2009年6月30日火曜日

12. 「半年」

たこぶに書いてもらった鉛筆だけど、私も大人になってから、すっかり使わなくなっていたんですね。でも、NYで衝撃を受けたというとおおげさだけど、鉛筆がまだまだ市民権をしっかり守っていたこと。特に音楽の世界で。入った合唱団では、楽譜の書き込みはみーんな鉛筆だった。それもシャーペンじゃなくて、削る鉛筆。音楽事務所で働いていたときも、ワークショップの準備用品のなかには、しっかり鉛筆が入っていて、当然、鉛筆削りも。個人的にも向こうの文房具やさんで鉛筆や鉛筆削りを購入したぐらい。必要だから。小さな鉛筆削りを持ち歩いておくと、芯が折れても平気だし。

日本での合唱経験では、他の人は知らないけど、私は楽譜の書き込みはいきなり赤ペンや蛍光ペンでしてました。知る限り日本でもオーケストラの譜面とかだとレンタルの場合があるので、書き込みは鉛筆でして、あとで消して返却と聞いたことがあるけど、合唱の場合、基本的に楽譜は自分で買い取るし、あとで消す必要はないので、自然に赤ペンで書くようになったんだと思います。目立つしよく見えるし。

でも、向こうで、普通に鉛筆を使っているうちに、なんだか鉛筆に愛着がわいてきて・・・。最近通っている合唱団の練習にもしっかり鉛筆を持って行って書き込んでいます。この団の場合、練習指揮者と本番の指揮者が違うので、もしかしていいかもしれない。本番の指揮者が練習指揮者と違う指示をしても、簡単に消して書きなおせるし。鉛筆、案外いいのかもなーって思ってます。シャーペンは削る必要はないっていうけど、芯が途切れたときに、カチカチカチって何度もノックして、なかなか芯が出てこないときってあせるんですよね。だから結局テストのときとかには、何本も持たなくちゃいけない。ちなみにシャーペンの場合、私のこだわりは、0.3のBです。細いけど濃い。これがきれいに書ける。でも最近、シャーペン使ってないなぁ。鉛筆をせいぜい使ってやろう。赤鉛筆と青鉛筆が背中合わせでくっついているのとか、ゼンゼン使ってなかったし。使ってあげよう。


おっと、すっかり鉛筆話になってしまった。
だって次のお題、「半年」って(^oo^;) なにそれー(^oo^;)(^oo^;) モノの名前っていうより、観念やんなぁ。

半年ってどのぐらいの長さなんやろ。一ヶ月が六回。何日とは言えないのだな。その間にある一つ一つの一ヶ月が28日の場合もあれば31日の場合もあるから。だから、いってみたら、適当な長さ。だいたいやねー(って誰かこういうモノの言い方する人おったなー)。

今から半年前、私は何してたやろ。おー、年末かぁ。クリスマスも終わって、年越しも一人でするんかぁって、ブルックリンのアパートでそんなこと思ってたなぁ。

NYに行ったのが4月だけど、その半年後の10月ごろには、合唱団にいくつも入って、教会のオルガンもときどき弾いたり、歌のレッスンを受けたり、音楽学校で指揮のクラスを受講したり(単位はもらえないただの見学のようなもんやけど、とりあえずの参加)と、老人ホームでのボランティア以外に、1年の滞在でここまでさまざまな体験ができるとは、思ってもみなかった。4月に現地についた頃は、1年間まぢめに老人ホームでのボランティアをやり遂げて帰ることだけを考えてもんなぁ。もしかしたら、ホームのなかで歌をうたったり、ピアノを弾いたりすることが、「あるかも」しれんなぁって、かすかな可能性は想像してたかもしれんけど、ホームでの活動の外で、あそこまでいろんなことがあるとは、ほんまに想像もしてなかった。

で、もう半年さかのぼってみて。
4月の半年前のおととしの10月。私は、小さな小さな夢として心の底に「外国の老人ホームで働いてみたいなぁ」って持ってたけど、まさかかなうとは思ってなかった。これっぽっちも思ってなかったよ。一生のうちにかなうような夢じゃないと思ってた。できたらいいなぁというよりは、「ああ、もっと早くから英語勉強して、もっと若いうちにやっておけばできたかもしれんなぁ」ぐらいで、やっといたらよかったなぁと過去の自分に夢を語ってたような感じ。その私が半年後にはNYで老人ホームのボランティアを始めているわけやから、人生分かりませんね。

言いたいのは、半年という期間は、ときどき予測のつかないことが起きるぐらいの期間になりえるってことかな。それぐらいの未来になりえる。自分の人生、何が起きるか誰にも予想できないもんね。逆にいうと、あまり嬉しくない方向にがーんって変わってしまう可能性だってある。極端にいうと、もうこの世にいないことだってありえるわけやんね。

それから、もっというと、なぁーんもないってことも、これもよくある(^oo^;) ぼーっと暮らしていたら、知らん間に、半年たっとったってことは、しょっちゅーあります(^oo^;) 半年はたってないけど、私が帰国してから、もう二ヶ月半ですか。なぁんもしてない気がするもん(^oo^;) この約二倍もすると、もう半年やもんなぁ。何かしなくちゃ、何か始めなくちゃ、もっと勉強しなくちゃ・・・・と、一応はあせってみるも、たいして何もしてない間に、ぼっぼって、一ヶ月単位で過ぎていってる気がする。そして、もうすぐ私は一つ年をとってさえしまうのですな(^oo^;)

こうやって並べてみたら、すごく動きの激しい半年もあれば、ゼンゼン動きがないように見える半年もある。私、これ、どっちもええなぁって思うねんなぁ。過去を振り返ってみると、なぁんもしてなかったわーっていう、動きがない方の半年も、実は、モグラみたいに土の中でセッセセッセと働いて、自分の住まいを整えていたり、球根から芽が出て、それが土の上まで出てくるまでの期間だったり・・・。自分の中で気がついていないんだけど、苦しいことも、哀しいことも、ムダに見えることも、一人一人との出会いが、会話が、毎日目にしている景色や、耳にする音や、感動する心や、ケンカしてしまうすさんだ心でさえも、半年後にもしかしたら起こるステップの備えになっているのかもしれないって。その半年半年の積み重ねで、人生はできているのかもしれませんな(^oo^)


・・・・って、ちょっとこじつけかな(^oo^;)(^oo^;)

この「半分」っていう観念、適当で、ええ加減でよろしいな。考えてみたら。

・一ダースの半分は、半ダースで六個。
・一日の半分は半日。これが12時間かというと、時々は起きてる時間の半分ぐらいの観念だったりするから6時間ぐらいを示すこともあったり。
・半時間は30分。これも大体っていう感じで使うときが多い。
・一人前の半分は、半人前。これも一人前の丁度半分じゃなくて、一人前に満たない状態をからげて、半人前というたり。
・一世紀の半分は半世紀。おー50年かぁ。
・おまんじゅう、半分分けて、おせんべい半分分けて、牛乳半分飲ませて・・といっても、ほんまに正確に半分はかる人は見たことない。いつも適当で、愛情の度合いや、二人の関係によって、ちょっと割合が変わったりしますねんな。


半分。面白いね(^oo^)

半年から、半分になってしもたわ、たこぶ(^oo^;)

えっと、次のお題。ちょっと真面目モードにしようかなぁ。
うんとね、「平等」。これにしよ。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

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