気づかないまま人生終えてたよりは、よかったやんって思うことにしてます。

自分の経験を通して思うのは、学ぶには「動機」があるといいのかなってことかな。あと、深く深く学びたいって域まで達するには、やっぱ自分の意志で選んだ道で、自分で貯めたお金で学校に通うってことも大切なのかもしれん。親に出してもらったお金を、私はいっぱいムダにして、申し訳なかったと思うけど、あの頃に戻っても、やっぱりそんなに勉強しない気もする。なんでやろなぁ。

そう、もう一つ思うのは、学ぶためには、気持ちが安定しているってことも、けっこう大切なのかもしれん。子どもの頃の私は、「こんな悩みがあって、人生いつまで続くか分からんし、別に勉強したからってやりたいことがあるわけでもないし、とにかく他に考えることいっぱいあるのに、勉強どころちゃうわ」とか、その時々で勝手な理由つけて、さぼってた。悩むのが趣味やったかも(^oo^;) 心が安定していると、目の前の目標がすんなり見えてくるというのはあるかもしれんなぁ。

私には子どもがいないけど、世の中の親御さんたちが、子どもが勉強せえへん、勉強する子どもにするためにはどうしたらええんやろって悩む気持ちはわかるし、勉強に集中できない子どもの気持ちも、自分がそうやったからどっか分かるなぁ。

で、これまた自分の経験を通して思うけど、学ぶってこと、いつになっても遅くないから、それでもええんかなって。学校時代勉強がキライで、大人になってから目覚めて大好きになって、人生の後半でやりたいこと見つけて、それから研究者になったり、職業が変わったり、自分の一生をかけたプロジェクトができたり。そんな人生の途中で目覚めた学びも、いつだって「間に合う」、学んだ人がいつでも受け入れられる、そんな世の中であって欲しいなぁって思う。

社会人を何年かやって、あるいは主婦を何年かやって、一念発起して、学校行って学んで、資格とって、それから仕事探しても、見つからない・・・・今ってそんな世の中のように見えるけど、そんな途中からがんばってる人が、年齢と関係なく、新しく働ける場所、学んだことを生かせる場所が、与えられる、受け入れられる、そんな世の中になってほしい。今、仕事を探して苦労している友人がすぐそばにいるから、余計にそう思うなぁ。


あれ・・・・授業の話から、仕事の話になっとる(^oo^;)
まっいいか。これもまた自然なり~。

んじゃ、次のお題はコレにしよう、「仕事」。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年6月23日火曜日

3. 「ラジオ」

かつて広島東洋カープに、ラジオという選手がいた。甲子園での阪神戦で、サンテレビ実況の谷口アナが、
「バッターボックスにはテレビ・・・・ではなくて、ラジオ」
と、ベタ過ぎて笑うしかない中継をしていた。

子どものころ、すでにラジオはトランジスタの時代だった。テレビはまだ真空管で、「トランジスタ・ラジオ」というのは、文明の香気を感じるような響きだと思ったものだ。
トランジスタといっても、大きさは大きめの弁当箱ぐらいはあった。裏蓋はネジで留めてあるだけなので、ドライバーで簡単に外すことができた。中を覗くと、小さな部品が並んでいて、未来都市の風景だなあなどと思っていた。小さな部品といっても、文字どおりのトランジスタが並んでいるんだけれど、それも今のトランジスタと比べると、塩の結晶とご飯粒ぐらいの差はあるんだけれど。そういう小さな部品が整然と並んでいる風景に、なぜかとてもわくわくしたものだ。

科学好きの男子なら、そこから発展して自作ラジオ、ということになるんだろうけれど、僕はただ並んでいる部品を見ているだけで満足していた。
ことに気に入っていたのは「バリコン」と呼ばれる部分だ。
正確には「バリアブル・コントローラー」というらしい。つまりはチューニングの部分なんだけど、なぜかこの部分は小さなラジオの本体の中でも大きなスペースが当てられていて、その存在感が大きかったのだ。さらに、裏蓋を開けたままチューニングつまみを回すと、バリコン本体が動くのである。
バリコンの形は、何と言ったらいいんだろう、何枚かのディスクが重なっているようなもので、その円盤部分がつまみの動きと共にグイーンと回るのが、なんともロボットの動きのようで楽しかったのだ。

考えてみたら、ラジオのチューニングというのはおかしなものだ。テレビならチャンネルを合わせるだけで目的の放送局にピタリとチューニングできる。だがラジオのチューニングはいつまで経ってもつまみで調整するタイプだ。自動チューニングというのもあるけれど(わが家のミニコンポもそのタイプ)、基本はダイヤルタイプ。これは何か意図があるんだろうか。おかげで昔は、深夜放送で東京の放送を聴こうとして、韓国語が流れてきたこともあった。いまでも同じかもしれないけれど。試してないのでわかりませんが。

韓国の放送が聴けるというのも、おかしなものだ(テレビではあまり考えられない)なあ。なにしろ電波は行く先を決めずに流れていくものだから、つかまえることさえできれば、その放送を聴くこともできるのだな。ひょっとしたら、テレビ電波も同じようにつかまえることができるのだろうか? 長波と短波で届く範囲が変わってくる、という話も聞いた覚えがあるなあ。

電波というのも、面白い存在だ。目には見えないけれど、いろんな情報を運ぶことができる。こちらでツー・トトト・ツーと打てば、あちらでもツー・トトト・ツーと聞こえる、ということを発見・発明した人はえらいなあと思う。まあ、何事でも最初に見つけた人、最初に作った人はえらいんだけど。
中学か高校かの理科の時間に、電波の原理というのを習ったような気がするんだけれど、今ではすっかり忘れている。そんな原理なんか知らなくても、1008kHzにチューナーを合わせれば、タイガースの野球中継は聴くことができる。同じように、テレビのスイッチを入れてチャンネルを合わせれば、好きな番組は見ることができる。原理なんか知って、どないなるの?
でも、原理を知っていると、何かと便利なのかも。
第一、何で今になってテレビの地上波はデジタル化せなあかんのか、ということが分かったりするのかも。
分かってどうする? 分かってようが分からなかろうが、デジタル化はされるのだ。そしてテレビを買い換えなければ。とほほ。

さて、ラジオといえば、僕らの若い頃(35年以上前!)は、深夜ラジオの全盛期であった。時代的に全盛、というより、その時代の自分が一番よく深夜ラジオを聴いていた、というだけやけど。ラジオを聴きつつ寝る。起きたらラジオはつけっぱなし。そんな日が週に何日もあったなあ。DJが終わる午前5時ごろにようやく寝始めるとかね。もちろん次の日の授業中は、その分の睡眠時間ということになるのである。ははは。

ということで、次のテーマは「授業」ということにしましょうか。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2. 「氷」

なんか、交換ブログ作った初日で、おもしろいから二回も投稿しちゃお。

たこぶから初めてのお題は「氷」ですか。
涼しいですなー。暑かった今日には、ごちそうに感じますね。氷。

氷といえば、冷蔵庫の進歩には目を見張るものがありますね。私が子どもの頃、冷蔵庫といえば、1ドア。冷蔵庫のなかの上段に、ちょっとした棚みたいなのがあって、そこに製氷皿を置いて氷を作ってた。でもその製氷室は、すぐに霜がはって、それが山のようになって、その霜とりがまた大変。

初めて2ドアの冷蔵庫が来たときは、驚いたなぁ。氷がすごくきれいにできる。あんまり真ん中に穴もあいたりしない。で、それからまた何年もたって、友だちんちで、はじめて氷が自動ででけるやつを見たときは、これまたたまげたもんです。で、数年前、一部有名なビックカメラでクジに当たって10万円分の商品がタダになるってのでわが家に冷蔵庫が来まして。それ以来、わが家でも氷自動製造機能の恩恵にあずかってます。一回目、氷が自動ででける瞬間、今でも覚えてます。隣の部屋にいたんだけど、その瞬間すごい音が冷蔵庫から聞えてきてびっくりした。ぐわっ、みたいな音がして、なんだなんだ今の音は?って思った。で、冷蔵庫まで見に行ったら、それが氷がでけた音で、たった10個ぐらいしかでけてなかった。こんなちょっとかって思ったけど、チリも積もればなんとかで、次の朝起きてみたら、でけた氷が山になってて感激した。

そういう便利な機能も、慣れてしまうとなんとも思わないモンですな。今では、当たり前のように、夕食の時間になると、麦茶入れたコップに、ざぱっざぱって氷を入れて、涼をとららせてもらってます。改めて、冷蔵庫さん、ありがとう(^oo^)


それから、氷といえば、はずせないのが「カキ氷」。昔から大好物です。カキ氷を食べたら、頭が痛くなるって人がいるけど、私はあまりならない。山のようなカキ氷でも、わりと最後まで美味しいなーって思って食べられます。ときどき、舌の先がマヒして話しにくくなるときはあるけど(^oo^;)

私が好きなフレーバー。

子どもの頃
・イチゴ
・レモン
・ミルク(ミルクはちょっと高かったから特別なとき)

色がきれいなのが好きだった。


大人になってから
・宇治金時ミルク(ゴールデントリオ!)
・宇治金時
・宇治ミルク
・ミルク金時
・いちごミルク

宇治にかたよってます。ほんまの抹茶使ってる店だとご機嫌。


あー、書いてるだけで涼しくなってきたよ。


では、次のお題。何にしようかなー。
今、聴いてる最中なので、「ラジオ」。これにします。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年6月22日月曜日

1. 「書く」

ぶたこぶのコレ書いて

そんなわけで(どんなわけやらは、上記リンクを参照してください)、ぶたことの交換ブログを始めました。
ぶたこも自己紹介をしているので、わたくしもついでに(^◎^;)

ついこないだ、50歳になりました。半世紀も生きてきたなんて、信じられんなあと思ってたけど、こないだ日本最長寿の方が入れ替わって(^◎^;)、113歳かあ、それでまだあんなに元気やなんて、そっちの方が信じられん、人間、ほんまの寿命というのはどんなけあるんやろうと、自分とは全く関係のないことなのに感心していました。

趣味は読書と音楽、かなあ。絵を描くこと、とか入れたいけれど、絵を描くのはお金がかかる(^◎^;)。画材道具って高いんですよね。音楽も高くつくんちゃうんか、と思われそうやけど、楽しむといっても楽器じゃなくて歌う方、あとは聴く方やから、そんなに大したことはないのです。
読書は、どんな本でも。でもあんまり学術書とかは読めへんかなあ。好きなのは小説。ジャンルはあんまりこだわりがありません。その時々で、自分の中ではやりすたりがあるような気がします。一人の作家やひとつのジャンルを追っかける傾向にはあるかなあ。

さて、今回のお題は「書く」ですが、ぶたこは「書くのも読むの好きで」と書いていますが、書くことに何の抵抗もないらしいことは、「ぶたこな日々」の読者の方なら十分にご存じでしょう。ときどき、
「あんなけよお書かはりますね、大変でしょう?」
と言われる(わたくしに対しても)のですが、なにしろキーボードを打つ早さが尋常じゃないので(しかもローマ字じゃなくてカナ入力である)、あっという間にたかたかたかと書き上げてしまうのであります。ほとんどしゃべる速度と変わらないんじゃないかと思うくらい。だから、ぶたこにとってブログを書くことは、
「誰かとおしゃべりすること」
とほとんど変わらないのでしょう。
そして、普段のおしゃべりでも、言葉につまるようなことはほとんどないので、文章を書く時もほとんどつまることがない。あっという間に書き上げてしまうのはそのせいかも。

ブログを「書く」と言うけれど、本当は字を書いているのではないですね。キーボードを打ってる。字を書くのが早いわけではなくて、キーボードを打つのが早いというところが、現代やなあ。
その昔、パソコンがはやり始める前、ようやくワープロがはやり始めたころかなあ、
「ワープロで文字を打つのに慣れてしまうと、字を覚えなくなる。字を覚えるのは、何といっても手書きするからなのである。ただキーボードのキーを叩いて、変換した文字を確かめるだけでは、いつまで経っても字を覚えられない。すなわち、日本人は日本語を覚えなくなり、日本語は廃れてしまうのである。よって、ワープロは日本語にとって害悪なのである」
というような言われ方をしたことがありましたな。
でも、それから何十年も経ってるけど、日本語は廃れずに使い続けられてますね。文字を覚えない、なんてことはあるのかなあ。漢字検定は(いろいろ問題はあったけど)、まだ流行ってるみたいやし。

便利な小道具とかが出てくると、ついつい「そんな便利さにだまされてはいけないのだっ」という、旧来の方法を後生大事にすべきという意見というか、風潮が生まれるんですけど、それっていい時と悪い時とあるなあと思いますな。
ワープロから発展して、パソコンでもコミュニケーションがとれるようになって、文字を交換できるようになって、ひとりひとりの世界が広がったのは間違いないことやし。
もちろん、すべてがすべて、新しいこと便利なことがすばらしいとは言いませんけどね。わたくしも相変わらず携帯電話を持ち歩かない生活やし(どうにも慣れない)。

手書きで文字を書く機会は少なくなったとはいえ、全くなくなったわけではありませんな。今日も図書館での手続きは手書きで住所氏名を書かなあかんかったし。仕事でもしょっちゅう手書きでメモをとるし。ちょっとしたメモなら、パソコンよりも手書きの方が楽やし早いから、仕事中は手書きが多いかなあ。
でも、機会が少なくなっているのは間違いないので、しょっちゅう書き間違いをするのも確かです。
あれ? 結局、間違わないためには手書きに慣れた方がいいっていう結論になる?
そんなつもりはなかったのに・・・・


と、話がまとまらなかったところで(^◎^;)、次のお題。

蒸し暑い日が続きそうなんで、ちょっと涼しげに、「氷」といきましょう。

ぶたこ、コレ書いて(^◎^)

ぶたこぶのコレ書いて~はじめます(^oo^)

ぶたこです(^oo^)

えっと、今日から新しい試みを始めます。
私、ぶたこ(^oo^)と、旦那のたこぶ(^◎^)は、夫婦それぞれブログを持っています。二人ともお互いの日記を書くのも読むのも楽しんでるんだけど、何か二人で一緒にできないかなぁということになりました。

きっかけは、今日行ってきた「田辺聖子文学館」。ここ最近、休日出勤が続いていたたこぶ、今日は月曜だけどお休みでした。お昼に回転寿司いったあと、帰り道、近所の樟蔭女子大に寄って図書館の利用申し込みをして、その図書館一階にある文学館を二人で見学したのです。展示の最後にこの文学館ができたときの記念対談が見られるブースがあって、月曜で空いてて誰もいなかったのをよいことに、一時間以上のビデオ二人で最初から最後まで真剣に見入ってしまいました。

大阪弁は聴覚からでなく、視覚からの表現が必要、いつも人生で希望を持って、持ち続けるのは難しいけど持ち続けられるように自分なりに工夫して、書くことが好きなら色々な文章を読んでみて、著名だといわれる作家作品をできるだけ全部読んで、好きな作家を見つけてその作品に隠された秘密を探って・・・・。もう刺激をたくさんいただきました。

文学館からの帰り道、私が「ねえ、たこぶ、私たち二人とも書くのも読むのも好きでさ、お互い自分のブログ持ってるけど、ブログって、自分でネタ見つけて、自分で書きたいなって思うことが浮かばないと書かないよね。で、ときどき、あんまりネタがないなって思ったり、書きたくないなって思ったりする。あのさ、お互いに書くネタを与え合うってのどうかな? コレについてどう思う? コレについて書いてみてって。書くネタを相手に投げて、お互いに交代で書きあうねん。そういう共同ブログを作るのって面白くない?」と提案してみました。なんだか聖子さんに刺激を受けて、頭の中にそんなことがパッと浮かんだのです。

たこぶもおもしろがってくれました。「それ、ええな。やってみよか(^◎^)」

ってことで、帰宅して、ブログを開設。色はどんな色? 枠はどんなの?と話し合って決めて、タイトルも、いっぱい候補を出し合って、「ぶたこぶのコレ書いて」に決めました。いつまで続くか分からないけど、どのぐらいの頻度になるか分からないけど、相手からコレ書いてと言われて書くのって、なんか面白いなって思います。その「コレ」について、自分でも思ってもみない記憶がよみがえるかもしれないし、相手が自分が想像もしないようなことを書くかもしれない。試してみようと思います。

交換エッセイは、自分のブログと二人の共通ブログの二ヶ所に文章をあげます。そして、同じ文章を二人の共同ブログ「ぶたこぶのコレ書いて」にもあげます。二人のブログを別々に読んでくれている読者は、それぞれのブログで読むことになるし、二人のやりとりをまとめて読みたいときは、この共同ブログを訪問していただくと読めることになります。読者がつくのかどうかは分からないけど、自分たち自身が楽しいので、やってみようと思います。


では、まずは自己紹介から。

私は、ぶたこといいます。家族は、旦那のたこぶと、ネコのガラ、モモ。子どもはいません。46歳ですが、来月には47歳になります。住んでいる場所は大阪府東大阪市。住みやすくて気に入ってます。

趣味は・・・なんだろう。やっぱり最初に来るのは音楽かな。歌をうたうのが好きです。ピアノも少し弾けます。英語を学んでいます。真剣に学びはじめたのは2001年。カナダに一ヶ月短期留学したことがきっかけです。学び続けてもう八年かぁ。ペラペラになんて、一生なれそうにもないけど、自分の思っていることが始めた頃に比べるとだいぶ伝えられるようになったなと思います。

世の中のこと、いろんなことに興味があります。その興味のモチベーションは、知らないから知りたい・・・という欲から来ているかもしれません。学生時代、自分でいうのもなんですが、不真面目でした(^oo^;) 大人になって、勉強っていいなぁ、学ぶっていいなぁって思い出して、今、どんなことも「へー知らなかったなぁ」って無知をさらけ出しながら、新しいことを学び続ける毎日です。

書くことが好きです。たぶん読むことも。あまり難しい文章は書けないけど、自分の心の奥の方にある小さなシワみたいな部分をなんとか書き出すことができたらいいな、そしてそんなシワみたいなものを交換できる友達が書くことを通してできると素敵だなと思っています。

46歳という年齢は、きっと人生の後半には入っているんだろうなって思いますが、まだまだ自分のことオトナになれきれていない未熟な存在だと思うし、もっともっと成長していきたいなと思っています。


って、こんくらいでいいかな。自己紹介になってるかな?

ってことで、まず第一回のネタをたこぶに投げたいと思います。ネタは、なんでもあり、細かいことでも、重くても軽くても。何にしようかなー。

んと、では、最初のお題は、「書く」。コレでいきます。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)