2009年9月23日水曜日

33.「健康」

ぶたこの女子高生話は面白かったなあ。高校時代のたこぶはまじめな男子校生(変換しない)だったので、ぶたこのような波瀾万丈はありません。高校自体の雰囲気が「温泉」と揶揄されるようなゆるんだ空気だったので、大した事件が起こるわけでもなく、大した活動をするでもなく、と過ぎていきました。まあそこで合唱部に入って合唱を始めることになったわけですが。

当時合唱部(吹奏楽部と合同で「音楽部」となっていました)の顧問の先生が3人いて(なぜ?)、そのうちの一人が体育の先生(女子)でした(なぜ?)。
その先生は学校の中でもいわゆる「名物」先生でした。どれくらい名物先生かというと、学校創設時から(うちの高校は戦後の新設校)保健体育の先生をしていて、理科(地学)の先生はその先生の教え子だったりするのです。「あの子はまじめな子だから」などと、まるで自分の生徒のようにその先生のことを話し出したりね。と書くと、なんだか優しそうな先生に思えるかもしれないけれど、とんでもなく厳しい先生で、声もでかく(校庭の端から名前を呼ばれて縮み上がることもあるぐらい)、どうやら学校内でも発言力が大きいらしい(生徒だから詳しいことはわかりませんが)という噂もありました。

クラブの顧問ぐらいなら(それも3人のうちの一人)どおってこともないのですが、保健の授業も受け持っていたのですね。しかも2年生の時には担任になりました。こわかったなあ。
先生としては、背筋のぴんとしたというか、一本筋が通っていて、とてもいい先生だったと思います。厳しいんだけれど、多くの生徒に慕われてたし。多くの先生にも尊敬されてました。
それだけ厳しい先生だったから、僕みたいなへらへらした生徒は好きになれなかったでしょう。でも偏見を持たない人だったので、いやな気分になることはなかったなあ。

で、保健の授業でいつも口を酸っぱくして言ってたことが「健康」です。
人生の基本、それは健康。健康であるかどうかが、幸福であるかどうかの基準である。
では「健康」とは何か。
それが高校最初の保健の授業の宿題でした。いまでも覚えています。
当時はインターネットなんかなかったから、みんなでなんやろか、なんちゅう問題や、などと言い合っていました。答えは分からなくてもいい、とにかく考えなさい、と。
で、答え。わからない(^◎^;)。なんじゃそら。
ただ、世界保健機構(WHO)が出した基準があります。
「健康とは、肉体的、精神的、社会的に健全な状態」
だそうです。これも何度も言われたので覚えていることです(正確ではないかもしれません)。

「この3つが満足されていなければ健康ではありません。肉体的に健康でも、また精神的に健康でも、社会的に健康じゃなかったら、それは健康じゃない。貧困、差別、戦争、そんな状態の中に生きている状態は健康じゃない」

よく「地球が病んでいる」なんて言うけれど、病んでいるのは地球じゃなくて人類のような気がします。人類は、全体で見ると今は健康じゃない。どこかで紛争があって、どこかで苦しんでいる人がいる。差別されている人、貧困にあえいでいる人。どこかにそんな人がいる。
社会的に不健康っていうのはなかなかやっかいです。肉体的な不健康はお医者さんが治してくれる可能性が高い。精神的な不健康も、最近は研究が進んできて、お医者さんに治せることが多くなってきています。
でも社会的な不健康は、何年も続いているのになかなか治りそうにありません。

長患いしているわけですが、これもいつかは治ると信じるしかありませんね。幸い生身の人間と違って寿命は長そうです。今後数億年は太陽が大爆発する心配もなさそうですし、地殻変動で地上の生物が絶滅するという危険もすぐには来そうにありません。基礎となる身体が大丈夫なうちに悪いところを治さなければいけないでしょうが、まだ時間に余裕はありそうです。
名医はそう簡単には見つからないかもしれませんが、誰もが健康でありたいと思っているはずですから、希望はありますね。


さて、社会的な健康はおいといて、個人的には、普段あまり健康に気を使っているとは言えません。体にいいことを何かしているかと言われると、まあときどき会社まで地下鉄の駅二駅分を歩いていますというぐらい。特別な運動は何もしていませんね。もともと運動音痴だったこともありますし、体力もそんなにないし。
食べるものにも全く気を使いません。よく中国産の食品を避ける、という人がいますが、あまり考えていませんね。安ければそれでいいとは思いませんが、「中国産だから危ないに違いない」とも思いません。
50年以上生きてきて、その間に食生活もいろいろ変わっていって(朝食はお茶漬けからパン食に変わりました)、化学調味料、化学肥料、合成食品、いろんなものはすでに食べ尽くしているような気がします。今更、という気もしていますね。

唯一気をつけているのは、アトピーなので、肌のケアですね。といっても特別なことをしているわけではありません。治療がうまくいって、今ではほとんど症状が出ないので、ほんとにケアするだけです。身体を洗う時には純石鹸を使う。洗い物をする時には必ずポリエチレンの手袋をする。汗をかいたらちゃんと拭く。毎日お風呂に入る。どれも特別に努力を必要とするものではないのが救いです。


いつのころからか、テレビでも健康が話題になっているというか、みんな健康に関しては関心が強いというか、そういう番組や通販宣伝が多いですね。通販が毎日毎日手を代え品を変えて宣伝して、多分儲かっているところを見ると、みんな健康には気をつけているんでしょうねえ。
健康のためには死んでもいい、という笑い話があったけど。健康のために割く時間とかお金とかを考えて、あまり考えずにその時間やお金を別に使うことにして、さてどっちが得か。まあ答えは人それぞれでしょうけどね。僕は今の使い方で十分かな。いつかは衰える時が来る。それは受け入れるしかないと思っています。大した覚悟ではないですが。


「健康」の話はこんなんでいいのかな。
さて次のお題。しばらく「コレ書いて~」が書かれなかった間に、政権交代があったりして激動の世の中になりつつあるような予感がします。
ということで、「予感」というのでどうでしょう。
ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年9月19日土曜日

32. 「女子高生」

さて、モバイル環境も整ったし、めでたくぶたの顔辞書もお引越ししたところで、えらいあいてしまいましたが・・・・(・oo・;)ぶたこぶの往復エッセイシリーズです。忘れてる人もいるやろな(^oo^;)

たこぶが前回「おばちゃん」について書いてくれたのが8月24日。確かその翌日だかにギックリ腰になったんやったな(^oo^;)そっからずーっとまとまって何かを考えて書く・・・という状態に脳みそも身体もならなくて、今日に至ってしまいました。その間に世の中は、総選挙があり、新しい政権が誕生して、新しい総理大臣が指名され、新しい内閣ができて、新しい政策方針が次々と示され、そして野党になった自民党は総裁選挙の候補者が昨日そろって・・・と、どんどん変化していってます。っていうか、この一ヶ月は日本の歴史の中でも、後々教科書に載るぐらいすごい変化した一ヶ月やったかもしれないですね。

今日、たかじんさんの番組で若い女の子タレントが三人出ていて、投票には行きましたか?と聞かれ、投票ってどうすればいけるんですか?投票するための紙はどこに届くのでしょーとか答えていた人がいて、あれだけ話題になった今回の総選挙でも若い女の子にとってのインパクトは、これぐらいなものなのかと、改めて実感したのでした。

たこぶからもらったお題は「女子高生」。
確かに女子高生というのは、いつの時代でもスゴイ。何がスゴイかわからんけど、とにかくスゴイ。なんていったって、男子高生が話題になることはないけど、女子高生は常に話題になる。だいたい、IMEのこの辞書も「じょしこうせい」と入れると一発変換したけど、「だんしこうせい」と入れても、「男子高声」としかでぇへん(^oo^; 認知されてないってことですな。言葉としても。

今の女子高生のことは、正直あんまり詳しくないおばちゃんになってしまった私です。確かに宇宙人のようにも見える。テレビや報道を通してみるとそう見えるときも多い。電車の中での会話もぜんぜんわからんときも多い。

でも、私の中で、どんな年代の人も、あんまり変わらない。赤ちゃんでも、小学生でも中学生でも高校生も大学生も若い女の子も中年になっても初老でもいわゆる年配といわれる年齢になっても・・・・。どの人も、「その人」であって、年いってる人を可愛いと思こともあるし、若い子を頼りになる、しっかりしてるって思うことも多い。でもって、表面上、たとえばガングロだったり、マスカラばっちりメイクだったりするような子でも、心の中はみんな同じ。みんな、それぞれの苦しみや悩みがあって、喜びや悲しみがあって、幸せや不幸せ感がある。それが表面上、どんな風に出てくるのか、出てこないのかに個人差があるって感じがする。

世の中に対する反抗心、親に対するもの、学校に対するもの、いろんなイライラ、疲労感、飽き飽き感、憎悪、愛情、それがメイクや服装や言葉遣いや態度に出てくる人もいる。乱暴になったり、文句ばっかり言ってたり、お化粧が濃かったり、服装が派手だったり、真っ黒だったり・・・・。

逆に押し込めてしまって、まったく平静を保っているようにしか見えない人もいる。心の中には、さっき書いたすべての正と負の感情が同じように渦巻いているというのに、それを出さない、出せない、出すすべを知らない・・・・。成績がよかったり、優等生だったり、親にも反抗しなかったり、学校も休まなかったり、誰とでも仲良しで、にこにこ笑顔で、で・・・・、ときどき、突然、表面にそれが現れたりする。そういうときには、往々にして重症になってしまっていたりする。


うーん・・・(^oo^;)女子高生がお題やんな。私、何を書いてるんやろう。

自分が高校生のときは、どんなんやったか。このお題を見たときに、それを考えた。
私ってどんな高校生やったんかな。私ってどんな女子高生やったんかなって。
そしたら、私は上に書いた両方の面を持ってた子やったかなって思った。

正の部分でいうと、たとえば、学級や生徒会の役員した経験がある。ホームルームに熱心やった。先生たちと仲良しやった。友達もまあまあ多かったかな。髪を派手に染めたりはしてなかったし、スカートを長くしたり短くしたりも、それほど細工しなかった。クラブ活動もまあまあやってた。

なのに。同じ人かって思うけど。負の部分もあった。
そうしていながら、私はよく授業をサボってた。役員とかしてる人間がそんなんしたらあかんやろって思うけど、特に高校の後半、欠課して、喫茶店にいって、今だから時効だと思うけどモクモクとかもしてた・・・。夜遅くまで繁華街もウロウロしてたなぁ。

心理的にもすごく渦巻いていた時期やった。家に帰るのがイヤやった。だから、夜遅くまでウロウロしてたんかもしれんなぁ。親とうまくいってなかった。中学からずっとだったけど。

一度、「家出します。探さないでください」とか書置きしたことがあって、そう書いておいて、学校に来ていた。学校の帰りにどっかにいこうかなぁ・・・ってぼうって考えてたような気がする。でも、そんなに大それた気持ちではなくて、なぜか軽い気持ちで。あかんやろって思うけど、多分、そのころは毎日、今の生活から逃げたい逃げたいって思ってたような気がする。

そしたら母親があわてて学校に連絡した。私は授業の途中で呼び出された。「こんな書置きしたんか」と先生に聞かれ、ハイと答えて、しばらく話して、ちゃんと家に帰るということで落ち着いたような覚えがある。なんて人騒がせなんや(^oo^;)あかんやろ・・・。はい(^oo^;)

人生がひっくりかえるような事実がわかって、いや、それほどのことではなかったんかもしれんけど、少なくとも当時の自分では抱えきれないようなことがあって、夜の街をウロウロして、電話ボックスに入って、親友に電話して「もう、あかん、わたし、もうあかんーーー」と号泣したこともあったなぁ。私の友だちをしてくれていた人たちには、ほんまに迷惑いっぱいかけた。すごく不安定で、泣いたり落ち込んだりしてばかりいたから。

友達だけではなくて、先生にもよく話しにいった。なんか、大人の人とそのころ話したかった。普通の大人の人と。多分、親ではない、外にいる大人の人と話したかったというのがあるのかもしれない。親が悪かったとかそういうのではなくて、なんていうか、息が詰まってくる毎日の中で、ついつい考えすぎて、突き詰めてしまうあの世代の感情を落ち着かせるのに、先生たちの存在は大きかった。放課後、しょっちゅう先生たちの準備室にいりびたって、人生相談してた。考えてみたら授業の準備するのにすっかり邪魔してたことになるなぁ・・・・。

若いころは悩むのが仕事っていう人もいるけど、その点でいうと、私はその仕事にほんま集中してました(^oo^;)こんな悩みがあるねんから、授業なんか受けてられへん、こんな気持ちで学校なんて・・・と、何かにつけて、勉強を「しない」理由にしてましたね。将来のことなんて考えず。将来なんて、「ない」方がいいいぐらいに思ってたわけだから、将来のために努力するとか、そんなんムダなわけです。そのころの私の論理としては。ほんま、どうしようもないなー。


そういう毎日でも、楽しいこともいっぱいあって、そう、こうやって思い返してみたら、いい友達もいて、いい先生に恵まれて、いい学校に行けて、ガハハハ笑った日々もあって、人とのふれあいの暖かさに涙したこともあって・・・・。

とにかく揺れ動いていたのです。女子高生のぶたこは。
そして、ぜんぜん優秀じゃなかった。
この子、これから先の人生どうなるの?って心配したくなるような子だったと思う。
そして、本当に心配してくれた人たちがたくさんいて、そんな人たちのおかげで、かまってくれた人たちがいたから、私の今があるんだなぁってこうやって書いていて改めて思う。

そんな高校時代をすごした私だから、どこかさっき書いた二つのタイプをミックスしたみたいな私だったから、若い人たち、いわゆる女子高生を宇宙人とは思わないのです。派手なカッコをして、繁華街(これも死後やな(^oo^;))をさまよっていたにしても、一生懸命、必死で優等生をしていたにしても、その中に悩みや苦しみやモガキを抱えている子がいて、それが、それぞれの形で出てきているのが若い時代なのかなーって。家庭に悩みがなくても、なぜ学ぶのか、なぜ生きるのか、なぜ息してるの?・・・とか、そんな考えてどうしようもないことを真剣に考えて、意味を見つめて、心のそこから苦しんだりできるのが、若さの特権なのかもなーって。

若いっていいです。
そして、そんな時代の自分からもう何十年もたって、すっかり「おばちゃん」といわれる年代に達してしまった私だけど、どこかであの高校生のときのモガキ、クルシミを、忘れたくないなぁ・・・と思っている自分もいます。そして、逆に、あー、あんな時代はもうたくさん、もっと気楽に生きたいよーって思ってる自分も。単純に生きたいと思ってみたり、いや、それでええんかって思ってみたり。大人になると考えることがいっばいあるのよっていうけど、大人になると、確かに生活の上で実際の出来事で考えなあかんことがいっぱいあるから、どこかで、基本的なこと、根本的なことを考えることを忘れたり、放棄したりしている気がするねんな。

あの、宇宙人のように見える女子高生たちも、たぶん、「なんで毎日こうやって学校いかなあかんの?」って疑問を持つことがあって、そんな「しょうもないこと」のように見える悩みが、けっこう人間として肝心な部分なのかもしれんなーって。

あーあ、また何を書いてるのか、わからんようになってきました(^oo^;)
これが私らしいといえばそうなのでしょー。

次のお題、久しぶりのリクエストです。今回しみぢみと感じました「健康」、これいきましょう。
たこぶ、コレ書いて~(^oo^)