2009年11月10日火曜日

35.「喜び」

ずいぶんと間があいてしまいました。おかげで自分が前に何をお題にしたのかさえ忘れている始末。面白い企画やと思いつつ書いてるんだけど、忙しくなるとついつい後回しになってしまうのは仕方のないことですなあ。

さて、「喜び」ですが。
この言葉を聞いて思い起こすのは2つのこと。そのどちらも、あまり気持ちのいい物じゃないのです。
ひとつは、お隣の国の「喜び組」。なんかそんな名前の団体がありましたなあ。きれいどころが集まって将軍様のために「喜んで」歌ったり踊ったりしてはるらしい。
まあ人に尽くす、人のために、人に喜んでもらうために何かをするというは、美しい行為だとは思いますけどね。ただその喜び方が、あまり気分のいいものではないのですね。おかげで「喜び」という言葉にまで影響しているという、悲しいつながりです。

もうひとつは「喜びの歌」。ベートーヴェンの第九交響曲ですな。終楽章の歌詞がシラーの「歓喜に寄せて」で、主題が喜びの歌として知られているものですね。
いや、ベートーヴェンは大好きな作曲家だし、第九交響曲も素晴らしい曲だと思いますよ。
でも、合唱をやってると「第九、歌ったりするんでしょう」といろんな人に言われるのがめんどくさいんですね。
さらに、猫も杓子も、というほどではないにせよ、誰でも合唱といえば第九、歓喜の歌、というイメージを持っているのが、なんとも居心地が悪いんですね。わたくし、この歌をまともに歌ったことがないもんで、余計にそう思うのかなあ。それと、大したことのない演奏を何回も聴いたせいもあるでしょうねえ。
プロのオーケストラが(時にアマチュアのオーケストラが)アマチュア合唱団と一緒に演奏したりするんやけど、なかなか名演奏には行き当たらないというのが正直なところ。加えてソリストもいいとなるとほとんど皆無に近いかも。もう数え切れないくらいにCDとかも出てるんでしょうけど、今聴いて感動できるかどうか。中には、歌詞の意味も分からんと歌ってるんちゃうのという(ソロも含めて)演奏もあってねえ。
でも、それを否定するのはやっぱりよくないよなあと思います。歌いたければ歌えばいいんだから。それこそ個人の「歌いたい」という欲望を、歌う喜びを誰も止めることはできないわけやし。「上手じゃないからやめておきなさい」なんていう権利は誰にもない。だからここまでの話は、ただの個人的な愚痴ていどのことです。

ただ、世間的に第九を特別扱いする風潮が(特に年末が近づくと)出てくるのはどうかなあと思います。「世界の平和を願った崇高な曲」確かにそうでしょうけど、ほかにそういう曲がないかといえば、そんなことはないわけでね。
ただ、ミサ曲とかじゃない、つまりは宗教的な束縛のない歌詞、世俗曲でここまで人間を賛美したのは珍しいといえるでしょうけど。あ、天使ケルビムがでてきてたかな。

そんなわけで、単純に「喜び」というと、変な方向に気分が行ってしまうのでした。某居酒屋で、料理を注文すると「はい、喜んで!」と大声で答えられるとどぎまぎしてしまうのも、そんな気持ちがこちらにあるせいかなあ。まああれは、いかにも喜んでいるようで、実はマニュアルで言わされているだけなのだ、というのが分かっているから、余計に違和感を感じてしまうのだろうけど。うわべだけの喜びほどうさんくさいものはないしね。


気分を持ち直して、改めて自分の喜びについて考えてみましょう。
ものすごい、涙を流すような喜びというのは、そうそうあるものではないですね。喜びが幸せと同義と考えてもいいとしても、すごい幸せを感じる時ってなんだろうなあ。

ほんとにつまらないことだけれど。去年ひとり暮らしをしている時、とても殺伐としたニュースがテレビから連日流れていた時があった。どんな内容だったかは覚えていないけれど、他人のことなんか気にしない僕でも、どうして人間はこんなに殺伐とした生き方しかできないんだろうと、暗い気分になってしまった。
そんなとき、お昼ご飯を食べに外に出た。家の近くの手作りコロッケのお店でランチを食べた。その時、最初に出てきたスープを一口飲んで、なんておいしいんだろうって思った。そして、こんなおいしいスープを飲める自分は、なんて幸せなんだろうって思った。こんなおいしいものがこの世の中にあるのに、こんなおいしいスープを作る人がこんな近くに住んでいるのに、どうして世の中は殺伐としているんだろう。そう思って突然、胸がいっぱいになってしまいました。
喜びは、こういう日常の小さなことの積み重ねかなあ、と思います。


さて。
次のお題を考えなければ。
ちょっと前に台風が来た時、停電に備えて用意しました。「ろうそく」でどうでしょう。
ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年10月15日木曜日

34. 「予感」

帰国してすぐは、毎日やることないなー、妙にヒマやなー、どうしよーとか言ってた私ですが、最近、なんとなくほぼ毎日予定が詰まってくるようになりました。フルタイムで仕事しているわけじゃないのに、なんだか気持ち的にバタバタしとります。

で、またまたしばらく寝かせていました、たこぶとの交換エッセイ。今回、たこぶが投げてくれたお題は「予感」です。予感ですか。予感ねー。霊感でもない。ヤマ感でもない。第六感とはまた違うよね。

予感。たこぶ的にいうと、私は予感が当たりやすいタイプみたい。特に、野球見てるとき、私が「次、ホームランっ」とかいって、本当にホームランが出たときがあったり、たこぶが「次は打つで(^◎^)」といったときに、私が「いや、三振!」となんか感じる。それが当たっていたりすることも多い。これ、「多い」ってだけで、何も確率的に証明されていないし、はずれてることも同じように「多い」って気がするけど、たこぶはなぜか私の予感が「当たる」と信じているみたい。

たぶん、その一番大きな原因は、新庄やろなぁ。
阪神からメジャーにいって、日本ハムで現役生活を終えた、あの新庄選手のことです。
まだ阪神にいた頃やったか、ある試合で、新庄が敬遠ボールをヒットしたことがあったんです。そのとき、私たちテレビの前でライブで見てました。で、新庄の打席が来て、敬遠。キャッチャーが立ち上がって、横にずれた。

なんか、私は、腹が立ってた。勝負してーやーって。で、「新庄、打てぇぇぇぇ!!」と叫びましてん(^oo^;) そしたらたこぶが、完全にわたくしをバカにしたように「ナニいうてんの? 敬遠やのに、打つわけないやん(^◎^)」とせせら笑いまして。私は、「そんなことないで、打てるかもしれん。新庄、まけるなー、敬遠なんかくそくらえやー、打ってまえーーー」と叫び続けてまして。

次の瞬間です。たこぶの目がテンになりました。
新庄が、バットを思い切りのばして、フォームも何もあったもんちゃう、野球の基本も関係ないっとばかりに、バットを思い切り振り回しましてん。そしたら、そのバットがボールに当たった! で、しかも、ヒットぉぉぉ!!

これに、たこぶは、ものすごく驚いたようで(^oo^;) 私は勝ち誇ったように、「ほれほれほれ、見てみぃなー、私のいうたとおりになったやろ? 新庄うったやろ? でへへへへへーー」というわけです。

それからでしょうな。たこぶが、「ぶたこの予感、恐るべし」と思い始めたのは。

何か印象的なこと、大きな予感が一つ当たると、「こいつの予感は当たるのだ」と、思い込ませることができる、ええ例なのかもしれないです。


私自身、自分の予感が当たるかというと、ようわかりません。
っていうか、予感とは違うけど、目の前にいる人が、何が欲しいのか、何を考えているのかを「感じる」ことには、もしかしたら敏感な方かもしれんなーとは、思ったことがあります。もちろんはずれることもあるし、鈍感になることもあるけど。

学生時代アルバイトしていた飲食店で、お客さんがタバコを吸いたいなーって思ったその瞬間に灰皿を出していたり、何かこぼした瞬間におしぼりを出していたり、メニューが見たいなと、目をやった瞬間に、ハイっとメニューを差し出したり。このアルバイトで培われたものかとも思っていたけど、考えてみたら、もっと昔から来ているのかも。

子供の頃から、自分の両親や兄弟と暮らすことがほとんどなくて、誰か他の家族の中に入れてもらって暮らしてきた私。いってみれば、他人の中で育ってきたともいえるわけです。とても大切にしてくれたけど。なんというか、異文化の中で暮らしてたともいえるのかな。というか、自分自身の文化がなかった。自分の直接の両親や兄弟だけと、大きくなるまで暮らし続けると、自分たちだけのルールや習慣ってのができて、それがその家を出るまで続くけど、私は数年ごとにその「文化」が変化してまして。高知に住んでたとき、兵庫、大阪、そして自分の母親と。自分の母親と暮らしはじめたときでさえ、その前に暮らしていたのは一歳の頃で、それ以来になるわけだから、はじめて一緒に暮らすのとほとんど同じ。新しい「文化」がそこにありました。

暮らす家族が変わるたびに、新しい環境になじまなくてはいけなくて、空気を感じなくてはいけなくて、うまくやっていきたいと子供心に思うんでしょうね。きっと。それから、家族以外の友人や先生たちとの関係も、その一時的な家族と同じように大切だった。それで、周りで起きていることや、周りの人たちが思っていることを、感じよう、わかろうと必死でしていたのかもしれないです。

たこぶと結婚してから、自分の家族が初めてできたような気持ちがしています。結婚して18年。ずーっと同じ人と、しかも二人だけで暮らしてきているから、二人だけのルールや習慣ができて、それが何も言わなくても続いていく。これが快適だったりするんですね。だから、なにごとも敏感にかんじる必要はなくなって、楽になりました。っていうか、楽になって初めて、あー楽やなーって分かったという感じかな。

子供の頃の私は、一生懸命感じようとしていたんだなって、今になって分かるわけです。
だから、この人はこれからこんなことするんじゃないかな、こんなことが起きるんじゃないかな、こんなことを思ってるんじゃないかなって、それを感じようとするから、それが「予感」につながることも、時々あるのかもしれないですね。

こうやって、自分で整理して考えると、ほんと、人間って面白いですね。元々持ってる性格もあるけど、環境によって作られるものも大きいのだなぁと。

で、自分の子供時代を「かわいそうに・・・」と思うかというと、そうでもないです。
この「感じよう」とすることは、語学をやっていても、あるいは音楽をやっていても、おおいに役立っていると思うから。語学でも、自分が知っている言葉や表現は限られているし、知っている言葉でもいろんな意味合いが多方面にある。そういう足りない部分を補うのは、相手が何を考えているのか「感じる」ことなのかもしれないです。それによって、コミュニケーションがスムーズに行くような気がするんですね。相手の気持ちに共感することができれば、そんなに流暢に離せなくても、通じることってありますもんね。音楽でも同じで、隣で歌ってる人がどうしているのか感じてあげると、ハーモニーもうまくいったりするし、前で引っぱっている指揮者がどう思っているのかを感じることで、音楽が流れていく。


こう書いていくと「予感」というのは、ある意味、周りで起きていることにアンテナを張って、「感じた」ことのデータをもとに打ち出す計算結果に近いのかもしれないなーって思ってきました。どうかな?>たこぶ。

もしかしたら、まったく何の根拠もなしに、ふと感じる「予感」みたいなものもあるのかもしれないけど。そういうのがあったら、思い出したら、また書いてみたいと思います。


ってことで、予感の話はおしまい。
次のたこぶに書いてもらうお題、何にしようかなー。

うーんと・・・・。基本的な言葉にしよう。たこぶがどう思うか興味ある。
「喜び」 これにします。いろんな「喜び」があると思うし。

んじゃ、たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年9月23日水曜日

33.「健康」

ぶたこの女子高生話は面白かったなあ。高校時代のたこぶはまじめな男子校生(変換しない)だったので、ぶたこのような波瀾万丈はありません。高校自体の雰囲気が「温泉」と揶揄されるようなゆるんだ空気だったので、大した事件が起こるわけでもなく、大した活動をするでもなく、と過ぎていきました。まあそこで合唱部に入って合唱を始めることになったわけですが。

当時合唱部(吹奏楽部と合同で「音楽部」となっていました)の顧問の先生が3人いて(なぜ?)、そのうちの一人が体育の先生(女子)でした(なぜ?)。
その先生は学校の中でもいわゆる「名物」先生でした。どれくらい名物先生かというと、学校創設時から(うちの高校は戦後の新設校)保健体育の先生をしていて、理科(地学)の先生はその先生の教え子だったりするのです。「あの子はまじめな子だから」などと、まるで自分の生徒のようにその先生のことを話し出したりね。と書くと、なんだか優しそうな先生に思えるかもしれないけれど、とんでもなく厳しい先生で、声もでかく(校庭の端から名前を呼ばれて縮み上がることもあるぐらい)、どうやら学校内でも発言力が大きいらしい(生徒だから詳しいことはわかりませんが)という噂もありました。

クラブの顧問ぐらいなら(それも3人のうちの一人)どおってこともないのですが、保健の授業も受け持っていたのですね。しかも2年生の時には担任になりました。こわかったなあ。
先生としては、背筋のぴんとしたというか、一本筋が通っていて、とてもいい先生だったと思います。厳しいんだけれど、多くの生徒に慕われてたし。多くの先生にも尊敬されてました。
それだけ厳しい先生だったから、僕みたいなへらへらした生徒は好きになれなかったでしょう。でも偏見を持たない人だったので、いやな気分になることはなかったなあ。

で、保健の授業でいつも口を酸っぱくして言ってたことが「健康」です。
人生の基本、それは健康。健康であるかどうかが、幸福であるかどうかの基準である。
では「健康」とは何か。
それが高校最初の保健の授業の宿題でした。いまでも覚えています。
当時はインターネットなんかなかったから、みんなでなんやろか、なんちゅう問題や、などと言い合っていました。答えは分からなくてもいい、とにかく考えなさい、と。
で、答え。わからない(^◎^;)。なんじゃそら。
ただ、世界保健機構(WHO)が出した基準があります。
「健康とは、肉体的、精神的、社会的に健全な状態」
だそうです。これも何度も言われたので覚えていることです(正確ではないかもしれません)。

「この3つが満足されていなければ健康ではありません。肉体的に健康でも、また精神的に健康でも、社会的に健康じゃなかったら、それは健康じゃない。貧困、差別、戦争、そんな状態の中に生きている状態は健康じゃない」

よく「地球が病んでいる」なんて言うけれど、病んでいるのは地球じゃなくて人類のような気がします。人類は、全体で見ると今は健康じゃない。どこかで紛争があって、どこかで苦しんでいる人がいる。差別されている人、貧困にあえいでいる人。どこかにそんな人がいる。
社会的に不健康っていうのはなかなかやっかいです。肉体的な不健康はお医者さんが治してくれる可能性が高い。精神的な不健康も、最近は研究が進んできて、お医者さんに治せることが多くなってきています。
でも社会的な不健康は、何年も続いているのになかなか治りそうにありません。

長患いしているわけですが、これもいつかは治ると信じるしかありませんね。幸い生身の人間と違って寿命は長そうです。今後数億年は太陽が大爆発する心配もなさそうですし、地殻変動で地上の生物が絶滅するという危険もすぐには来そうにありません。基礎となる身体が大丈夫なうちに悪いところを治さなければいけないでしょうが、まだ時間に余裕はありそうです。
名医はそう簡単には見つからないかもしれませんが、誰もが健康でありたいと思っているはずですから、希望はありますね。


さて、社会的な健康はおいといて、個人的には、普段あまり健康に気を使っているとは言えません。体にいいことを何かしているかと言われると、まあときどき会社まで地下鉄の駅二駅分を歩いていますというぐらい。特別な運動は何もしていませんね。もともと運動音痴だったこともありますし、体力もそんなにないし。
食べるものにも全く気を使いません。よく中国産の食品を避ける、という人がいますが、あまり考えていませんね。安ければそれでいいとは思いませんが、「中国産だから危ないに違いない」とも思いません。
50年以上生きてきて、その間に食生活もいろいろ変わっていって(朝食はお茶漬けからパン食に変わりました)、化学調味料、化学肥料、合成食品、いろんなものはすでに食べ尽くしているような気がします。今更、という気もしていますね。

唯一気をつけているのは、アトピーなので、肌のケアですね。といっても特別なことをしているわけではありません。治療がうまくいって、今ではほとんど症状が出ないので、ほんとにケアするだけです。身体を洗う時には純石鹸を使う。洗い物をする時には必ずポリエチレンの手袋をする。汗をかいたらちゃんと拭く。毎日お風呂に入る。どれも特別に努力を必要とするものではないのが救いです。


いつのころからか、テレビでも健康が話題になっているというか、みんな健康に関しては関心が強いというか、そういう番組や通販宣伝が多いですね。通販が毎日毎日手を代え品を変えて宣伝して、多分儲かっているところを見ると、みんな健康には気をつけているんでしょうねえ。
健康のためには死んでもいい、という笑い話があったけど。健康のために割く時間とかお金とかを考えて、あまり考えずにその時間やお金を別に使うことにして、さてどっちが得か。まあ答えは人それぞれでしょうけどね。僕は今の使い方で十分かな。いつかは衰える時が来る。それは受け入れるしかないと思っています。大した覚悟ではないですが。


「健康」の話はこんなんでいいのかな。
さて次のお題。しばらく「コレ書いて~」が書かれなかった間に、政権交代があったりして激動の世の中になりつつあるような予感がします。
ということで、「予感」というのでどうでしょう。
ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年9月19日土曜日

32. 「女子高生」

さて、モバイル環境も整ったし、めでたくぶたの顔辞書もお引越ししたところで、えらいあいてしまいましたが・・・・(・oo・;)ぶたこぶの往復エッセイシリーズです。忘れてる人もいるやろな(^oo^;)

たこぶが前回「おばちゃん」について書いてくれたのが8月24日。確かその翌日だかにギックリ腰になったんやったな(^oo^;)そっからずーっとまとまって何かを考えて書く・・・という状態に脳みそも身体もならなくて、今日に至ってしまいました。その間に世の中は、総選挙があり、新しい政権が誕生して、新しい総理大臣が指名され、新しい内閣ができて、新しい政策方針が次々と示され、そして野党になった自民党は総裁選挙の候補者が昨日そろって・・・と、どんどん変化していってます。っていうか、この一ヶ月は日本の歴史の中でも、後々教科書に載るぐらいすごい変化した一ヶ月やったかもしれないですね。

今日、たかじんさんの番組で若い女の子タレントが三人出ていて、投票には行きましたか?と聞かれ、投票ってどうすればいけるんですか?投票するための紙はどこに届くのでしょーとか答えていた人がいて、あれだけ話題になった今回の総選挙でも若い女の子にとってのインパクトは、これぐらいなものなのかと、改めて実感したのでした。

たこぶからもらったお題は「女子高生」。
確かに女子高生というのは、いつの時代でもスゴイ。何がスゴイかわからんけど、とにかくスゴイ。なんていったって、男子高生が話題になることはないけど、女子高生は常に話題になる。だいたい、IMEのこの辞書も「じょしこうせい」と入れると一発変換したけど、「だんしこうせい」と入れても、「男子高声」としかでぇへん(^oo^; 認知されてないってことですな。言葉としても。

今の女子高生のことは、正直あんまり詳しくないおばちゃんになってしまった私です。確かに宇宙人のようにも見える。テレビや報道を通してみるとそう見えるときも多い。電車の中での会話もぜんぜんわからんときも多い。

でも、私の中で、どんな年代の人も、あんまり変わらない。赤ちゃんでも、小学生でも中学生でも高校生も大学生も若い女の子も中年になっても初老でもいわゆる年配といわれる年齢になっても・・・・。どの人も、「その人」であって、年いってる人を可愛いと思こともあるし、若い子を頼りになる、しっかりしてるって思うことも多い。でもって、表面上、たとえばガングロだったり、マスカラばっちりメイクだったりするような子でも、心の中はみんな同じ。みんな、それぞれの苦しみや悩みがあって、喜びや悲しみがあって、幸せや不幸せ感がある。それが表面上、どんな風に出てくるのか、出てこないのかに個人差があるって感じがする。

世の中に対する反抗心、親に対するもの、学校に対するもの、いろんなイライラ、疲労感、飽き飽き感、憎悪、愛情、それがメイクや服装や言葉遣いや態度に出てくる人もいる。乱暴になったり、文句ばっかり言ってたり、お化粧が濃かったり、服装が派手だったり、真っ黒だったり・・・・。

逆に押し込めてしまって、まったく平静を保っているようにしか見えない人もいる。心の中には、さっき書いたすべての正と負の感情が同じように渦巻いているというのに、それを出さない、出せない、出すすべを知らない・・・・。成績がよかったり、優等生だったり、親にも反抗しなかったり、学校も休まなかったり、誰とでも仲良しで、にこにこ笑顔で、で・・・・、ときどき、突然、表面にそれが現れたりする。そういうときには、往々にして重症になってしまっていたりする。


うーん・・・(^oo^;)女子高生がお題やんな。私、何を書いてるんやろう。

自分が高校生のときは、どんなんやったか。このお題を見たときに、それを考えた。
私ってどんな高校生やったんかな。私ってどんな女子高生やったんかなって。
そしたら、私は上に書いた両方の面を持ってた子やったかなって思った。

正の部分でいうと、たとえば、学級や生徒会の役員した経験がある。ホームルームに熱心やった。先生たちと仲良しやった。友達もまあまあ多かったかな。髪を派手に染めたりはしてなかったし、スカートを長くしたり短くしたりも、それほど細工しなかった。クラブ活動もまあまあやってた。

なのに。同じ人かって思うけど。負の部分もあった。
そうしていながら、私はよく授業をサボってた。役員とかしてる人間がそんなんしたらあかんやろって思うけど、特に高校の後半、欠課して、喫茶店にいって、今だから時効だと思うけどモクモクとかもしてた・・・。夜遅くまで繁華街もウロウロしてたなぁ。

心理的にもすごく渦巻いていた時期やった。家に帰るのがイヤやった。だから、夜遅くまでウロウロしてたんかもしれんなぁ。親とうまくいってなかった。中学からずっとだったけど。

一度、「家出します。探さないでください」とか書置きしたことがあって、そう書いておいて、学校に来ていた。学校の帰りにどっかにいこうかなぁ・・・ってぼうって考えてたような気がする。でも、そんなに大それた気持ちではなくて、なぜか軽い気持ちで。あかんやろって思うけど、多分、そのころは毎日、今の生活から逃げたい逃げたいって思ってたような気がする。

そしたら母親があわてて学校に連絡した。私は授業の途中で呼び出された。「こんな書置きしたんか」と先生に聞かれ、ハイと答えて、しばらく話して、ちゃんと家に帰るということで落ち着いたような覚えがある。なんて人騒がせなんや(^oo^;)あかんやろ・・・。はい(^oo^;)

人生がひっくりかえるような事実がわかって、いや、それほどのことではなかったんかもしれんけど、少なくとも当時の自分では抱えきれないようなことがあって、夜の街をウロウロして、電話ボックスに入って、親友に電話して「もう、あかん、わたし、もうあかんーーー」と号泣したこともあったなぁ。私の友だちをしてくれていた人たちには、ほんまに迷惑いっぱいかけた。すごく不安定で、泣いたり落ち込んだりしてばかりいたから。

友達だけではなくて、先生にもよく話しにいった。なんか、大人の人とそのころ話したかった。普通の大人の人と。多分、親ではない、外にいる大人の人と話したかったというのがあるのかもしれない。親が悪かったとかそういうのではなくて、なんていうか、息が詰まってくる毎日の中で、ついつい考えすぎて、突き詰めてしまうあの世代の感情を落ち着かせるのに、先生たちの存在は大きかった。放課後、しょっちゅう先生たちの準備室にいりびたって、人生相談してた。考えてみたら授業の準備するのにすっかり邪魔してたことになるなぁ・・・・。

若いころは悩むのが仕事っていう人もいるけど、その点でいうと、私はその仕事にほんま集中してました(^oo^;)こんな悩みがあるねんから、授業なんか受けてられへん、こんな気持ちで学校なんて・・・と、何かにつけて、勉強を「しない」理由にしてましたね。将来のことなんて考えず。将来なんて、「ない」方がいいいぐらいに思ってたわけだから、将来のために努力するとか、そんなんムダなわけです。そのころの私の論理としては。ほんま、どうしようもないなー。


そういう毎日でも、楽しいこともいっぱいあって、そう、こうやって思い返してみたら、いい友達もいて、いい先生に恵まれて、いい学校に行けて、ガハハハ笑った日々もあって、人とのふれあいの暖かさに涙したこともあって・・・・。

とにかく揺れ動いていたのです。女子高生のぶたこは。
そして、ぜんぜん優秀じゃなかった。
この子、これから先の人生どうなるの?って心配したくなるような子だったと思う。
そして、本当に心配してくれた人たちがたくさんいて、そんな人たちのおかげで、かまってくれた人たちがいたから、私の今があるんだなぁってこうやって書いていて改めて思う。

そんな高校時代をすごした私だから、どこかさっき書いた二つのタイプをミックスしたみたいな私だったから、若い人たち、いわゆる女子高生を宇宙人とは思わないのです。派手なカッコをして、繁華街(これも死後やな(^oo^;))をさまよっていたにしても、一生懸命、必死で優等生をしていたにしても、その中に悩みや苦しみやモガキを抱えている子がいて、それが、それぞれの形で出てきているのが若い時代なのかなーって。家庭に悩みがなくても、なぜ学ぶのか、なぜ生きるのか、なぜ息してるの?・・・とか、そんな考えてどうしようもないことを真剣に考えて、意味を見つめて、心のそこから苦しんだりできるのが、若さの特権なのかもなーって。

若いっていいです。
そして、そんな時代の自分からもう何十年もたって、すっかり「おばちゃん」といわれる年代に達してしまった私だけど、どこかであの高校生のときのモガキ、クルシミを、忘れたくないなぁ・・・と思っている自分もいます。そして、逆に、あー、あんな時代はもうたくさん、もっと気楽に生きたいよーって思ってる自分も。単純に生きたいと思ってみたり、いや、それでええんかって思ってみたり。大人になると考えることがいっばいあるのよっていうけど、大人になると、確かに生活の上で実際の出来事で考えなあかんことがいっぱいあるから、どこかで、基本的なこと、根本的なことを考えることを忘れたり、放棄したりしている気がするねんな。

あの、宇宙人のように見える女子高生たちも、たぶん、「なんで毎日こうやって学校いかなあかんの?」って疑問を持つことがあって、そんな「しょうもないこと」のように見える悩みが、けっこう人間として肝心な部分なのかもしれんなーって。

あーあ、また何を書いてるのか、わからんようになってきました(^oo^;)
これが私らしいといえばそうなのでしょー。

次のお題、久しぶりのリクエストです。今回しみぢみと感じました「健康」、これいきましょう。
たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年8月24日月曜日

31.「おばちゃん」

「おばちゃん」と聞いてまず思い出すのは、「おばちゃんのブルース」です。笑福亭仁鶴さんの大ヒット曲。ローカルヒットやったかもしれんけど。当時出演していた「ヤング・オー!オー!」でよく歌ってはりました。当時、仁鶴さんはいろんな番組の司会とかでも引っ張りだこで、絶大な人気を(関西では)誇っていたので、大ヒットもありかも、という気がします。今聞いても、なかなか泣かせる曲です。
当時子供だった僕も、この曲を聴いて「世の中には見えないところで頑張って働いているおばちゃんがいっぱいいてるんや」と教えられた思いがあります。そういう人たちに支えられて、世の中は動いている。その思いは今につながっています。ちょっと気取った言い方やけど。

一般に「大阪のおばちゃん」というと、元気があってどぎつくてがめつくて、生命力にあふれていて、声が大きくてうるさくて、がめつい、ずうずうしい、なれなれしい、etc. と言われるけれど、全部が全部そんな人ばかりではありません。だいたい「大阪の」でくくってしまうのもどうかと思うし。よく言われるのが「大阪では電車に乗る時に、降りる人を待たないで乗り込む」というのがあるけれど、僕の経験から言うと東京でもドアが開いた途端に乗ってくる人が結構います。地域性というのはあるかもしれないけれど、それでくくられるのはどうかなあ。
話がそれそうになるけれど、まあ百歩譲って(50歩ぐらいでいいかもしれないけれど)、大阪のおばちゃんは上記に挙げたような人ばかりではありません。
遠慮深い人は遠慮深いし、静かにしゃべる人も結構います。ただ、そういう人は人前で目立たないので分からないだけ。大声でしゃべる人は人前で目立つし、そういうひとのしゃべってる内容はたいがいが面白いものやし。あ、しゃべってることが面白いというのは、あるかもしれないなあ。どこかで話の落ちをつけないと気が済まないところはあります。確かに。でもこれはおばちゃんに限らず、大阪人の特性でもあるけどね。

となると、「大阪のおばちゃん」とはなんぞや、ということになって、ますます難しいことになりますね。弱ったな。話題を変えよう。

「おばちゃん」と呼ぶ時は、たいがいの場合は親しみを込めた響きがありますな。これと対照的なのは「おばはん」。こちらはちょっと剣があるというか、いやなやつを呼ぶ時の呼び方ですな。
「ちょっと、おばちゃん」というと、柔らかく呼びかけるような響きがあるけれど、「ちょっと、おばはん」と言うと「そこ、どいてんか」と続けてしまうような、ややけんか腰ともいえる響きになってしまいます。まあ、「おばはん」と言うことはほとんどありませんが。ときどき「おばちゃん」と言いつつ後者の響きになる時もあるので、要注意。何を注意するんだか。

ぶたこの話に出てきた番組の、ふたりぐみのおばちゃんは、ほんまにパワフルで頼りになりそうな人たちでした。そうそう、大阪のおばちゃんのもうひとつの特徴は、「誰にも臆することがない」つまり誰に対してもヘイコラしないし、かといってえらそうにもしない、つまりは誰とでも対等になるってところかなあ。この番組の二人組の最大の共通項ではなかったかしらん。「人なつっこい」というのと通じるところがあるねんけど。誰とでも普通にしゃべる。
自身が「おばちゃん」であることを理解すると、自分より若い子は「にいちゃん」「ねえちゃん」であり、同年輩なら「奥さん」であったり「あんた」であったりするし、自分より年配なら「おとうさん」「おかあさん」であったりする。もちろん血のつながりなんか関係ない。おばちゃんにとっては「人類みなきょうだい家族」なのですな。

これは強い。なにより家族であるからして、同じ家族の利益を考えないわけはない。家族であるからして、家族の安全を第一に考えて当然である。家族であるからして、守ってもらって当然である。

そういう「家族の一員」であることを、おばちゃんのまわりの人間は認識しないといけません。そしてその家族の要には、きっちりとおばちゃん自身が座っているのでありますな。
というわけで、誰もおばちゃんには逆らえないわけです。逆らってはいけないのです。おばちゃんが3人、横並びで道をふさいで歩いていたとしても、迷惑がってはいけないのです。そこは「家族であるみんなが使う道を、家族の一員であるおばちゃんが通っている」だけなので、それをどうこう言う権利は誰にもないのです。歩道を全速力でママチャリで駆け抜けていっても、迷惑がってはいけないのです。道を譲るのが家族の一員の正しいありかたです。

だんだん卑屈になってくる自分が、哀れに思えてくるのでこのへんで。
では次のお題にいきましょう。
わたくしが「おばちゃん」と並んで、この世の最強生物と思っている(おばちゃんと覇権を争ってるに違いない。われわれ男子の知らない世界で)、「女子高生」です。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年8月22日土曜日

30. 「三味線」

さて、たこぶとの往復エッセイです。
今回のお題は「三味線」。

最近の私はどっちかっていうと洋風の音楽に関わりが深い生活なのですが、子供の頃は、けっこう和風な習い事をたくさんしていました。10歳まで離れて暮らしていた母が、一緒に住み始めてからも商売で家にいないことが多く、夕方早くから夜中まで帰ってこなかったので、一人でいる寂しさをうめるためにも、外の世界との関わりを持つためにも、習い事をしなさいとすすめてくれました。今から考えると、そんな費用も捻出してくれていたんだなと感謝ですね。

小学校高学年の頃は、なぜか、お茶、お花、三味線・小唄を習っていたのです。これって、小学生にしたら珍しいですよね。お茶とお花は、二軒お隣の運送屋さんの奥さんが先生をしていて、運送屋さんの二階に教室がありました。すぐ近くということもあって、ここに数年通っていた覚えがあります。といっても、そんなに真剣な習い事って感じではなく、毎回出てくるお饅頭が楽しみで、お抹茶も大好きで、そのお茶の合間にお花も生ける・・・みたいな感じかなぁ。たぶん、週に一度通ってたと思います。

三味線と小唄は、母親と一緒に通ってた覚えがあるけど、これはあんまり長続きしなかったような。家に三味線もありましたねー。母は仕事に必要というか、習っておきたいと思っていたらしく、あんたも一緒に習ったらどう?と連れていってくれました。1年は続かなかったんじゃないかなー。その後小学校の終わりから中学にかけての二年ぐらいは日本舞踊も習っていたので、ほんと、この頃は和風に傾いてました。今から思うと、もっとちゃんと続けていれば、今ごろ、使い物になったのになーって。っていうか、英語を学び出して、海外に友人もできると、逆にこういう和風の趣味がちゃんとあるといいなってあこがれるのです。外国の友人に教えてあげたい、見せてあげたいって。これから先の人生で、いつかまた習う機会があるといいのになぁ。自分で習うとなると、他にやりたいことに優先して費用をかける・・・・というのが、なかなか難しいんですね、これが。どうしても必要なことではないし。でも、いつも、何か新しい習い事を・・・と思うたびに、日本舞踊はまたやってみたいなぁ・・と思うことの一つです。

こういう習い事がまったく役に立たなかったかというと、そうでもなくて、前にも書いたけど、今でも時々日本舞踊の会のアナウンスの仕事を頼まれるのは、アナウンスができて、その上で、ああいう日本の音楽や踊りを少しは知っているということが理由なのかもしれないと思います。わかってくれている人がやってほしい・・・と主催者側は思われるようで。少しかじっただけでも、まったく知らないよりマシですもんね。人生、どんな小さな経験でも、邪魔にはならない、後で役に立つこともあるってことですね。


さて、話は戻って三味線。
多分、今、目の前に出されても、全然弾けません(^oo^;) 自慢ぢゃないけどっ。
覚えてるのは、調子に、本調子、二上がり、三下がりっていう種類があったなぁ・・・とか。楽譜は、数字譜やったなぁ・・・とか。三本ある弦がそのまま三線紙になっていて、おさえる弦のところに数字が書いてある。でも、音符の長さは分からん。長さは、お師匠さんから口伝えで教わって、それを覚えるんですね。バチの使い方も難しかったなー。あと、口三味線の言い方。「チリ」というと、左手の弦を押さえる指で、「り」のときに弾くとか。「シャン」となると、複数の弦を一度に弾きおろす音やったかなーとか。そのカナによって、奏法が現れていたって記憶です。流派は、里園流だった気がする。お師匠さん、お元気かなぁ。あの頃もう「おばあちゃん」って感じやったけど(^oo^;)

お琴や三味線や篠笛や尺八・・・。自分が日本人であるわけだから、こういう和風の楽器を一つぐらいできるといいですよね。楽器を買わなくても習えるところがあったら、これもまた、いつかやってみたい楽器かなぁ。

この機会にと、Wikipediaで三味線を調べてみました。
三味線の皮は、ネコからできているとどこかで聞いたことがあったけど、私は、実は信じてませんでした。あるいは、「上等なのだけはそうかもしれんけど、お稽古用とか、普通の人が使うのは、何か人工のに違いない」と思い込んでました。でも、今、これを読むと、えーーー「一般に」ネコを使用していたのー? ネコの腹だって(;oo;)怖いよー(;oo;)(;oo;) でもって、最近は材料不足のおりから、犬の皮が使われているとか。もっと怖いかも・・・・。知らんかったー。今や、ネコを愛する私たち、ネコの家族がいる我が家なので、それを考えると、前言撤回、やっぱり三味線は習いたくないよーって思ってしまいました(;oo;)

楽器って、バイオリンの弓とかも馬の毛だったり、動物を使っていることが多いんですよね。それって、複雑だなー。でもまだ「毛」ならいい。だって死ななくても毛ならもらえそうな気がするから。ネコの腹の皮・・と聞いたら、ものすご怖いよーと思ってしまいます。

あー、ここからどこにも話が進められなくなってしまった(^oo^;)

ネコが出てきたところで、わが家のもう一つの心配ごと。
この春の終わり、我が家のネコ、ぶーこが天国にいったのですが、実は、残った二匹のうち、ガラくんも最近元気がないのです。夏バテかなぁとも思ってたけど、どうやら違うみたい。食べなくなり、水もあまり飲まなくなり、げっそりやせてきて、じゃれてこなくなり、寝ていることが多くなり、ゴロゴロしたり、ニャアニャアと可愛い泣き声もあげなくなり・・・・。獣医さんに相談して、部屋を涼しくしたり、新鮮な水をと色々してみたけど、あまり変わらない。この週末、先生のところに連れて行ってみてもらおうと思っています。ぶーこが逝ってしまってまだ日が浅いというのに、ガラも・・・というのはつらすぎるし、がんばってこの夏を乗り切って、また涼しくなったら元気になってくれないかなーというのが、私たちの願いです。


三味線からこんなところにいってしまったわ(^oo^;)


さて、次のお題のリクエスト、何にしようかなー。
そうそう、昨日ね、テレビ東京で10時からやってた番組、見た方おられます? 三林京子さんと元かしまし娘の庄司照江さんが主役で、実在する大阪のおばちゃんを演じてはりました。大阪市の財政のムダを徹底的に指摘するおばちゃんオンブズマンの話。これが、ものすご痛快でしてん。しかも、その再現ドラマ、脇役に至るまで全ての人が、カンペキな関西弁をしゃべってた。こういうパターンのドラマって、関西弁が不自然で、内容よりもそれが気になってしまうものなんだけど、昨日のは、ほんまその点でも気持ちよかった。主役の演じっぷりも見事で、シリーズ化して、二時間ドラマになれへんかなって思ったぐらい。あの家政婦シリーズみたいに。で、これは実際にあった話なので、ホンモノのその二人のおばちゃんも出演してはったけど、そのお二人のキャラがまた素晴らしい! 大阪のおばちゃん万歳!って思いました。再放送とかないかなぁ。


ってことで、次のお題ね、「おばちゃん」にします。
たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年8月15日土曜日

29.「あんこ」

大好物です、あんこ。あんこには「こしあん」と「つぶあん」があるけれど、どちらかというと「つぶあん」が好きです。人によってはあのつぶつぶが苦手という人もいるらしいですが、あのつぶにはあんこのエキスというか、あんこの元がぎっしりつまっているようなイメージがあって(そんなことはないのだろうけれど)、とても好きです。

大阪であんこというと「回転焼き」と「おはぎ」ですな。回転焼きというのは関西弁かなあ。関東地方では今川焼きともいうらしい。というのは子供のころ読んだマンガで知った。
近所の商店街には回転焼きやさんがあって、よくおやつというかお土産に(近所の商店街のお土産というのもおかしいけれど)買ってもらったなあ。同じ店では、夏場になるとアイスコーヒーも売っていて、店先でガラスのコップになみなみとつがれたのが出てきてその場で飲むんだけど、これが関西風に言うと「キンキンに」冷えていて、とてもおいしかった。

大阪には「御座候」という(大阪じゃないかも。本店は姫路らしい)回転焼きの老舗があって、時々買います。(今調べたら、「回転焼き」という言い方はしないのですね。商品名は「御座候」なのですと)
昔、商店街で買ったのと比べると、断然皮が薄いですね。商店街の回転焼きは皮(生地というのかなあ)がとても分厚かった。まあ、生地も含めて「回転焼き」ということなんでしょうけど。食べる方の目的は何といっても中のあんこなので、やはり皮は薄い方がよろしい。書きながら唾がわいてくるわい。

「泳げたい焼き君」という歌があったけど、たい焼きは子供のころは一般的ではなかったなあ。テレビドラマで見るくらいで。たい焼きの中身があんこだというのも、ずっとあとで知ったかなあ。

あんこのもう一つの代表、おはぎですが、これが彼岸の食べ物だという印象はあんまりないなあ。まあ子供のころは、年の行事にそもそもあんまり興味がなかったということもあるけど。

そういえば、子供のころは家であんこを作っていたなあ。小豆を炊いて。詳しい作り方は知らないけれど、鍋に一杯の小豆を炊いていた覚えがある。それで時々、火にかけているのを忘れて焦がしてしまったり。そんなこともあったような。少々焦げてもかまわずにそれであんこを作って。そしたら、やや苦みのあるあんこができたりしてね。
記憶違いかもしれないけれど、やや焦げのついたあんこを食べた覚えがある。家であんこを作るというのは一般的だったのだろうか。それが彼岸の習慣だったのだろうか。

あんこそのものじゃないけれど、今だったらアイスクリームの「あずきバー」。なぜだかアイスクリームの中で、一番冷たいような気がする。あずきの力なのか。あんこの力なのか。硬くて冷たくて、というのは昔からあずきバーが一番だった。ときどき歯が立たないくらいに硬くて冷たくて、唇がアイスにくっついてしまったりとか。そんな経験ありませんか。

あんこを使ったたべものはまだまだある。あんドーナツにあんパン。最近の僕の好みはあんドーナツだけど、子供のころはあんパンしかなかったかな。なんか子供のころの話ばっかりになるけれど。そういえば、と今思い出したけど、子供のころは粒あんのあんパンよりこしあんのあんパンを好んで食べてたなあ。子供のころはつぶつぶがイヤだったのだろうか。まあ子供やから、柔らかいものを好むとういうのは分かるが。分かるって、自分のことやねんけど。
考えてみると、あんこは西洋のものじゃないよなあ。それと西洋のパン(あるいはドーナツ)と一緒にして、しかもおいしかったというのは、誰のアイデアだったんでしょう。思いついた人はエライ。


今日はお盆で、近所のお寺では河内音頭が流れている。太鼓と三味線とエレキギター。変わった取り合わせだけれど違和感がありませんな。三味線とエレキというのは、寄席番組で見慣れているからかもね。
では次のお題。「三味線」にしましょう。どないでしょうか。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年8月11日火曜日

28. 「豆腐」

こっちもほったらかしになってました。たこぶとの往復エッセイです。
たこぶから投げられた今回のお題は「豆腐」。豆腐かぁ。

豆腐といえば、「味がない」、「だから嫌い」というのが、子供の頃の私でした。
子供の頃、こういう微妙な味がまったく理解できず、コンニャク、豆腐、水炊きが嫌いでした。はっきりとした味、鍋物なら、すき焼きが大好きでした(って、しょっちゅう食べられるわけでもなかったのですが、とにかく甘辛ければ、豚肉でも鶏肉でもスキヤキと思っていた)

今思い出しても気持ち悪いのですが、昔、水炊きが夕食のメニューのとき、みんなはポン酢をつけて食べているのに、私だけなんと生卵をつけて食べていたのです(^oo^;) スキヤキのつもりになって、おいしいと思い込もうとしていたらしいけど、水炊きってそれでなくても味がないのに、それと生卵なんて、余計気持ち悪いやんっ。何でそんなことを思ったんでしょうね、私(^oo^;) コンニャクも嫌いやったなぁ。味ないもんって。ガンモドキとか、ああいう系統だめでした。

いつから好きになったんやろう、豆腐。大人になってからって思うけど、何歳ごろからか覚えてない。でも、今は、私もたこぶも豆腐は大好き。もちろん上等のおいしい豆腐も好きだけど(京都で食べる湯豆腐なんて最高だー)、別に安もんでもいいんです。いわゆる、充填豆腐ってんですか? ああいうのでも気軽に買ってきます。スーパーに行って、その日に売り出しになってるのをあんまり細かいこと気にせずに買います。時々、なんとか次郎とかいう、上等の豆腐が売り出しになってたら、思い切って買ってきたりして、「おー、やっぱり上等の豆腐は味が違うなー(^oo^)(^◎^)」と、ものすご幸せを感じつついただきます。これも、普段安もんの豆腐を食ってるからこそ、上等の素晴らしさが分かるのだ、だから普段の庶民な生活は意味があるのだと、自分たちに言い聞かせている部分もあります(^oo^;)

豆腐って、便利ですよね。生でも食べられるし、炒めて麻婆豆腐にもなるし、味噌汁に入れてもいいし、グラタンにもできるし、チクワやニンジンと一緒に炒り豆腐にして副菜にもなります。

アメリカでも豆腐はもう普通にスーパーで売ってました。ハウスが幅きかせてたなぁ。日本食スーパーにいかなくても、ブルックリンでもマンハッタンでも、シータウンや、アソシエートとかいう、日本でいうところのサティとかヨーカ堂やサンディみたいなスーパーでばりばり売ってました。一緒に住んでいたリサも豆腐大好き。特にNYでは、ベジタリアンの人が多くて、そんな人たちには豆腐は肉代わりにたんぱく質がとれるということもあって、欠かせないものみたいです。野菜と一緒に炒めるという食べ方が、リサんちではポピュラーでした。っていうか他の食べ方、あんまりしてなかったかも。私がカレースープを作って豆腐入れたら、おいしいおいしいと言って食べてくれたなぁ、あー懐かしい(●^oo^●)

日本食でいうと、豆腐や寿司は、NYの人たちは、日本人以上に頻繁に食べてるんじゃないのってぐらいでした。彼らにしてみたら、本場は日本なんだから、日本人はもっともっと頻繁に寿司を食べているんだろうと思っているらしいけど、寿司なんて特別なとき以外は食べないし、大体家で作らないもんっていうと、驚く人も多かったです。食べないよね(^oo^;)寿司。運動会とかひな祭りのときに、お母さんがチラシ寿司を作るとか、イナリ寿司を作るとかはあるか。それから最近だと家族で手巻き寿司とかあるのかな。我が家はそういうのなかったです。二人暮らしだったし。っていうか、母と二人で暮らしていた10歳から大人になる頃までも、食事はほとんど別々だったから、要するにいつも一人で食べていたし。それで手巻き寿司ってのもおかしいもんな。たこぶと暮らしてからも、二人で手巻き寿司ってのはやったことないです。何回か、チラシ寿司をインスタントのん買ってきて、作ったことあるぐらい。イナリ寿司は、もしかして作ったことないかも。あー、ダメダメ主婦なのがばれてしまう(^oo^;)

そうそう、お寿司といえば、たこぶ家を思い出します。お正月に家族が全員集まるとき、それとかたこぶの実家での法事のとき、出てくるのが決まって出前のにぎり寿司なのです。だから、にぎり寿司といえば、たこぶのご両親の味がするって感じ。今の私には。そんな私の人生の後半になって加わった新しい思い出、習慣、歴史ってのもええもんです。お盆には帰れないけど、今月末にお父さんとお母さんところに会いに行く予定。元気にしてはるかな。久しぶりに会えるの楽しみだ。


あら・・・・またまた豆腐から寿司まで、すっかりふらふらと横道にそれてしまったわん(^oo^;)いつものことか。

さて、次のお題は何にしようかなー。豆腐ときて、私が寿司に寄り道して、日本の味といえば、他に何があるやろう。「あんこ」これにしよう。魚のあんこうちゃいまっせ。小豆のあんこ、これです。

んじゃ、たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年8月5日水曜日

27.「雑草」

わが家の庭です。


たくましいなあ。「雑草魂」というと現オリオールズの上原が座右の銘にしていましたね。たくましさの象徴のように言われますな、雑草。確かに、そこら中に生えているよく分からない草草には力強さを感じます。

雑草という種類はないのですね。あたりまえやけど、庭に生えているわけではない、育てているわけではないのに生えてくる。丹誠込めて育てる草花もきれいですけどね。

地球は本当はそういう雑草に覆われている方が健康なのかもしれないなあと思います。「スターウォーズ」に出てくる、地表がすべて人工物で覆われた星。あれは怖かったなあ。でも昔々、そう大阪万博のころはそういう「未来都市」みたいなものに幻想があって、あこがれていたところもあったな。真鍋博というイラストレーターが描いた未来都市。高層ビルの間を突き抜ける高速道路、流線型の車、宇宙服のようなものを着た人々。そこにはなぜか自然のものは描かれてなかったなあ。今やったら受け入れられるかどうか。

さて、最初に紹介したうちの庭(無理やり「庭」と呼んでおきます)に生えている草草。それぞれに名前があるんでしょう。といっても自分たちでつけた名前ではなく(あたりまえ)、わたしら人間が都合上分類上つけた名前なんですけど。オオバコとかアザミとかは分かるんですが、そのほかのものはわかりません。一番繁殖しているこの丸い葉っぱは何という名前だろう。マメのような葉っぱだけれど。ツルになってないからマメじゃないなあ。葉っぱの下には小さなキノコもいっぱい生えてます。キノコといえば、かつてお風呂場で、ほっららかしにしていたボディブラシにキノコをはやしてしまったこともありましたな。そうやって、ズボラな生活をしていると雑草やらキノコやらに好かれるのかもしれませんね。

庭の雑草は今や最盛期。実は去年も(これほどではないにしても)たくさんの雑草が生えていたんですけど、冬になると一気にしぼんでしまって、ただの土くれだけの庭になってたんですね。やっぱりこんな小さな庭では何も育たないのだなあと思ってたんですけど、1年経つとまた復活。この「復活」するエネルギーもまた、雑草の雑草たるゆえんかなあ。
決して日当たりも良くない(北向きです)わが家の庭に生えている色々な草草(雑草と言わず、こう言っておこう)は、派手じゃないけどいい感じ。毎日眺めて喜んでます。はい。


しばらく更新をサボってましたな。すみません(_◎_)。時間が開いたわりには大したことも書けませんでしたが、ま、こんなもんでしょう。

うちの庭の草はマメではないと思いますが、マメといえば豆腐、ですな。
というわけで、次のお題は「豆腐」でお願います。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年7月27日月曜日

26. 「冷凍冷蔵庫」

冷凍冷蔵庫ですか。
わが家の冷蔵庫のこと、ここで何度か話題にしているので、覚えている人もいるかもしれませんが・・・・。ほとんどタダでゲットしたものなのですな。これが。

ビック・カメラという大型店で冷蔵庫を買いまして。10万円を少し超える値段だったと思うねんけど。支払いしようと思ったら、百人に一人、10万円までタダというキャンペーンに見事に当選! ほんの数千円とかしか払わなくてすんだ・・・という話だったように思います。もうだいぶ細かいこと忘れたなー(^oo^;) で、お金も出していないのに、買ったことになっている分のポイントを使って、ガスレンジをゲット。買ったとはいえないな。冷蔵庫もガスレンジも、わが家でガンガン活躍してくれています。

新しい冷蔵庫になってから変わったこと、なんだろう。一番の恩恵は、夏の氷かな。自動製氷機能。この話も、氷のときに前に書いたな。昔はいちいち製氷ケースに水をいれて作っていたのが、今は自動でバンバンできるので、すごく助かってます。氷がある暮らしってのは、ほんま、最高です。あと、デザートとかをいただいたときの保冷剤を冷やしておいて、タオルにつつんで首にまいたりします。これでだいぶ涼しい。冷房ナシで過ごす昼間もいいし、寝るときにもいいです。

それから、これは実感としてはないんだけど、たぶん電気代がだいぶ安くなってる・・・はず。大きくなってるのに、前のこれより小さい冷蔵庫よりも電気代が安い。技術の進歩ってのはすごいですね。ほんとはクーラーとか、テレビとか、いろんなモノが新しい方が安いんやろなぁ。デジタルテレビをまだ購入していないわが家、DVDレコーダーもないわが家。いつかは買うことになるんかもしれんけど、新しい方が電気代が安いんかもしれんけど、買うときの出費を考えると、まだそういう気持ちになれましぇん。

それから、なによりも、冷蔵庫が大きい。大きいってことは、すごい・・・・とは思います。
しかし・・・・。うちの冷蔵庫、満タンにになることがほとんどないんですな(^oo^;) よくテレビで、冷蔵庫拝見!とかいうコーナーがあって、どこのお宅の冷蔵庫も満タンだったりします。あんな風にはならない。

冷凍庫には何が入ってるか。

ご飯を炊く時三合か四合炊いて、あまった分をお茶碗一杯ずつぐらいの量に分けてタッパで冷凍してる。炊いた日にはこのタッパが四つとか五つとかできます。だんだんなくなっていって、全部なくなったらその日の晩、また三合か四合炊きますねん。

お肉。豚肉や牛肉なら一キロとかまとめて買ってきて(外国産でも気にしないので、百グラム100円以下のもん)、あるいは鶏モモやムネもまとめて四つとか買ってきて、冷凍します。買い物いったそのときには、これがいくつかあり、使ってどんどんなくなっていく。

あとは、アイスクリームかな。
それから、保冷剤。
あっ、それから食パン。安いときに(100円とか89円とかのとき)に二斤とか買って、一斤はすぐに使い、残りの一斤を冷凍します。

冷凍してるのはこれぐらい。おかずとか、ゆで野菜とか、昔は冷凍してたことあったけど、今はあんまりしない。たこぶにお弁当を作って頃が新婚の頃あったけど(^oo^;)、今は作ってないから、冷凍食品もほとんど買わない。


冷蔵庫の方。
普通に、卵、豆腐、ハムとか、買ってきたもん。
漬物とかは一種類か二種類までかな。なくなってから次を買う。
調味料はまあまああるかな。香港系調味料、タイ系調味料、マヨネーズ、ケチャップ、めんつゆとか。
あと、飲み物か。牛乳。朝ごはん用に。コーヒーに混ぜる。あと、夏場はジュース類(こだわりはナシ。安ければなんでもいいところあり)。特に風呂上りに必須。それから水。ミネラルウォーターを買うのでなく、鉄管ビールを楽しんでます。冷やすとうまいです。普通に。余ったペットボトルに何本もつめて、喉が渇いたら家でも飲むし、出かけるときには持っていく。ときどきは少し冷凍してから持っていく。それから、麦茶。あとは、野菜室に野菜。

でも、これだけ並べても、こんなにいっぱいと思うけど、冷蔵庫が大きいから、スキスキガラガラなのです。買い物に行って、豆腐やコンニャクやシュウマイや野菜とか、いーっぱい買ってくるとしても、それがほとんどなくなるまで、あんまり買い足さない。ズボラで有名なわたくし、買い物の日を一日延ばしにするのが得意(^oo^;) 今日行くぞって、チラシをチェックするも、あー雨だ、あー暑い、あー練習だ、あー翻訳が面白い・・・と、買い物が明日になり、あさってになるのですな。おかげで、冷蔵庫が空っぽ近くになっても、すごくがんばって色々考えるから、冷蔵庫はさらに空っぽに近くなるのです。

でも、こういう生活でええのかなーって思います。冷蔵庫って空いてる方が電気代も安いらしいしね。ときどき、もっと小さい冷蔵庫でいいんかもって思うけど、大きいけど電気代は高くないねんから、それが空いてて、いざっていうときのために大きくてもいいかって、そう思うことにしてます。


そうそう、こないだあるテレビ番組で実験してました。おもしろかった。
ある家庭の冷蔵庫。すごく満タン。中味を調べてもらったら、奥の方から、あることも忘れていた食材が、ざっくざく。賞味期限が切れているものだらけ。あら、こんなものも、あらま・・・の連続。ないと信じて買い足していたものが、同じものが、奥からバンバンでてきたり。

で、この家庭の冷蔵庫替えてみた。小さいのに。半分ぐらいの容量の冷蔵庫に。めちゃ小さい。買いだめができない。どうなったか。驚くことに、逆に買い物に行く回数が減ったんです。面白いね。あるものが全部見わたせて、あれを使ってこれを作ろうと計画しやすい。ムダが減る。使うお金も減るっていう結果。

子どもがいるいないもあるし、近所にスーパーがあるかどうかもあるし、共働きかどうかもあるし、家庭によって事情は違うけど、この結果は面白かったです。冷蔵庫が小さい方が、買い物に行く回数が減るなんて。

「道具」ってものに、現代人は中毒になってるんじゃないかなーって反省も含めて思うことがあります。こないだ面白かった新聞記事のなかに、旅に持っていく道具ベスト10というのをあげたけど、とにかく、何かをしようとするときに、徹底的に「武装する」というか、必要なモノを買い揃えるところからはじめるって傾向ありますよね。こないだの日食でも、カメラとか、キャンプ道具とか。準備から楽しむという点では確かに面白いねんけど、なんか、十分な道具を持っていなかったら、不安になるっていう面が自分にもあるような気がするなぁ。

今、広島への旅を計画しているけど、旅するとき、持っていくもの。色々あります。

まず考えるのが充電器。携帯があれば、携帯の充電器。でもたこぶと考えて「携帯が切れたときは、使わなければいいね。だから持っていくのやめ」と決定。デジカメはたこぶと私、二つ。電池の形態が違うから、二種類の充電器。でもこれも、「二人ともが持っていくわけだから、どっちかの電池がなくなっても、かたっぽのカメラで撮れればいいやん。だから、持っていくのやめよ」って決定。そうして、身軽にしていかないと、なんかそういう「武装関係」で、どんどん持ち物が増えてしまって、カバンがどんどん重くなって、身動きがとりにくくなる。って感じがします。

ガイドブックも、前にいったときに、ブックオフで100円で買ったものだけど、なんだか重いなー、実はたいしたこと書いてない。お店の羅列だったりする。ほならもう、中にはさまってる携帯用の地図、これだけにしようかな。これさえあれば、街は歩ける。おいしいお店とかは、歩いて見つければいいし、その辺歩いてる地元の人に、いきなし話しかけて聞いてみるのも面白いかもしれん。

この「武装」しないと不安っていう自分を乗り越えて、あまりモノを持たない状態でいることを鍛えるというか、そうしないと、実は周りの景色とか、人とのふれあいを、楽しめてない気がするねんなぁ。どうなんでしょね。これだけ思っても、心がけても、やっぱ便利なものは欲しいし、物欲はなくならない。あー、人間よーって感じ(^oo^;)


おっと、冷凍冷蔵庫やったな。
まっ、終わり方は冷蔵庫ぢゃなかったけど、こんなもんでしょ。わはははははは。


では、次のお題にいきまーす。えっと、何にしようかなー。
うちのベランダで元気に育っている「雑草」これにしよう。これでお願いします。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年7月24日金曜日

25. 「風」

「風」というと、はしだのりひことシューベルツの曲を思い出す(北山修作詩)

人は誰もただ一人 旅に出て/人は誰もふるさとを振り返る
ちょっぴり淋しくて 振り返っても/そこにはただ風が吹いているだけ

この曲が流行ったころは、小学生だったと思うなあ。ラジオか何かで聴いていた。2番の歌詞に、

プラタナスの枯れ葉舞う 冬の道で/プラタナスの散る音に 振り返る

というのがあって、「プラタナス」という言葉の響きに惹かれてしまった。そういう名前の木があるのだ。知らなかったなあ。

「風」という言葉のなかには、なぜか「自由」と同じような響きがあるように思う。「風のように自由に」という言い回しがあるからかなあ。ないか? あったような気がする。これも歌の題名か?

風を盛り込んだ歌はいっぱいあるなあ。柴田南雄という人が北原白秋の「風」という詩をテキストにした合唱曲は、とても美しい曲だ。

遠きもの まづ揺れて/つぎつぎに 目に揺れて/揺れ来るもの 風なりと/思う間もなし 我いよよ/揺られ始めぬ

よく考えてみると、風というのは面白い現象だ。それは現象であって、「風」そのものは実体としては存在しない。空気の流れるさま。それを感じると「風」と呼ぶのだ。(どうだ、まじめくさった文章だろう)

だから、風そのものを捉えることはできない。木が揺れる、草が揺れる、洗濯物が揺れる、自分の身体が揺れる、涼しい、寒い、そういうことを感じると、「あ、風が吹いてる」と思う。

ところが、風を捉えようとした人もいる。昔々「炎の人 ゴッホ」という映画を見た。子どものころだったので、詳しいストーリーはほとんど覚えていない。ラストで、麦畑のまん中でせわしなく油絵を描き上げたあと、銃で自殺するシーンは衝撃的だった。こどもやったしね。そのラストと同じぐらいに印象に残っているシーンがある。友人のドガと共同生活を送っている時のこと。その地方に嵐がやってきた。みんな戸を閉め切ってびくびくしている。するとゴッホがドガに、
「さあ、今だ! 風を描きに行こう!」
と言って、嫌がるドガにイーゼルほか画材道具一式を持たせて、強風の畑の中に立たせる。もちろん、イーゼルは強風に吹き飛ばされ、キャンバスもぼろぼろ。ドガが、「もうやめよう、早く帰ろう」と叫ぶように訴えても、ゴッホは、「これだ! 今がチャンスだ! これを描くんだ!」とこちらも叫びつつ吹き飛ばされそうなイーゼルを必死で押さえる。もちろん絵なんか描けるわけもなく、あきれかえったドガは、「もう知らん!」とその場をあとにする。
まさに「炎の人」!
芸術家って、こういうものかなあと、幼い頭に漠然と印象づけられたのでした。

「風」というのは、芸術家の魂を刺激するものなのかもしれませんな。

自然な風はとても気持ちがいい。自然な風が起こらない時は扇風機も回すけど。風があるとないとで涼しさはずいぶん違う。気温が少々高くても風が吹いていると涼しく感じたりする。逆もあり。気温はそんなに高くないのに、風が吹かず蒸し暑い、という時もある。
昔の天気予報には「不快指数」というのがあったなあ。あれはいつからなくなったんだろう。たしか湿度と気温から割り出して、80以上だと「全員不快」とかいう指針になっていたと思う。中学生のころ、理科の時間に習った覚えがある。
ひょっとしたら不快指数の中に「風力」というのはなかったか。なかったかなあ。なかったような気がする。でも風は天気の中では大事な要素だと思うけどなあ。
特に思うのは洗濯物関係。洗濯物がよく乾くかどうかは、なぜか風がよく吹くかどうかが大きいらしい。風通しがよいとよく乾くのだと。湿度とかもあるんだろうけど、大きくは風通しらしいです。だから、くるくる回る洗濯物干しなんかがあったら、きっとよく乾くんだろうなあ。どうやって回す? 誰か考えてくれ。

ここ2,3日、梅雨の大雨で各地で被害が出ている。こんな時に強風が吹いたらもっと大変だ。ほとんど台風。雨は必要だけれど、災害は困る。人間は勝手なんだけど、そこは都合よくなってほしい。もちろん、どちらが力を持っているかといえば、自然にはかなわないんだけど。なにしろ相手は、宇宙が始まった時からあるのだ。こちとら、「人間」になってから、ほんの数万年しか経っていない。キャリアが違う。ですから、ちょっとだけお情けを。こちらもちょっとは謙虚になりますから。

自然の風に吹かれつつ、そんなことを考える。自然はいい。自然はエライ。


夫婦して、話があっちこっちするなあ。そういう共通点があるのが、また面白いけど。
次のお題。自然がいいって言ったけど、文明の利器の恩恵にあずかっているのも確か。
この時期、冷たいものが常時手に入るのは大きいです。
というわけで、次のお題、「冷凍冷蔵庫」といきましょう。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年7月23日木曜日

24. 「ロボット」

漫才の平和で来たかー、まいったなぁ(^oo^;)(^oo^;)
重たく思いすぎずに、いいことなんだから、どんどん口にだしちゃおう、どんどん広めようってのは、私も賛成。昨日、合唱団の練習に行く前に、オバマ大統領の噂の名演説、六月のカイロでの原稿を印刷した。まだ最初のページしか読めてないけど。(原稿や動画などはホワイトハウスのウェブから見られます。ここをどうぞ)

その中にこんな部分がありました。

I do so recognizing that change cannot happen overnight.  変化というのはひと晩で起こるものではない。
そこから、一回や二回ええスピーチしたからといって、何年もかけて積み上げられた不信感というものは取り去られないし、創り上げられたいろんな複雑な問題に、すぐにすべて答えられるものではないというような言葉が続き、その後

But I am convinced that in order to move forward, we must say openly the things we hold in our hearts. and that too often are said only behind closed doors.

とあります。そんな難しい状況から、少しでも前に進むには、状況を進展させるには、閉じられたドアの後ろでささやかれていたこと、心の中に持っていることを、私たちはもっと表に、口に出していうべきだと言っています。

「平和」という言葉もその一つなのかなーと、たこぶの書いた文章を読んだあとに、これを読んで結びついたのでした。この演説は、歴史に残る演説になりそうだし、時間を見つけて、ゆっくり読み込んでいけたらなぁと思います。それに、いいなって思うことは、少々照れくさくても口に出していきたい、誰かと分け合いたいというのも、賛成です。


一方て、うーん・・・・難しいなと感じたこともあります。
たこぶの「平和」についてのエントリを読み、それから、次の「ロボット」というお題をもらって、その両方を並べて私が、思ったこと。「理想の世界って何やろ。理想の暮らし、理想の社会って?」ってことです。

戦争のない世界。誰も争わない、みんながお互いを理解する、ケンカがない。そんな世界が本当に来るのかな。来たとしたら、人間の内面はどうなっていくんだろう。

ロボット。昔、子ども頃、ロボットがもっともっと開発されたら、人間の暮らしが楽になるって夢みてた。家事もやってくれる。テレビのチャンネルだってかえてくれるし、買い物にもいってくれて、力仕事もやってくれる。洗濯も掃除も、料理だって。あれ・・・・そしたら、人間はどうなるんだろう? 何もしなくてよくなったら、人間の足も手も退化してしまって、ただのアメーバみたいなかたまりになるんかなー。こわ~とか(^oo^;)

よくSFの世界であるのが、理想の社会。理想の星。そこには、花が咲き乱れ、一年中、春の陽気で、人々はいつも笑顔で助け合い、楽しく語り合い、決して争うことなく、譲り合い、愛しあい・・・・。犯罪もゼロ。争いもゼロ。生活はロボットが助けてくれて、住人はめんどうなことは何もしなくていい。住人たちはただ語らい、学び、やりたいことをして過ごす。

こういう社会が本当にできたしたら、どうなるんだろう。

人間のなかの、醜い感情や、ネガティブな感情って、持ってはいけないと思っても、持つのをやめられない。誰かを嫌いになることもあるし、誰かをねたむこともあるし、自分を嫌いになることもあって、もう生きているのがイヤになることだってある。それがよくないって分かっていても、やめられない。理想の社会ができて、誰も争わなくなったら、そういう気持ちはわかないの? それともそういう気持ちを押し殺してしまうの? どうなんやろなぁ。

結局、「理想の社会」って「バランスのとれた社会」ってことなのかな。ケンカはときどきあるもので、でもそれが殺しあうようなことにはならないように、しっかり面と向かって、お互いが話し合いできるようにするといいのかな。そして、結論として、お互いが違っていて、相手のやり方に納得できないときはどうするのか、だからといって恨んだり、嫌いになったりするんじゃなくて、どうするんだろう。職場で、どうしても気が合わない人がいたら、合うようにがんばってみても、やっぱり何もかもが合わないって分かったらどうするのかな。その職場をやめるのは、消極的なのかな。いや、一つの解決方法のような気がするなぁ。

うーん、何を書いているのか分からなくなってきましたが(^oo^;)

今、衆議院が解散して、国の政治が大きく変わるかもってときになって、各政党が、理想の社会の実現目指して、色々公約を出してきていて・・・・。いいことばっかり言われても、それが全部実現されたら、何か気持ち悪いよなぁって思ったり。どの程度、いたみをしっかり見すえた上で、みんなしてがんばれるかって、私たち一人一人の生活状態が違うから、気持ちを一つにするのは本当に難しい。生活の状況がまったく違う人の気持ちを理解するのも、たぶん難しいんだと思う。

プラスとマイナスは、いつもやっぱり存在するもので、心の中の善と悪というのも、ある程度存在するもので、そのバランスをとることがたぶん大切で、これはあかんでしょーっていう限界ラインというか、それをみんなで共通に持つことが多分大切で・・・・。だから、生活の面でも、最低これぐらいは保障されていいでしょうっていう恩恵を、すべての生活できていない人たちが受けられるとよくて、少し経済的に余裕のある人が、その人たちのためにガマンするといいのかな。うーん。あー、あかんわからんな(^oo^;)


ロボットに戻ろう(^oo^;)

ロボットが何でもやってくれる社会が来ると子どものとき信じてた私。
一番最初の記憶で馴染みのあるロボットというとやっぱアトムかな。見てたなぁ。あと、マグマ大使とか、あ、ドラえもんもそうか。

ここ数年で、ロボットの開発って、すごく進んでるみたいですよね。どっかの万博で受付嬢がロボットで、ちゃんと問いかけにアドリブで答えられて、顔もすごく人間に近くて。昨日は、ブライダルショーで、ウェディングドレス着たロボットのモデルが登場したとか。ペットロボットもはやりましたな。アイボとか。別に家事とかしてくれるわけじゃないんだけど、ペットを飼うという行為によって、人間がいかに癒されるのかってすごいなぁって思った。

私が今、どんな種類のロボットでも一つあげましょうって言われたら、どんなロボット欲しいかなぁ。うーん・・・・。やっぱ一番はお掃除ロボットかな(^oo^;)それも、家の中の汚い部分を感知して、自分で判断してやってくれる。壁でも床でも家具でもガスレンジでも。拭く、掃く、磨く、洗うと、自由自在に・・・・・。で、家の中がいつもぴっかぴかで、ホコリなしの生活、あー夢だー。

でも、そうなると私たち夫婦は、ますますぶたの道一直線なのかも(^oo^;)(^oo^;)

人間、身体を動かさなくてはいけませーん。はい、分かりました(^oo^;)ってことで、家事ロボットは、身体が不自由な人、どうしても必要な人にゆずるべきですな(^oo^;)


いつものように脱線しまくりだったけど。ほんま、ちょうどええバランスの社会ってどんなんなんかなーって、ここ二日ぐらい、ぼーっと考えてしまった私なのでした。皆さんはどう思いますか? ほんま難しい質問ですね。


さて、次のお題。
こうやって、パソコンを打ってるすぐ横には窓があって、少し開けてます。それから部屋には扇風機。クーラーあるけどあまり入れない。気持ちのいい風が吹いてきます。今日はそれだけでガマンできる程度の暑さですな。いい感じ。

そう、次のお題これでいこう。「風」どうかな? いろんな風があるもんね。


たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年7月21日火曜日

23.「平和」

眉毛の手入れは、必要なのでしています。長く伸びてくると、目に入ってくるので。

さて「平和」ときて、一番最初に思い出すのは「ラッパ・日佐丸」の漫才だ。
しゃがれ声でボケを連発する平和ラッパと、ツッコミの日佐丸。漫才のおしまいは、
日佐丸「こんなアホ連れてやってまんねん」
ラッパ「ほんま、苦労しまっせ」
日佐丸「それはこっちのセリフやがな」
ときて、ふたり揃って、
「はっはー、しゃいならー!」
と勢いよく一礼して舞台袖に引っ込むのだ。
子どものころから大好きで、よくマネをして「はっはー、しゃいならー!」とやっていた。平和ラッパはおかっぱ頭で細い眉毛に線のような細いつり上がった目、出っ歯と、鳳啓介をさらにぶさいくにしたような顔つきで、背広もだぼだぼで全く似合っていなかった。坂田利夫が出てくるまで、大阪を代表する「アホ」だった。
ところが、相方の「日佐丸」の方は、どうにも印象が薄い。しゅっとした好男子だったような気もするし、ちょっとおじさんだったような気もする。
実は「日佐丸」の字もよく覚えていなかった。それでWikiで調べてみて分かったのだが、ラッパ・日佐丸というのは何代か続いているのだ。僕が知っている平和ラッパは2代目で、これが一番長かったらしい。相方の日佐丸は、その2代目ラッパの相方が何人も替わっていった、となっている。なるほど、だから印象が薄いのか。

それにしても、芸名に「平和」と堂々とつけるところがすごいなあと思う。「平和」って、結構重たいイメージがあるからね。
でも、とも思うのだ。重たいイメージは、僕らが勝手につけてるんじゃないだろうかと。
平和っていう言葉は、年々重みを持ってきているように思うけれど、そしてそれが決して悪いこととは言わないけれど、もっと軽々しくつかってもいいもんなんじゃないかとも思うのだ。
前のお題の「ことば」じゃないけれど、「重々しいから、滅多に使わない」では、言葉に負けてしまう。ますます「平和」が遠のいてしまうような気がする。

だから、もっともっと気楽に気軽に、しょっちゅう「平和」「平和」と言い続けることが大事なんじゃないか。物の名前にもいっぱいつけたらしい。
「平和まんじゅう」「平和うどん」「平和鉛筆」「平和扇風機」「平和洗濯機」「平和パチンコ」「平和カー」「平和自転車」「平和パソコン」「平和雨どい」「平和パンツ」「平和ブラジャー」「平和温泉」「平和歯ブラシ」「平和つまようじ」
どうだ、まいったか。
そして「平和ラッパ・日佐丸」。漫才師の名前なんて、最高じゃないか。平和ラッパがしゃべるボケを聴きつつ、「ああ、日本は平和だ」と思うのもいいんじゃないか。

こんなことを書くと、「日本人は平和ボケしているのだ」と言われるかも知れない。それでもいいよ。平和ボケの方が戦争ボケよりなんぼかマシ。戦争ボケになったら相手を攻撃せずにはいられなくなって、誰かを傷つけるのは間違いない。平和ボケなら自分が傷つくだけで済むじゃないか。平和ボケ結構。みんなで平和ボケになろう。ぼーっとしてる間にどこかの国が攻めてくる、ということはあまり考えないでおこう。なんとかなる、と高をくくっておこう。

どこかの国の言い伝えで、「眠る前に、隣りの人に「愛と平和」と囁いてみよう」というのがあった。本当にそんなことをしたら照れくさいけれど、大事なことは照れくさくてもなんでも、口に出して言わなあかんのかも。
大河ドラマの直江兼嗣の甲には「愛」と貼り付けてあるけれど(ほんま、貼り付けてあるという感じ)、「愛」はときどき闘争的だったり(愛のために戦うとか)、自己中心的だったりするから、心の底の方まで信じるというのが、あんまりできないのだなあ、僕は。愛のためなら何でも許される、というのはおかしいような気がする。だから愛国心がないとか言われるのか。面と向かって言われたことはないけど。
国を愛する気持ちはあるけどね。でも同時に、国が平和でありますように、とも願うなあ。

デーモン小暮閣下が、「夢は何ですか?」と訊かれて、真顔で(たぶん。真顔かどうか判断しにくいけど)、「世界平和」と言ったらしい。これ、いいなあ。いつか使ってやろうと思ってるんだけど、僕の将来の夢について興味がある人がいないので、使う機会はないままです。
でも、本気で、世界が平和になったら、どんなにいいだろうと思う。どれだけ暮らしやすいだろう。心を痛めることがなくなるって、どんな気持ちなんだろう。今この瞬間にも、地球のどこかで、飢えていたり苦しんでいたり悲しんでいたりする人たちがいて、その苦しみを他の人への攻撃という形で拭おうとしていると考えただけで、悲しくなる。
世界が平和になるなら、命をかけても惜しくないとさえ思うことがある。でも、僕ひとりの命ぐらいではどうも世界中に平和がやってくることはなさそうだ。目の前に神様(悪魔?)が現れて、僕の命と引き替えに世界を平和にしてやろうと言ってくれたら、ひょっとしたらその気になるかもしれないけれど、未だに神様にも悪魔にも出会ったこともない。だからもうしばらく、命は大事にしまっておこうと思っている。その時のためにね。


さて、次のお題。
実は今日、衆議院が解散しました。議長が「解散する!」と宣言したら、みんながなぜかバンザイをしていたよ。もちろん首相も。で、首相のバンザイの仕方が、どうにも安物のロボットのようにしか見えなかったのだ。
というわけで、次は「ロボット」でどうでしょう。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年7月19日日曜日

22. 「眉毛」

たこぶの眉毛は、濃い方です。でもって、伸び方が面白い。すんごく長く伸びるのがときどきある。で、目までかぶさってきたりするので、時々カットしてあげます。

私の眉毛は、それと反対にとても薄いです。これ、実は子どものときからのコンプレックス。大人になって化粧ができるようになって、一番嬉しいのが、何を隠そう眉毛を描けることかも。小学生のときぐらいから自分の眉毛が薄いのが嫌いでした。だって、表情がなんていうか、サエナイんですもん。お公家さんっていうか、剃った人っていうか(^oo^;)、ぼーっとした顔に見えてしまうんですね、顔の輪郭がないというか。目、そのものは小さい方ではないんだけど、まつ毛も眉毛と同じくとても薄くて、短くて量がない。あまりよくない例かもしれないけど、よく放射線治療とかした後の患者さんがカツラをかぶっているけど、眉毛とまつ毛が薄いっていう感じがあるけど、私は元々がそれに近いかも。

まつ毛が長いのとか、濃いのとかも、小さい頃からのあこがれ。眉毛とまつ毛が濃い人って、化粧しなくてもすごく可愛い気がしてた。修学旅行とか臨海学校、林間学校なんかの泊りがけの行事のとき、風呂上りになると、自分がマヌケ顔になる気がして、イヤやったなぁ(^oo^;)

で、大人になって、化粧できるようになって、目の化粧は得意になった。たぶん「得意になる必要があった」からかもしれん。アイラインをさりげなく描いて、眉毛を自然に書いて。こういうのって、ナチュラルに生きるってことと反対の方向な気がするけど、実際、眉毛とまつ毛を描かずに外に出ると、「どっか具合悪いの?」「病気?」って聞かれて、逆に心配かけてしまったりする(^oo^;) うーん(^oo^;)(^oo^;)

化粧って慣れの問題もあるから、しなくても慣れたらどってことないんやろなぁ。私の年齢でも、あまり化粧しない人もいるし。でも、私の周りだけの統計だけど、あまり化粧しないのーとか、化粧が下手なのーって言う人って、だいたいは眉毛やまつ毛が元々濃い人が多い気がする。だから、化粧してなくても、薄い人ほどは輪郭がぼやけないというか。

眉毛の刺青みたいなのもいっとき流行ったけど、あれはさすがに勇気なかったなぁ。眉毛にも一応流行ってあるではないですか。すごく濃い石原真理子風がはやったときに刺青してしまって、後々になってみんなが細眉ってなったときはどうするんだろうとか、そんなしょうもないこと考えてしまいました(^oo^;) まつ毛もエクステンションとかあるらしいけど、そこまでなぁって。

あ・・・ちなみに、まつ毛が濃いのは気にしてるんだけど、マスカラはほとんどしません。ときどき、ほんまに時々、音楽や司会の本番のときとかだけ、遠くから見て大きな目に見えた方がいいなぁって思って、マスカラするときあるかな。でも、アレルギーがあるのか、かゆくなるときがあるんですな。汗かいたりすると。だからあまりしない。でも、アイラインはマストです。これがなかったら、目がぼーっとしますねん(^oo^;)


この「薄い」現象は、いいこともあります。それは、いわゆる「スネ毛」が薄いこと。腕や足なんかにはえてる、いわゆる「ムダ毛」(ムダなんていわれて可哀想な毛やな(^oo^;))が、私はほとんどナイ(^oo^;) 女性でも濃い人は多くて、脱色したり、脱毛したりしているもいるけど、私はそういうのは一切不要。

顔以外のところでの化粧というか、そういう手入れという点でいうと、ネイルがありますね。爪。これも私はまったく何もしない。マニキュアは高校生とかの頃に遊びでぬったことがあるけど、それも一度とか二度とかぐらい。それ以降、たぶん一度もマニキュアはぬってないんじゃないかな。爪も伸ばさない。大きいのはピアノ弾くことが多かった暮らしのせいかな。指輪も結局は弾くときにはずすから、忘れるのイヤだし、しない。爪のばすと、弾くときにカツカツというので伸ばさない。お金かからなくていいけど。


ってことで、眉毛というモノには、私のコンプレックスやら、こだわりやら、あるんですな。実は。

ミスター眉毛というと、私の中では、村山元首相かな。あの人の眉毛はすごかったなぁ。あんなに長い眉毛の人がいるんだって思った。イギリスのコメディ役ミスター・ビーンの俳優さんも、たいがいな眉毛してますよね。アーチがすごい。あれで眉毛が薄かったら、全然違う顔になってると思うなぁ。うちの旦那もあれで眉毛が薄かったら、まったく違うインパクトあるやろな(^oo^;)

眉毛ってもしかして、人間の表情を印象づけるものすごく大きな要素なんかもしれませんね。

そういえば、最近、男の人でも眉毛を描いたり、剃って手入れしたりする人増えてますよね。
特に気になるのが、野球関係。高校野球でも、すごくフレッシュなプレーしていて、若いなー、元気やなー、自然のなかでがんばってるなぁ。。。と思ったら、すごく眉毛が細かったり、寸足らずに(私から見て)カットされていたり。いわゆるヤンキー眉みたいに(^oo^;) アンマッチやなーって思う。

プロ野球選手でも眉毛を剃ってる人って多いと思うんですね。阪神の選手では桜井が思い浮かぶかな。

男の人が眉毛をあそこまで剃ったり、描いたりするのって、好みではないかなー。自然が好きかなぁ。元々は芸能人が始めたことなのかな。それで広がったのかな。ジャニーズ系から始まったのかな。もういつからか覚えてないけど、男の人が自分の見かけ、特に顔あたりにすごく手入れをほどこすようになってますよね。これって、何なんだろう。これでいいんかな。女の知ったことではないんかな。女だけでなく、男も中味で勝負ではなく、見かけで勝負なんか。っていうか、元々女は、見かけで勝負やったんか・・・と思うとつらい部分もあるが(^oo^;)


うーん・・・・何を言ってるか分からんようになったところで、この辺にしとこ(^oo^;) 読んでて頭がこんがらがった人、すんまそん(^oo^;)


次のお題。もうすぐ広島に行く私はこれを聞いてみたい。「平和」これにします。最近、抽象的なのが多くてすまん(^oo^;)(^oo^;)

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年7月16日木曜日

21.「ことば」

「野球」という、アンチタイムリーなお題にもちゃんと答えてもらってありがとうございます。さぞかし書き辛かったことでありましょう。でもやっぱり、野球は楽しいのだ。

「ことば」とは、また幅広いテーマですな。
初めに思いついたのは「言霊」。言葉には不思議な力があって、そこには魂がこもっている。だからある言葉を口にすると、そこに宿っている魂が呼び寄せられるのだ・・・・おお、怖っ。
こういう話は昔からあったのかな。「ハリー・ポッター」でも同じような話が中心になっていたなあ。ヴァルデモートの名前は、みんなが言いたがらない。それを言うと本人が蘇るのではないか、今ここに現れるのではないかと恐れるから。
僕はそういう奇怪な現象は、信用はしていないけれど面白いなあと思う。信用してないんだけれど、いざとなったらそういう「呪いの言葉」みたいなものは言う気にはならない。「ひょっとしたら」という恐れも(弱気?)あるからなんだけど。

言葉には魂が宿っているかどうかは分からないけれど、言葉にいろんなイメージが宿っているのは間違いない。この交換ブログにしてもそうで、ひとつの言葉である「お題」から、お互いがイメージをふくらませて書いているわけだから。
人間の記憶は、映像であったりイメージであったりするけれど、ある言葉であったりもするのだな。ある言葉から、ひとつのイメージなり映像なり記憶なりが(おなじことか?)呼び戻されることもある。
さらに、同じ言葉を使っていると、違う人間でも同じイメージが浮かぶこともある。
「赤」というと、その色が思い浮かぶ。「木」というと、大きさに違いはあれ同じような植物を思い浮かべるだろう。
そうやって、同じイメージを同じ言葉で共有している。だから言葉が通じると意志が通じるのだな。

人間は長い長い時間をかけて言葉を生み出した。言葉をものにした、といってもいいかも。初めはものの名前なんかを言い表すために必要だったのだろう。言葉は初めから、コミュニケーションの道具として発達したのだ、きっと。
やがて、ものの名前だけじゃなく「感じ」も伝えるようになった。「ぞくぞくする」とか「気持ち悪い」とか。
さらに進んで、目には見えない、実体もないものにも名前をつけた。「心」とか「愛」とか「悲しみ」とか。それも言葉で言い表すようになった。
ここまで、あくまでも仮説。勝手な推論。

そういう「実体」や「実感」を表し伝えるはずだった言葉が、だんだんそれ自体として独立して、曖昧な使われ方をしているのが気になるなあ。
いろんな言い回し。「~させていただく」とかは、どうも馴染めない。「させてもらう」ぐらいでよさそうなものなのに。「~いたさないことを決めさせていただきました」何のことやら。へりくだりもほどほどに。

こういう「言い回し」の話になるとさらにややこしくなるので、これはここまで。次の機会に。機会があれば。
言っておくけど、「ことばあそび」みたいなことは大好きです。「さるさらう、さるさらさらう」(c)谷川俊太郎)とかね。

言いたかったのは、言葉が実体をはなれて、あたかもそれ自身で活動しているように思えることがあって、それは時によっては空しく聞こえたり、時によっては楽しく聞こえたりするっていうこと。
空しく聞こえることが多いけれどね。

言葉が乱れるとか、いつの世にも言われることだけれど、言葉を含めたコミュニケーションは日々変化していくものだから、新しい表現、新しい言葉が生まれるのは必然のことだと思う。残念だけど、そのなかで失われていく言葉もあるんだろうなあ。
「美しい日本語が失われる」と嘆く人も多いけれど、今使ってる日本語が昔のままじゃないし。源氏物語をすらすら読める人もほとんど居ないでしょう。あの時代と今とで、どれだけの日本語が変化していったことか。いや、明治から大正、昭和、そして平成と、このせいぜい100年足らずの間にも言葉はどんどん変化していってる。それに嫌悪感を抱いても無駄なこと。

やがて、何千年か何万年か先には、世界中の人たちが同じ言葉を話しているかもしれない。そうでなくても、世界の第1言語が何か決まったものがあって、ほとんどの人がその言語を話すようになる。そんな世界は、楽しいのか便利なのか気持ち悪いのか。今の僕には判断がつきかねる。いろんな人と苦労なくコミュニケーションが取れたら楽しいだろうけど、世界中が同じような言葉の感覚になるというのはなあ。まあそんな心配をする必要もないのだろうけれど。

ともかく。
こうやってパソコンでキーボードを叩くだけで、いろんな人にメッセージを送れるのも、先祖たちが言葉を作ってくれたおかげ。メッセージが(ほぼ間違いなく)届けられるのも、先祖たちのおかげ。コミュニケーションを取ることに力を注いだ先祖たちに、感謝しよう。


いつもどおりにまとまりのない文章になりました。
次はもうちょっと、具体的なテーマにしようかな。
昨日、眼がしょぼしょぼすると思ったら、伸びすぎた眉毛がまぶたにかぶさっていたのでした。ぶたこにカットしてもらってすっきり。
というわけで、次のお題。「眉毛」でどうぞ。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年7月13日月曜日

20. 「野球」

いつか気分のいい勝ち方をしたら、その日にこのネタについて書くぞって思ってたこの三連戦。ええとこないやん(^oo^;) 二日連続延長12回までいって、負けたのと同点。で、今夜は普通に負けた(^oo^;) ホーム球場で裏攻撃だと思えないこの結果。いよいよどうしたらいいんかなって状態になってきましたね。相手のGにはクライマックスシリーズのマジックまで出たらしく。とほほほほ。


って、野球の話ってなると、やっぱプロ野球、しかもタイガースのことから始まってしまう私です。

プロ野球が好きになったのっていつごろからかなぁ。
阪神が好きになったのは、結婚してからです。たこぶと一緒に見るようになってから。結婚して最初の頃は、二人とも野球よりは相撲を見てました。私は寺尾が大好きで。東京の両国にいって、寺尾の部屋の前まで、ただその部屋の玄関を見に行ったのが懐かしいなぁ。年代が入れ替わって寺尾も引退してっていう頃から、相撲熱がさめてきました。

で、何のきっかけやったか、野球を見るようになって。阪神が好きになって。でも、最初の何年かはテレビで見るだけ。球場で応援してみたいけど、甲子園なんて、一部のファンだけが行くもので、自分たちがいっても、勝手が分からんし、どう振舞っていいのか分からんし、あんな大声で応援なんてできるわけないし、恥ずかしいし・・・とか、そんな風に思ってた自分たちが今では信じられません(^oo^;)

初めて甲子園に行くって決まったときは、確か、すごく調べまくったなぁ。せっかく球場に行くんだから、各選手の応援歌はうたえるようになろう、チャンスマーチはどんなんか、応援のルールってどんなんやろって。ネツトを検索しまくった。今は便利な時代で、選手の応援ソングも、しっかり音源だけでなく楽譜まで手に入るんですね。私たちの場合、字を読むように楽譜を読むので、音源よりも楽譜があった方が歌えてしまう。甲子園にも楽譜を持参して、最初はそれ見ながらおずおずと歌ったもんです。でも、試合が終わる頃には、そんな紙を見なくても、すっかり覚えて、必死でミニバット叩きながら大声で歌ってた。繰り返し繰り返し歌ううちに、自然に覚えるもんなんですね。球場全体がみんな声をあわせて応援している、この原始的なというか、自然な合唱団状態に、なんか胸の底から感動がこみあげてきて、なんでもない場面でも涙ぐんだりしたもんです。歌ってすごいなー、人のパワーってすごいなぁって。

一度行ったら、球場観戦というのは、ヤミツキになりますな(^oo^;)
それからは、もう数えきれないほど足を運んでます。いや、そりゃ年間指定席を買うような方々とはレベルが違いますけどね。でも、私たちのなかでは、年間に五回とか十回とか行くとは思ってなかったわけですから(^oo^;) 去年1年は、私が日本にいなかったこともあって、たこぶも一度も球場に足を運ばず。一人でいっても面白くないんだって。私も向こうで一度ぐらいは観戦するかなぁって思ったけど、テレビでメジャー野球を少し見たぐらい。

今年帰って来てから、まだ甲子園に行ったのは一度だけかぁ。二回目が広島のマツダスタジアムになりそう。おもしろいなぁ。対戦相手は阪神ではないので、今回は広島側のシートにしました。赤松も喜田もいるし、ブログを愛読している元横浜の石井もいるしね。

とにかく、私たちは夫婦して野球がめっちゃ好きなのです。



では、たこぶと出会う前の話。

プロ野球で初めて好きになったのは、高校のとき、近鉄でした。バファローズ。
理由は、すごく不純で、そして単純(^oo^;) その頃好きだった男の子が近鉄ファンだったから近鉄の試合がテレビ中継されることなんてなくて、ラジオでいつも聴いてた。勝ったか負けたか分かったら、その子と話のネタができる。ほとんどそれが理由(^oo^;)あー、なんてアサハカなんだ(^oo^;)

そんなのが長続きするはずもなく、その子への興味がうすれた時点で、近鉄のことも忘れてたよーな気がします。あははははは。


でも、こうやって思い返してみると、私、けっこう昔から、野球が好きやったみたい。っていうか、スポーツが嫌いじゃなかったみたい。たとえばね、土日とか家にいて、テレビで、なぜかゴルフ中継を見ていた。中学とか高校のとき。女子としては、変わってますよね。けっこう。パー、バーディ、イーグル、とかそういうルールがわかってくると、ゴルフって面白いやんって思いながら、あの単調な画面をずっと見てました。

で、野球に戻ると、中学のときは、高校野球を何度か見に行ってます。甲子園に。その頃の親友が、原くんのファンだったのです。そう、今の巨人監督の原さん。原くんが東海大相模の現役のとき、入場行進を見に行こうと、張り切って出かけて、日焼けて真っ黒になったのを覚えてます。私は原くんには興味なかったけど、友達に誘われて一緒に行って、その日に試合があった中で、山口県の防府なんとか高校のキャッチャーがすんごく男前で、かっこよくて、大好きになった思い出があります。確か新名くんという変わった名前やったなぁ。その頃から積極的というか、誰とでもすぐに交流できると信じている私、ファンレターを出してしまうのですな。で、しかも、これがまた、返事が来たのです。手紙に対するお礼と、これからクラブを引退して、大学受験にがんばりますみたいな内容やった。直接返事が来て、すごく嬉しかったのを覚えてます。

それから高校生になって、さっきの近鉄ファンになった一時期をのぞいて、その時代になぜか甲子園に二回ほど足を運んでます。それは、その頃の親友やった子がジャイアンツのファンやったから。だいたいいつも、友だちに付き合って、いろんなところに行くんですな。友達や好きな子に影響を受けやすかったんかな、私。その友だちは、巨人の西本投手の大ファンやった。確か背番号は26番とちゃうかったかなぁ。毎日、ゆうべの試合はこうやった、ああやったと、野球の話ばっかりしてたその子。甲子園で阪神-巨人戦があったときに、巨人側のシートに座って応援。周りには応援団のおぢさんがいっぱいいて、女子高生だった私たちは人気モノに。「今度からは、おっちゃんらの友だちやいうたらな、タダで入れるで」とか、そんな甘い言葉までかけてもらいましたが、その恩恵は使わずじまいでした(^oo^;) 私は心の中で「友だちは正真正銘の巨人ファンですけど、私はニセモノなんですー、ごめんなさーい(;oo;)」とあやまり続けてましたな(^oo^;)


こうやって思い返してみると、私の人生、けっこう野球に関する思い出多いね。女の子の割には、野球を見に行ってる方かもしれん。運動神経はめちゃにぶいので、やるのはダメだけど、スポーツを見るのは、ほんまに好きやなぁ。


野球が好きな自分でよかったと思ったのは、日本にいるときだけでなくて、去年過ごしたNYでも。
アメリカの人たちは、アメフトか野球。アメフトのことは分からんけど、野球を知ってるだけで、かなり会話のネタになります。老人ホームでも、いろーんな人と野球の話しで盛り上がった。年配の人とでも若いスタッフとでも。ブルックリンにドジャーズがあったときの思い出を話してくれた人。昔はヤンキースタジアムにも行ったのよって話してくれた人。身体が弱いけど、野球選手を見ていると元気になるっていってくれた人。それまでうなだれていた弱々しい感じの人が、野球のデータに関しては博士みたいによく知ってて、話し始めると、すごく生き生きしてきたり。WBCで日本が優勝したときは、みんなからよかったねって言ってもらったし。それから、私がファンであるラジオ番組のホスト、ブライアンも大のヤンキー。野球への愛は、世界共通。音楽が好きなことと、野球が好きなこと、これだけで、英語を少しぐらい話せなくても、分かり合える何かがあるんですね。

つまり、何かに対する愛情は、言葉を超えたコミュニケーションの手段になるっていうのを実感したのでした。どんなことでもいい、これが好き、これを愛しているんだっていうモノを持つことは、素晴らしいですね(^oo^)


ってことで、阪神タイガースの皆さんにも、優勝の可能性とか、クライマックスシリーズとか、そういう目先のこと、今年のこと、とか、いろんなことに惑わされずに、一試合ずつ全力で戦ってほしいし、そういう選手たちを私たちもあきらめずに、ずっと応援しなあかんね。野球愛を忘れたらあかん。


・・・と、阪神に話が戻ったところで、次のお題にいきますわ(^oo^;)


えっと、何かに対する愛は、大切なコミュニケーションの手段になるってことで。んじゃ、ことばってなんだろう。次のお題は「ことば」これにします。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年7月10日金曜日

19.「フォークギター」

暑い。ムシムシしている。セミも鳴き出した。昨日からクマゼミ。今日からアブラゼミも加わっているらしい。朝からわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃと近所の神社から聞こえてくる。夏だなあ。

フォークギターと夏。なんとなくしっくりくる。夏休みにギターをいっぱい弾いていたからだろうか。フォークギターを買ったのは中1の冬だったか。お年玉で買ったのが最初。ひょっとしたら、お年玉で買った初めての買い物かも。その前までお年玉を何に使ったのか、全く覚えていない。
ちょうどフォーク・ブームで、クラスにもギターを弾くヤツがいて、兄がクラシックギターを買ってもらっていて、自分にもほしかったのだ。兄はどうしてギターを買ってもらったのだろう。しかもクラシックギター。なぜクラシックギターだったのかは想像がつく。安かったのだ。フォークギターなら2,3万は下らなかった時代、クラシックの安物なら4,5千円で売っていたのだ。もちろん兄も(信じられないが父も)しばらくはギターの練習をしていたようだ。「禁じられた遊び」の最初の部分とか(最初しか聴いたことがない)。
やがて、兄の目を盗んで僕も練習するようになった。月刊芸能誌の「明星」の付録に「ヤングソング」というのがあって、その時流行っている歌の、コード譜なんかが載っていたのだ。それをじゃんじゃんと鳴らしながら歌ってみたりして。そこで覚えたフォークソングがいっぱいあった。フォークソング。ほとんど死語に近いな。やっぱりギターで弾き語りといえばフォークソングでしょう。昔の曲(イムジン河とか若者たちとかも、それで覚えたと思う)もいっぱい載っていたなあ。
中1の時(たぶん)、念願の自分のギター、しかもフォークギターを買ったのだった。メーカーなんか関係なく、その時のお年玉で買える値段のもの。どんなものがいいなんて分からないから適当に。そして血の滲むような練習を繰り返した。それまで弾いていたクラシックギターはガット弦。高い方の弦がビニール製の柔らかいものだった。だがフォークギターの高音の弦はスチール弦。細い針金だ。それを指で押さえる。始めのうちは指先に血が滲む。切れる。それでも我慢して弾き続けると、だんだん指先が硬くなってくる。弾きだこか。音も良くなってくるらしい。
ある程度弾けるようになると、それ以上努力したくなくなるのは僕のいつもの過程。コード弾き、アルペジオ、スリーフィンガーまでできるようになると、まあいい感じ。当時はクラスの中でギターが弾けるというヤツはそうはいなかったから、得意になっていたと思う。
フォークソングが全盛の時代。遠足とか修学旅行とかにギターを持ってるヤツは持っていくのがあたりまえ。歌集とかを作って(またまた「ヤングソング」のお世話になるのだ)、みんなで芝生の上に丸座になってシングアウトだ。ああ、青春。

高校生になっても同じ状態。まだまだフォークソングのシングアウト。ただ、ギターを弾けるヤツはいっぱいいて、中にはプロになろうかとかいうようなとんでもないテクニックを持ったヤツもいて、僕の出る幕はほとんどなくなってしまう。それでも、弾き語りは楽しかった。ひとりで楽しむのは、昔から好きなのだ。

今でもときどき、アコースティックギターの弾き語りには心惹かれる。ただし自分ではもうやりませんが。ギターもないし。指の弾きだこもいつのまにやら普通の指になってしまったし。一番弾いていたころは、指紋もなくなってたなあ。今ははっきり、本人確認ができるようになっている。

電子楽器の技術が上がって、シンセサイザーとかを使った演奏も好きだけど(プログレ大好き)、ときどき生の音楽がとても聴きたくなる時がある。サイモンとガーファンクルとか、ジョニ・ミッチェルとかの初期のころの録音を聴くと、心が落ち着く。そして時間が昔に戻るような気がする。懐かしい気持ち。ロックとかを聴いても「懐かし~」と思うのだけれど、それとは違う懐かしさを、アコースティックな音楽には感じるなあ。

そんな演奏を、こないだのアリスに期待したんだけど、やはりいろいろ手が込んでましたね。仕方のないことか。


こんなところでどうでしょう。
さて、次のお題ですが。今いちばん触れたくないもの。
「野球」
にしましょう。どうですか?

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年7月9日木曜日

18. 「星座」

七夕はあいにくのお天気でしたね。今夜の大阪も小雨です。ここんとこ、お天気が不安定。タイガースの成績は低調で安定・・・・うーん、どんなんやねんっ(^oo^;)

ってことで、たこぶからの今回のお題は「星座」ですか。

星座といって思い出すのは、「星の世界」という歌。輝く夜空の~で始まるんだけど、小学校で習った記憶があります。これが讃美歌にあるとは教会に通うようになるまで知らなかった。讃美歌では確か312番で「いつくしみふかき」で始まります。で、NYに行って、この讃美歌が英語でもすごくよく歌われている曲だと知りました。「What a friend we have in Jesus」という題名。老人ホームの礼拝で何度も弾いたなぁ。イエス様は友だちだよ、いつも側にいるんだよって、誰かが落ち込んだときに励まし慰めのために歌ってた。元々はどれが最初なのかな、この英語の讃美歌が最初なのかなぁ。


昔、大阪の四ツ橋というところに、市立の科学館があった。そこにプラネタリウムが入っていて、よく見に行ってたなぁ。特に中学時代。なにせうちの中学から徒歩五分の距離だったから、親友の伊智子っていう子と二人でよく行った覚えがあります。静かに過ごしたいとき、なんとなく悩み事があって、宇宙は広いんだ、自分の悩みは小さいんだって思いたいとき、恋してロマンチック気分になりたいときとか。プラネタリウムって独特のムードありますよね。暗闇をシェアするというか、暗闇のなかに知らない人たち同士が一緒にいて、同じ時間を過ごす不思議というか。夕焼けが来て、暗くなって、おだやかな声の解説が入って(必ずおだやか系の声なんですよね、解説)、その季節ごとの方向の空を詳しく眺めて、最後また朝の太陽がのぼって星座ショーが終わる。なんか、そこにいる人たちとひと晩一緒にキャンプして過ごした、そんな気持ちにさえなるんですな。そうともいえるし、誰か友だちと行っていても、自分一人だけで宇宙のなかにいたような、誰もそこにいなかったような心地いい孤独感もあったり。プラネタリウム、好きやなぁ。

二年ぐらい前やったか、東大阪のプラネタリウムにたこぶと行きました。すごく久しぶりやった。子供向けのプログラムやったこともあるけど、アニメとかCG効果とかが駆使されていて、昔の静かでロマンチックな感じではなかったけど、まっ、それなりに楽しかったかな。もう少し落ち着いた大人でも楽しめるようなプラネタリウムがもっと増えてもいいのになぁって、そのときにも書いた気がするな。


美しい夜空を見るのは、私が住んでいる東大阪からはかなり難しい。ってことで、美しい夜空を見た思い出は、そのまま旅の思い出につながり、たこぶが書いてくれた前のテーマにもつながるのです。

一番覚えているのは、山中湖。
もう10年ぐらい前になるかな。山中湖のペンションで音楽仲間が集まって、一晩中音楽のアンサンブルして遊んだことがあります。バイオリン、ビオラ、チェロ、ピアノ、ホルン、ピアノ、リコーダーとか、いろんな楽器の人たちが集まって。遊びつかれて夜も更けた頃、何人かの仲間とお散歩に出かけた。静かな中、車の通りもほとんどなくて、ふと空を見上げると本当に満天の星!!思わず全員が道路に寝転んだ。アスファルトの道路に。夏だったかなぁ。だから冷たくて気持ちよかったのかも。みんなして夜中に、道路にどてっと寝転がって、きれいだねー、気持ちいいねー、楽しいねーって。あの時の星は、本当に美しかったなぁ。


一番最近では、2月のアンサンブルワークショプ、アメリカのバーモント州ブラッタルボローという場所で見た星空。歌うのがあまりうまくいかなくて、スタッフとして働いてもいたから、心も身体も余裕がないまま過ごした一日目。一日中、ずっと会場である教会の中にいて、ホームステイ先のお宅に向かうために、もうくたくただーってけっこう沈んだ気持ちで、教会を出た。あー、もうイヤだー、来なけりゃよかったよーなんて思った私を迎えてくれたのは、満天の星だったのでした。あー、そうだねー、すごーく遠くから、美しい光を、すごいエネルギーをこうやって届けてくれているんだね。僕らも生きてるんだよーって、ここにいるよーって。宇宙はすごいよ、きれいだよ、こんな素晴らしい光が見られて幸せだーなんて思ったら、沈んだ気持ちが、いく分か楽になったのでした。


今年が終わるまでに、どこか旅に出かけるのかなぁ。またきれいな星が見られるのかなぁ。日本の中のどこかに旅したいなぁ。日本のどこかに住む人と話したいなぁ。その土地のものを食べて、文化を感じて、リフレッシュしたいなぁ。青春18切符かな、それともたまったマイレージで国内旅行かな。どっか行きたいなぁ。

星の思い出を語ってたら、旅に出かけたくなってしまった(^oo^;)


次のお題。

さっきね、NHKのSONGSという番組を、かなり情熱的に見てしまいました。今日はアリスの特集。私の青春と重なるグループの一つです。かぐや姫とか、アリスとか、オフコースとか、好きやったなぁ。

ってことで、次のお題は「フォークギター」これでいきたいと思います。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年7月8日水曜日

17.「旅」

「きみはっ、なにをいっまっ」のレコード、うちにありますよ。シングルのドーナツ盤。ドラマもずっと見てたしなあ。確かにあのドラマの世界にあこがれてたけど、現実は甘くないのだ。

さて、「旅」
「月日は百代の過客にして、、行かふ年も又旅人也」(芭蕉)
いきなりかっこよく始めたった。芭蕉は旅をして、その中で句を詠んだ人。芭蕉に限らず、旅を好んだ歌人、俳人は多いはず。その最たるものは種田山頭火か。詳しくは知らないんだけど。旅をしつつ句を詠む。その句も、五七五の形にとらわれない形。放浪する人は、いろんなことにとらわれないのかもしれないなあ。
あるいは、人は誰でも「放浪」に憧れがあるのかも。放浪の詩人、放浪の画家。何人も居そうだけれど、そういう肩書きがつくと、なんとなくかっこいい。かっこいいと思うのは、そこに憧れがあるからだろう。憧れがあるということは、多くの人は放浪したくてもできないということだ。だから放浪している人の話を聞き、放浪している人の句を詠んで、放浪を追体験しているのかも。それで満足している。ちょうどテレビの旅番組を見て温泉につかってうまいもんを喰った気分になるように。

おかげで、旅をテーマにした芸術作品は数限りなく存在する。いまちょうど、武田百合子の「犬が星見た」を読んでいるところだ。夫武田泰淳やその友人の竹中好らと行った旧ソ連の旅行記。武田百合子の観察眼に圧倒されっぱなし。事実を並べているだけなのに、感情がほとんど見えないのに、おかしい、楽しい、わくわくさせる。

本の話はおいといて。
よく考えてみると「放浪」と「旅」とはちょっと意味合いが違う。「放浪」になると、どこに行くか行き先は全く見えてこない。終着はどこなのか。決まっていないのが放浪だろう。「旅」となると、いつかはわが家に帰ってくる、そんなイメージがある。
「しばらく、旅に出ます」
というと、どこかで自分を探しに行って、でもいつかは元の場所に戻ってくるという安心感のようなものもあるけれど、どうだろう。
「放浪」の末に、結局は元の場所に戻ってくる、ということもあるかもしれない。童話の「青い鳥」みたいだ。読んだことないけど。いろいろ探し回って、一番大切なものは元の自分がいた場所にある。そんなところだろう。なんだか教訓めいていて、好きになれないなあ。別に僕が好きなろうがなるまいが話は存在するんだけど。


昔は、旅行がそんなに好きでもなかった。出かけるのはめんどくさいし、旅先で知らない人に会って話をするのもめんどくさい。だいたい他人と話をすること自体がいつもめんどくさいのだから、そんな人間がわざわざ見ず知らずの場所に行って見ず知らずの人と出会うなんて、考えただけですくんでしまう。お土産の算段、お小遣いの心配、考え始めると再現がなく後ろ向きになっていた。
そんな風だったんだけど、ぶたこと一緒になることで180度変わってしまった。
旅行は楽しい。知らない場所に行って知らない人と出会う。相手にとってもこちらは異邦人だ(たとえのはなし)。だから対等だといえる。いろんなものを見てやろう知ってやろうと思うと、いろんなことが見えてくる。その面白さ。
でもこれはひとりではどうにもならなかっただろう。ぶたこが一緒にいて、いろいろ世話を焼いてくれるからこそできること。ぶたこに任せておけば安心というのがある。ひとりでどこかに出かけるというのは、今でも苦手だ。
つまりは、いろいろ考えるのがめんどくさいんだろう。それさえなければ、旅行を楽しむことはできるんだけど。それでは旅行の醍醐味がない。確かに。それでも楽しんでるんだから、いいではないか。人には人の楽しみ方があるのだ。

結婚するまで、飛行機に乗ったこともなかった。初めて乗ったのは北海道旅行。冬の北海道でカニづくし。新婚旅行で海外に行けるかと思ったが、ちょうど湾岸戦争の最中で断念したのだ。これで海外には縁がなくなったかと思ったが、2年後に初めてロスにツアー。ユニバーサル・スタジオ、ディズニー・ランド、ナッツベリー・ファームと、遊園地三昧。「カリフォルニアに雨は降らない」と言われていたのに、旅行の2日目は大雨。そういえば新婚旅行も(萩・津和野)雨だったなあ。ときどき雨にたたられる。

毎年、国内、海外を問わず、いろんなところに旅行に行ってるなあ。一時香港に凝ったこともあったし(毎年、旧正月前のバーゲンを狙って行ってた)、国内秘境めぐりのようなものもあったなあ(観光客がほとんど居ないところを狙って)。青春18切符も、いっぱいお世話になりました。そのすべてが、ぶたこと一緒の思い出になっているところがいいところ。ふたりで行くのが一番面白い。


旅行の思い出を始めると際限がなくなるので、この辺で話題を変えて。
「旅」というと、そのものズバリの混声合唱組曲「旅」を思い出す。たぶんいままで一番たくさん関わった合唱曲だと思う。何回も歌ったし、何回も指揮をした。僕はこの曲が大好きなんだけど、どうやら最近はあまり歌われないらしい。曲そのものは簡単に歌えるので、中高生の合唱初心者が歌う、易しいけれど面白みのあまりない曲と思われているのかなあ。
冗談じゃない。
どんな曲だって、一生懸命楽譜を読み込んで、歌い込んで、気持ちを込めれば、歌いがいのあるいい曲になるのだ。簡単な曲だから、深みがないと思うのは、そう思う方こそ浅はか。あたらしい耳触りのいい曲もいいけれど、昔から歌い継がれている曲にはそれなりの理由もあるのです。無理やり歌えとは言わないけれどね。くだらないと思わないでほしいだけ。


なんか話が広がっていってしまうなあ。これもまたよし、か。

では次のお題。今日は七夕だから、星にちなんで「星座」としましょう。

ではぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年7月6日月曜日

16. 「定規」

たこぶからのお題は「定規」ですか。

定規といってまず思い浮かぶのが、三角定規、三角定規といえばやはり「青い三角定規」でしょー(^oo^)
きみはっ、なにをいまっ、・・・・この歌が大好きやったなぁ。青春ドラマシリーズ、全部見てたんちゃうかなぁ。あんな学園生活にあこがれてたけど、現実の自分の生活は、ドラマとは程遠く(^oo^;)(^oo^;)

さて、定規について書くのを記念して・・・というほどのことでもないのですが、わが家にある定規類を集めて写真を撮ってみました。


こうやって集めてみるといっぱいあるなぁ。自分で買ったのではなくて、どこかでもらったもの、誰かにもらったものも半分以上。この中で自分で買ったのは、右から二つ目と三つ目の透明のやつと、その隣のブルーのが二つ。それから左から三番目と四番目のシルバーのです。シルバーの横のブルーのは青いビニールテープを使った自作。


定規をウィキでひいてみると、「線分や曲線、角を引くときに用いる文房具である。また物を切断する時にあてがって用いる」とあります。ここで気がつくのですが、長さを計るものではないのかってことです。もっと読んでいくと、「定規」と「物差し」は違うとあります。定規は上記のように線をひくときや、ものを切断するときにあてるもの、で、物差しが長さなどを計るときのものなんだって。知らんかった。混同して使ってたなぁ。

次に思ったのが、コンパス。コンパスって定規に入るんかな。円い線を引く用具だから、やっぱり定規に含まれるかな。小さいときから、コンパスってすごいなって思ってました。直線とかなら、本の端や、板切れの端を使って定規を代用できるけど、まん丸の線が描けることがとにかくすごいぞって思ってました。鉛筆の芯みたいなのをはめるタイプや、鉛筆そのものをはさむようになってるタイプがあったし、それから、小学校とかの授業で、先生が黒板に書くために、チョークをはさむタイプが出てきたときは、かなり興奮したなぁ。そういえば、三角定規とかも黒板用にお化けみたいなでかいサイズのがあったな。あれはすごかったな。


私、昔、定規にはこだわりがありまして。だから、上のようにいっぱい集まってるのかもしれません。理由は、この定規の機能である、線をひくためでも、切るときにあてるためでもなく・・・・。私の仕事に関係してます。大学を中退して入った会社が、デパートの中の部署でDM発送を請け負う会社。外商や状業員家族、その他の売り場(紳士服・婦人服・文房具など)の顧客名簿を管理し、催しに応じて名簿から必要な人を抽出して、DMを発送するというようなことをやってました。私は入力部門に配属され、辞めるまでの数年間(正社員・パートなどを含めると10年ぐらいは働いてたかもなぁ)、来る日も来る日もタイピングの毎日でした。

私が入社した頃は、まだパソコンがない時代。私たちの仕事はキーパンチャーと呼ばれ、昔のSPレコードぐらいの大きなフロッピーにデータを入力してました。1レコードにつき半角の文字が80文字入るタイプと128文字入るタイプがあり、その後256バイトのが出てきたときは、ほーって思ったもんです。

その頃は、端末機と呼ばれるブラザー製の入力専門の機械に、ガッチャンってフロッピーを入れて、漢字変換もなく、文字はすべて今でいう半角。数字、英字、カタカナ、その他の記号が入力できました。私たちの仕事は、顧客名簿の管理だったので、入力していたのは、お客様番号、住所、名前、その他のお買い物データなど(買い物してくださった日付など)やったかな。今と同じ形のキーボードで、日本語を入れるときは、選択の余地がなく、カタカナ。変換ができない直接入力だから、今のようにローマ字入力は存在しなくて、すべての人がカナ入力で入れるしかなかったのですな。その経験があって、今でも私は、英語を打つときはアルファベットの配列を指が感じて、カナを打つときはカナの直接入力しとります。

でかいフロッピーにほんのちょっとしか入ってないデータをいちいちコンピュータルーム(でかい一部屋全体が一個のコンピュータやった)に持っていった時代から、パソコンが出来て、通信の面でも、パソコン通信からインターネットに・・・。時代の移り変わりってのはすごいなぁ・・・とつくづく思いますな。

あれ・・・いつの間にか入力の話が中心になっとるやん(^oo^;)


私がなんで、定規にこだわりがあるかというと、入力するときに必須だったからです。私たちキーパンチャーは、コンピュータから出力されたリストをひたすら上から下へ入力していくというパターンが多かったんですね。あるいは、修正がある分だけ、朱が入った部分だけを入力するとか。このコンピュータの用紙が横に長い! 左端から右橋まで同じ行を人間の目で追い続けるのには限界があって、途中から隣の行にうつってしまいます。そんなときに定規くんが大活躍するのです。入力している行の下に定規をあてると、少々リストから目が離れてもまた目が戻ったときに、さっきのデータに正しく戻ることができます。

で、どんな定規でもええってことないんです。まず、すべらない素材。これ大事。紙の上に置いて、自分でかってにすべっていく素材はあきません。なので、上でいう右側の長い方のブルーのがいいのです。一部がゴム素材になってて、すべらない。でかい紙のリストのときは、このタイプを愛用しとりました。隣の透明なのは、でかい紙なんだけど、数字だけの入力のとき。数字は右手だけで入力できるので、左手がヒマ。左手はずっと定規を持っておける。でもって、数字だけのデータはあっという間に一件の入力が終わり、下のデータにドンドン移動したい。そんなときは、透明な方が、現在入力しているデータを見ながら、目の端で次のデータを見ることができて、打ち進むのがスムーズになり、スピードがあがるのです。

左側の短いのでは、シルバーのアルミ素材とかのが好きでした。これもすべらないから。幅が狭いデータのときに、活用してました。

入力の仕事を終えて、ここ最近では、英語の勉強をするときに活用してます。ペーパーバックなどの本の英文をPCに入力していくとき、入力している行に定規をあてると正確度が高まります。あと、英語の原書と日本語の訳書を比べる時も、両方に定規をあてながら進んでいくと、こっちの本、あっちの本と目が移動するときに、しんどくないのですな。翻訳の講座を受けていたときも、翻訳している本にあててました。でも、このシルバーの定規でも、文庫本のように小さな本だと、紙面が大きく傾いて、すべり落ちることが。それと、紙面のカーブと定規の線が合わずに見にくい。それで手作りしたのが、青いビニールテープのもの。しっかりめの紙を細長く折って、そこにビニールテープを貼り付けただけなんだけど、これがなかなかのすぐれものです。紙面に沿ってうまくカーブしてくれるので、一行ずつゆっくり翻訳していくときとかに、うまく固定してくれていい感じです。



うーん・・・・。定規のことで、めちゃ語ってしまったけど、普通の人たちには興味もなぁんにもないことかもしれんなぁ(^oo^;)まっ、ええか。定規、こだわってるのです。わたくし。こういう人間もおるってことで。っていうか、文房具が好きなんですな。文房具やさんに行って、何も買わなくても、いろんな製品をふーん、ほーって見てるだけで幸せ感じますねんっ。


ってことで、そろそろたこぶにバトンを渡そう。
夏のバカンスの季節ですなー。たこぶが「旅」について何を思うのか知りたいかな。書いてもらおう。

ではでは
たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年7月4日土曜日

15.「扇風機」

洗濯物を干すのは、結構環境に優しいのか。国により地方により、習慣が違うのも面白いね。「大草原の小さな家」なんかで、庭に(庭だと思う)ロープを張って洗濯物を干していたのが懐かしい。ああいう光景はアメリカでもなくなりつつあるということかな。

さて、扇風機。
子どものころよくやった遊び。扇風機の後ろにまわって「ワレワレハ宇宙人ダ」「ぴろろろろ~ん」
声が変わるのが面白かったなあ。子どものころは単純です。

今の時代、涼をとるといえば扇風機よりもエアコンでしょう。日本の家屋は昔に比べると(特にマンションなんか)機密性が高くなっているし。昔の家はすきま風も多くて、むしろ自然の風をどうやって家の中に入れるかということに気を配っていたと思うなあ。
子どものころ住んでいた家は、大正時代にひいおじいちゃんが建てたらしい。昔風の家で、とにかく壁というものがほとんどなかった。壁になるところは押入だったり床の間だったり。いわゆる「田の字形」の間取りで、縁側の戸を開けると風が家の中を通っていく形だった。
夏の夜はどうしていたかなあ。多分、戸は開けっ放しで寝ていたのではないかな。子どもだったから、寝付きの時は開けておいて、寝てしまったら大人が閉めていたのかもしれないけれど。

わが家では今でも扇風機が夏の主役。エアコンは、よっぽど我慢できない時だけつける。外から帰ってきた時とか。ムシムシしてどうにも寝付けない時とか。

ネコがいる3階には、扇風機はつけられない。初め、試しに扇風機を置いてみたのだが、ぐるぐる回る羽に興味津々。興味が湧くと、前足でちょっかいを出さずにはいられないのがネコの習性である。危なっかしいので、即撤退となった。だから3階には扇風機がない。できるだけ窓を開けて、風を通すようにしている。意外にこれだけでも涼しいもんだ。我慢できなくなったら、エアコンに頼るけど。

昔に比べると扇風機の性能も良くなっている。あたりまえだけど。昔の扇風機はモーター音がうるさかったなあ。首振りなどをつけるとさらにうるさい。それにモーター部分がすぐに熱くなった。いろいろ危ないことがあったのだな。

危ないといえば、一番危ないのは指を引っかけることだろう。子供の時、ふざけて回っている羽を手で止めて遊んでいた。勢いよく前から押さえると、案外簡単に羽が止まるのだ。モーターには良くなかっただろうなあ。故障の原因になってたかも。よい子はマネをしないように。

扇風機のプロペラは、原理的には飛行機やヘリコプターと同じはず。そう考えて、扇風機を何台か手に持ったら、空を飛べるんじゃないかと思った。
そんな強力な扇風機があったら、扇風機の役目を果たす前に、どこかに飛んでいってしまう。そこまで考えが及ばなかった。

昔に比べると、モーターの性能が上がっているから、長時間つけておいてもモーター部分が熱くなったりはしない。今メインで使っている扇風機は、買ってからもう10年近くになると思うんだけれど、故障もせずに回り続けてくれている。だいたいこれは、夏場だけのもんやしね。エアコンに比べたら格段に電気代も安いはず。できるだけ部屋を閉め切らず、乾いた涼しい空気を入れつつ回すと、暑い日でも何とか涼しい気分になれる。
今日は雨上がりで、外の気温も下がってるみたいだ。ちょうどいい感じの風が送られてくる。

扇風機にあたりながら書いていると、なんだかのんびりとした気分になってしまいます。ゆるゆるな気分。これもまたいいもんかと。

まとまりのない話になったなあ。
次のお題は、文房具シリーズで(なんのシリーズだか)、「定規」にしましょう。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年7月2日木曜日

14. 「洗濯物」

洗濯物と聞いて、まず思い浮かぶのが、こないだ死んだうちの猫、ぶーこかなぁ。洗濯したてのタオルの上にのっかるのが大好きやったな。我が家の場合、洗濯はたこぶの担当で、たたむのも彼独自のやり方があるので、普段はあまり私は手出しをしないのですが(心からの感謝を持ちつつ・・・ね(^oo^))、昨日は、夕方から一気に雨が降ってきそうだったので、洗濯物を取り込みました。バスタオルやタオルをテーブルの上でたたみながら、あー、ぶーこがいないから、誰もこの上に乗ってこないなあ・・なんて寂しく思っていたのでした。


さて、次に洗濯物といって思い出すのが、何度か経験した海外生活です。
国によって、あるいは、人によって、全然ちがうんですよね、洗濯物を「乾かす」過程が。

私が最初に短期留学したカナダのバンクーバーでの一ヶ月。家の前には広いお庭。芝生がいっぱい。ここに物干し場があって洗濯物を干したら、絶対気持ちいいぞーって思ったけど、いつも洗濯物は乾燥機で乾かしていて、お天気がいい日なんかには、もったいないなぁ・・なんて思ったもんです。その体験で、西洋の人は屋外に洗濯物を干さないのが普通なんだって知ったのでした。

次に体験したのは、ニュージーランド、オークランドでの三ヶ月。今からもう七年前のことだ。ニュージーランドといえば、かつての英国の植民地でその影響を受けているし、英語を話す国だし、きっとここでも洗濯物は乾燥機バリバリだろうという私の予想は、見事に裏切られます。

私が滞在したのは、小学校の教師をしているステイマザー一人暮らしのお宅。「もったいない精神」にあふれた方で、そのお宅も離婚された元ご主人とボロボロだった古家から、自分たちで何もかも改装したとおっしゃってました。そして、そのお宅では、洗濯物は外の物干しで乾かすのが基本だったのです。少々曇っていても、干してはったなぁ。私も週に一度洗濯機を使わせてもらって、外に干していました。ザザ降りのとき、冬になって空気がいつも湿ってきて、どうしても乾かないときだけは乾燥機を使うこともあったけど、雨のときでさえ、室内に小さな物干しを広げまくって、干してはりました。いわゆる「部屋干し」ですな。

エコ意識はとても強い人で、私が滞在した秋から冬の時期、暖房はほとんどつけず。そのステイマザーが愛用していたのが、湯たんぽでした。そう、日本のあの湯たんぽと、ほとんど同じようにモノ。テレビを見ながら、ソファでくつろぎながら、いつもお腹の上に湯たんぽをのせ、その上からひざかけのような毛布をかけて、暖をとってはりました。その後、帰国してから、私も思わず湯たんぽ買ったなぁ。

それから3年後の2005年、私はNYで三ヶ月ホームステイをしました。ブルックリンのサンセットパークという地区。ここでのステイマザーとの洗濯物についての会話も忘れられません。

私が滞在したのは、年配の夫婦に子どもとお孫さんという三世代の家族。夫がイタリア系移民、妻がロシア系移民というカップル。ステイマザーが話してくれたことによると、その地域は、何十年も前まではヨーロッパ系移民がほとんどだったんだけど、ここ10年かそこらの間に、中国系移民がものすごい勢いで増えてきた。実際私がもう一度滞在した去年、この地域はブルックリンのチャイナタウンという呼び名もあったぐらい。

ロシア系のマザーとしては、若い頃には近所にたくさん同じヨーロッパ系移民の友人がいたのに、それがどんどん家を売って別の地域に引っ越していく。一人減り、二人減りと、知り合いがいなくなり、今では、家の周り全部が中国系の人たちに。そして、彼らの多くは英語をあまり話せないし、自分たちの国以外の人とあまり交流しようとしない。文化が違うわけだから、いろんなすれ違いや誤解もおこってくるわけです。

その象徴に洗濯物があったんですね。
「あの人たちは、汚いよ。だって洗濯物を外に干すんだから。景観が乱れて、この地域の値打ちが落ちるったらありゃしない」というのです。私はちょっと驚きました。そうか、外に干すっていうだけで「汚い」ってなるわけかって。ダーティという単語をしっかり使ってはりました。私は、その汚いといわれた中国人の人たちに同情してしまって・・・。だって、彼らにしたら普通のことだし、環境にもいいわけだし。それから私は、一生懸命、日本でも洗濯物は外に干すし、ニュージーランドでもそうだったし、ヨーロッパでも外に干すところがあるって聞いたし、アメリカとちがうところも多いんだよって。太陽の下で干したら、消毒になるとも聞くし、エコにもなるよって。彼らの文化なんだよって。一応マザーは興味ふかそうに聞いてくれて、そんな文化もあるのねって感じだったけど、その後、近所の人たちの洗濯物の干し方に理解を示したかは、知りません(^oo^;)



まっ、私の育った環境では、洗濯物は外に干すのが普通なわけだけど、考えてみたら、パンツとか下着とか、普段ならそんな姿をさらさない部分に着るものまで、外に干してしまうんですもんね。下着を隠して干す人もいるだろうし、下着は乾燥機で・・・という人もいるだろうし、夜中にしか洗濯できない人は、日本でも乾燥機を使う人も増えてきてるみたいだし。でも、わが家はいまだに洗濯物すべてを外に干してますな。乾燥機を使うのは、洗濯の後、しわ伸ばしの目的で少しだけ。その後干す。


このことを、去年NYに滞在していた間、同居していたリサと話したことがあります。リサは、外に干すのって素敵よねーって言ってくれました。エコじゃないのーって。アメリカ人って、エコエコっていうけど、スーパーの袋は二枚重ねないといけないぐらい薄っぺらで、一枚でも破れない丈夫なものを作ろうとはならないし、何枚も重ねてもったいない使い方。職場や交通機関の車内やアパートの室内などの冷暖房は考えられないぐらい極端。夏の冷房は凍えるぐらい寒く、冬は半そで一枚でも脱ぎたくなるぐらい暑かったりする。このエネルギーはどうなんだって。電気は、蛍光灯はあまり普及していなくて、白熱灯がほとんど。電気代はかかるんじゃないかなぁ。そして、洗濯物。乾かしすぎなんじゃないのってぐらい乾燥機が乾かしてくれて、布地が傷んでしまったり(^oo^;) 何事も極端というか、やりすぎというところまでいくというか。

誰か一人だけが外に干していたらそれはやっぱり恥ずかしいんやろなぁ。うちの近所でもほとんどの家がベランダに毎日干してはるからこそ、干してるんでしょね。もし近所の人が誰も干してなかったら、うちも干してないかも。やっぱり「世間体」は気にするし、周りのムードに一致するように行動するのが人間なのね。


ってことで、私にとって、洗濯物の乾かし方ってのは、とてもとても「文化」なのでありました。


あー、色々こうやって思い出したら、面白かったな。

次のお題は何にしようかな。
夏らしく・・・・うんと、「扇風機」、これにしよう。


たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

13.「平等」

新聞の折り込みチラシを見てたら、「半夏生」というのが載っていた。夏至から数えて11日目だそうだ。蛸を食べるのだと。つまり蛸の売り出しだったわけだけれど、そういう暦もあるのだなあと思った。お題を出したのはそういう暦とは関係なかったんだけど。確かに一日一日の積み重ねで人生はできあがるわけだけど、1年というとなぜか長いような気がするし、ひと月だと短すぎる。半年ごとに振り返りつつ人生を歩むのもいいかもしれない。あんまり過去を振り返らないタイプなんだけど。

で、「平等」ですか。難しいなあ。何を書いていいのやら。
「平等」という言葉から一番最初に思いついたのは、フランス国旗だ。三色旗の青、白、赤はそれぞれ自由、平等、博愛を表している。というのをWikiで調べました。三つの色はアメリカ国旗の色にもなっている。
世界で初めて「革命」を成功させたフランスは、世界中のあこがれの的だったのかも。だから似たような国旗が世界中にあふれている。

平等が「白」というのは象徴的だなあ。何もないスタートライン。一番始めの、何もないところ。そこから始められる。そんな状況。
フランスではどうだったんだろう。歴史が苦手だったので(さらに「ベルサイユのばら」も見ていないので)実はフランス革命についてはあまり知らないんだけれど、平等を求めた民衆は、国中を平等にしようとして、平等から飛び出した人たちの首をちょん切ってしまったようだ。
そこまでして平等を求めるか。
今はそんなことをしたいと思う人は居ないだろう。

今の日本は自由と平等がある程度保障されているので、実に住みやすい国になっていると思う。もちろんいろんな矛盾はあるけれど。何もかもが平等かといえばそんなことはない。生まれや育ちによっていろいろだ。ある程度の差はしかし、仕方ないだろうと思う。

誰にでも個人差はあるから、何もかも平等というのは難しいだろう。
でもあきらめてしまうのも癪にさわる。
だから、「これは譲れない」という線を、いろんなところにひいているような気がする。
どんな「平等のライン」があるだろう。

法律上のライン
仕事上のライン
勉強のライン
遊びのライン

その時々でラインは変わってくると思う。どれを平等と思うかも。

「公平に」ということなら、もうちょっといろいろあるなあ。
一番公平に物事をすすめようとするのは、子どものころの遊びの時だったかもしれない。
僕は運動神経は全くないし、近所でも一番ちびだったので(大阪弁で言う「ごまめ」だ)、一緒に遊んでくれる子どもたち(僕から見たらおにいさん、おねえさんたち)は、きっと気を使ったことだろう。一緒に遊ぶのには手こずるけれど、放ってもおけない。やっかいな存在だったに違いない。

小学校のころ、公園でソフトボールをするとなると、チーム分けをしなければならない。同級生でのチーム分けは、なかなか公平な方法でやっていたなあ。
まずクラスの主力選手(運動神経のいいヤツ)が二人出てきて、ジャンケンをする(大阪弁では、いんじゃん)。そして勝った方から順に、クラスの中から気に入ったヤツを自分のチームに入れる。ひとりずつ選んだところで再びいんじゃん。また勝った方が好きな人材を確保する。そうやって一回のいんじゃんで二人ずつをとっていく。当然、それぞれが力のあるヤツからチームにとっていくから、両チームの戦力はいつもほぼ同程度となる。もちろん僕は最後の方まで選ばれずに残るのだけれど。そして最後にひとりだけ残るとなると、両キャプテンがチームに入れたがっているのかどうか、ということが気なったりしたもんだけど。
なんだかプロ野球のドラフトみたいだけれど、そうしないとゲームは面白いものにならない。
うまいやり方を、子どもながらに身につけていたのだなあ。


はじめ、「平等」というタイトルから思いついた言葉を書き連ねていったら、なにか堅苦しくて、きれい事を装ったようなものになってしまって、自分でもさっぱり面白くなかった。倫理的に立派な人間であろうなんて、全く思ってもいないのに、言葉にし出すとそういう「立派な」ことしか書けなくなってしまう。
「平等」というのは美しい言葉だけれど、そういう危うさも含んでいるなあ。美しい、正しいことがらゆえに、否定できない、批判できない。多くの人がそれが正しいと思っていることに、反論するのは難しい。反論する気はないけどね。正しいことだし、いいことだと思うし。
でも、当然と思われるきれいごとを並べるのは、なんだか恥ずかしい。なにも斜に構えるわけじゃないけれど、ちょっと別なことを書きたかったなあ。


梅雨が本格的になっているのか、各地で大雨、災害も出ているようです。こんな時に思いつくもの。
次のお題は「洗濯物」でいきましょう。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年6月30日火曜日

12. 「半年」

たこぶに書いてもらった鉛筆だけど、私も大人になってから、すっかり使わなくなっていたんですね。でも、NYで衝撃を受けたというとおおげさだけど、鉛筆がまだまだ市民権をしっかり守っていたこと。特に音楽の世界で。入った合唱団では、楽譜の書き込みはみーんな鉛筆だった。それもシャーペンじゃなくて、削る鉛筆。音楽事務所で働いていたときも、ワークショップの準備用品のなかには、しっかり鉛筆が入っていて、当然、鉛筆削りも。個人的にも向こうの文房具やさんで鉛筆や鉛筆削りを購入したぐらい。必要だから。小さな鉛筆削りを持ち歩いておくと、芯が折れても平気だし。

日本での合唱経験では、他の人は知らないけど、私は楽譜の書き込みはいきなり赤ペンや蛍光ペンでしてました。知る限り日本でもオーケストラの譜面とかだとレンタルの場合があるので、書き込みは鉛筆でして、あとで消して返却と聞いたことがあるけど、合唱の場合、基本的に楽譜は自分で買い取るし、あとで消す必要はないので、自然に赤ペンで書くようになったんだと思います。目立つしよく見えるし。

でも、向こうで、普通に鉛筆を使っているうちに、なんだか鉛筆に愛着がわいてきて・・・。最近通っている合唱団の練習にもしっかり鉛筆を持って行って書き込んでいます。この団の場合、練習指揮者と本番の指揮者が違うので、もしかしていいかもしれない。本番の指揮者が練習指揮者と違う指示をしても、簡単に消して書きなおせるし。鉛筆、案外いいのかもなーって思ってます。シャーペンは削る必要はないっていうけど、芯が途切れたときに、カチカチカチって何度もノックして、なかなか芯が出てこないときってあせるんですよね。だから結局テストのときとかには、何本も持たなくちゃいけない。ちなみにシャーペンの場合、私のこだわりは、0.3のBです。細いけど濃い。これがきれいに書ける。でも最近、シャーペン使ってないなぁ。鉛筆をせいぜい使ってやろう。赤鉛筆と青鉛筆が背中合わせでくっついているのとか、ゼンゼン使ってなかったし。使ってあげよう。


おっと、すっかり鉛筆話になってしまった。
だって次のお題、「半年」って(^oo^;) なにそれー(^oo^;)(^oo^;) モノの名前っていうより、観念やんなぁ。

半年ってどのぐらいの長さなんやろ。一ヶ月が六回。何日とは言えないのだな。その間にある一つ一つの一ヶ月が28日の場合もあれば31日の場合もあるから。だから、いってみたら、適当な長さ。だいたいやねー(って誰かこういうモノの言い方する人おったなー)。

今から半年前、私は何してたやろ。おー、年末かぁ。クリスマスも終わって、年越しも一人でするんかぁって、ブルックリンのアパートでそんなこと思ってたなぁ。

NYに行ったのが4月だけど、その半年後の10月ごろには、合唱団にいくつも入って、教会のオルガンもときどき弾いたり、歌のレッスンを受けたり、音楽学校で指揮のクラスを受講したり(単位はもらえないただの見学のようなもんやけど、とりあえずの参加)と、老人ホームでのボランティア以外に、1年の滞在でここまでさまざまな体験ができるとは、思ってもみなかった。4月に現地についた頃は、1年間まぢめに老人ホームでのボランティアをやり遂げて帰ることだけを考えてもんなぁ。もしかしたら、ホームのなかで歌をうたったり、ピアノを弾いたりすることが、「あるかも」しれんなぁって、かすかな可能性は想像してたかもしれんけど、ホームでの活動の外で、あそこまでいろんなことがあるとは、ほんまに想像もしてなかった。

で、もう半年さかのぼってみて。
4月の半年前のおととしの10月。私は、小さな小さな夢として心の底に「外国の老人ホームで働いてみたいなぁ」って持ってたけど、まさかかなうとは思ってなかった。これっぽっちも思ってなかったよ。一生のうちにかなうような夢じゃないと思ってた。できたらいいなぁというよりは、「ああ、もっと早くから英語勉強して、もっと若いうちにやっておけばできたかもしれんなぁ」ぐらいで、やっといたらよかったなぁと過去の自分に夢を語ってたような感じ。その私が半年後にはNYで老人ホームのボランティアを始めているわけやから、人生分かりませんね。

言いたいのは、半年という期間は、ときどき予測のつかないことが起きるぐらいの期間になりえるってことかな。それぐらいの未来になりえる。自分の人生、何が起きるか誰にも予想できないもんね。逆にいうと、あまり嬉しくない方向にがーんって変わってしまう可能性だってある。極端にいうと、もうこの世にいないことだってありえるわけやんね。

それから、もっというと、なぁーんもないってことも、これもよくある(^oo^;) ぼーっと暮らしていたら、知らん間に、半年たっとったってことは、しょっちゅーあります(^oo^;) 半年はたってないけど、私が帰国してから、もう二ヶ月半ですか。なぁんもしてない気がするもん(^oo^;) この約二倍もすると、もう半年やもんなぁ。何かしなくちゃ、何か始めなくちゃ、もっと勉強しなくちゃ・・・・と、一応はあせってみるも、たいして何もしてない間に、ぼっぼって、一ヶ月単位で過ぎていってる気がする。そして、もうすぐ私は一つ年をとってさえしまうのですな(^oo^;)

こうやって並べてみたら、すごく動きの激しい半年もあれば、ゼンゼン動きがないように見える半年もある。私、これ、どっちもええなぁって思うねんなぁ。過去を振り返ってみると、なぁんもしてなかったわーっていう、動きがない方の半年も、実は、モグラみたいに土の中でセッセセッセと働いて、自分の住まいを整えていたり、球根から芽が出て、それが土の上まで出てくるまでの期間だったり・・・。自分の中で気がついていないんだけど、苦しいことも、哀しいことも、ムダに見えることも、一人一人との出会いが、会話が、毎日目にしている景色や、耳にする音や、感動する心や、ケンカしてしまうすさんだ心でさえも、半年後にもしかしたら起こるステップの備えになっているのかもしれないって。その半年半年の積み重ねで、人生はできているのかもしれませんな(^oo^)


・・・・って、ちょっとこじつけかな(^oo^;)(^oo^;)

この「半分」っていう観念、適当で、ええ加減でよろしいな。考えてみたら。

・一ダースの半分は、半ダースで六個。
・一日の半分は半日。これが12時間かというと、時々は起きてる時間の半分ぐらいの観念だったりするから6時間ぐらいを示すこともあったり。
・半時間は30分。これも大体っていう感じで使うときが多い。
・一人前の半分は、半人前。これも一人前の丁度半分じゃなくて、一人前に満たない状態をからげて、半人前というたり。
・一世紀の半分は半世紀。おー50年かぁ。
・おまんじゅう、半分分けて、おせんべい半分分けて、牛乳半分飲ませて・・といっても、ほんまに正確に半分はかる人は見たことない。いつも適当で、愛情の度合いや、二人の関係によって、ちょっと割合が変わったりしますねんな。


半分。面白いね(^oo^)

半年から、半分になってしもたわ、たこぶ(^oo^;)

えっと、次のお題。ちょっと真面目モードにしようかなぁ。
うんとね、「平等」。これにしよ。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

11. 「鉛筆」

全身石鹸洗いのたこぶです。シャンプーも使わない。昔は、シャンプーを使わないと頭が臭くなると言われていたけれど、最近の石鹸は頭を洗っても臭くならないみたい。自分で臭うことはないけれど。石鹸の質も良くなったんだろう。石鹸本来の匂いが、今は気に入ってます。

先日、「田辺聖子文学館」に行った時のこと。昔の作品などの展示物の中に、自筆の原稿というのがいくつかあって、それがぜんぶ鉛筆書きだった。四角い升目が書かれた用紙に、鉛筆で書いているのだね。なんとなく、「自筆」というのは温かみがあるなあ、と思った。それと「鉛筆」っていうのがいいなあと思った。ほら、よく「文豪」と呼ばれる人は、パーカーか何かのふっとい万年筆で書いてるイメージがあって、あれって高級感があるなあなんて思ったりするんだけど。
それにくらべると「鉛筆」は、いかにも庶民のもののような気がする。田辺聖子さんのイメージどおりだなあ。

そう思って展示物を眺めていたら、中に「使い切った鉛筆」というのが箱にいっぱい詰まっているのが展示されていた。2Bだったかの鉛筆を、削って削って、5ミリぐらいになるまで使っているのだね。無駄がないというか。しぶちんというか。ますます「おせいどん」のファンになってしまったよ。

実生活では、鉛筆を使う機会はめっきり減ってしまった。小学校、中学、高校と、授業にはだいたい鉛筆を使っていたなあ。いや、高校になったらもうシャープ・ペンシル略してシャーペンになっていたかも。
なにしろ削る必要がない。いつでも細い線が引けるという点で、シャーペンの登場は衝撃的だった。出始めたころは高級品やったなあ。今は100円程度で買えるけど。

小学校のころはもちろん鉛筆。芯が折れたときのために、スペアで4,5本は筆箱に入っていたかも。たまに友達で、1ダースの鉛筆を筆箱いっぱいに詰め込んでいるヤツもいたけど。そんなに持ってどうするんだろう。よっぽど芯が折れた時、というのがこわかったのか、1ダース揃った鉛筆を見せびらかせたかったのかの、どちらかだろう。

そういえば、何年生かの進級の時、「記念に」といって名前入りの鉛筆を1ダースもらったことがあった。あれは親戚のおばさんだったか、家族の誰かからだったか。覚えてなくてすみません。
一本ずつに名前が彫り込んである。飴色の鉛筆に金文字。かっこよかったような恥ずかしかったような。ああいう「名入れ」は今でもあるんだろうか。

名前を自分で彫る、というのも一時期流行っていた。六角の一部分をナイフで削って、そこにマジックで名前を書くのだ。こうすれば人の鉛筆と紛れることがない。人の鉛筆と紛れて、だからどうなんだと今では思うけど。

変わった鉛筆もいろいろあった。アニメのキャラがデザインされたものは今でもあるなあ。どういうわけかそういう「色もの鉛筆」は、六角ではなく丸かったような覚えがあるなあ。変わったところで三角や四角形の鉛筆もあった。もっともそういう「変わり種」が出てきたのはずっと後の方だけど。そして、あんまり流行らなかったなあ。

鉛筆削りもいろいろあった。一番ポピュラーなのは、ハンドル式の手動鉛筆削りだろう。高級なものになると「削り具合」を調整することができるようなものもあって、ぴんぴんにとがらせて喜んでいたなあ。
電動の鉛筆削りもポピュラーだったけど、音がうるさかった。手動の鉛筆削りは、回しているハンドルに手応えがなくなることで削り終わりのタイミングが分かったけど、電動の鉛筆削りは、鉛筆を突っ込んでいる間は際限なく削り続けるので、なんとなくもったいない気がしたものだ。

手動の極地は、「肥後の守」などのナイフだ。鉛筆削り用に、カミソリの刃を差し替えるタイプのナイフもあった。子どもでもそれで鉛筆を削っていた。いい時代だ。ときどき手がすべって・・・・ということもあったけれど、痛みを伴ってこそ分かることもあるからね。
とはいえ、僕は4人きょうだいの末っ子ということもあって、そういう危ないことはすべて姉兄に頼っていた。削ってほしい時は頼めばいいのだ。きれいに削ってくれる。もちろん自分でもやろうと思うんだけど、どう頑張っても姉兄ほどにはうまく削れなかった。かえって悔しい思いをするだけで終わってしまうので、やっぱり姉兄に頼むことになる。

削り方をよく見ると、まずは角の部分をそぎ落としていき、それからナイフの背に親指を当ててしゅっしゅっと削っていくのである。芯が出てきて、ある程度先端が三角錐らしくなってきたら、最後の仕上げに芯の部分をしゃしゃしゃしゃしゃっととがらせてできあがり。いやあ、実に見事です。
もちろん、鉛筆削りを使う方が簡単で、きれいにできあがるんだけど、この方法を覚えておけば、思ったとおりの太さの芯を作り出すことができる。
というわけで、きっと今でも、美術やデザインで鉛筆を使う人は自分で削っているんだろうなあ。
田辺聖子さんも、あれだけ短くなるまで使うんだから、きっとナイフで(ひょっとしたら肥後の守で)しゃしゃしゃしゃしゃっと削ってるんだろうなあ。

鉛筆がシャーペンよりも温かみを感じるのは、周りを覆っている「木」のせいだろう。鉛筆を削った時のあの木の香り。それだけでなぜか心も落ち着くというものだ。木の香りには、心を落ち着かせる作用があるに違いない。
そういえば、鉛筆削りに溜まった削りかすの臭いを嗅ぐのが好きなヤツも居たなあ。僕も嫌いじゃないけど。なんとなく懐かしい気分になるのはなぜだろう。子どものころ使っていた記憶のせいか。いや、多分もともとの「木」の力なんだろう。

始めに書いたように、鉛筆を使う機会はすっかり減っている。おかげでわが家にある鉛筆はいつまでもなくならない。お尻に消しゴムのついたやつとか、タイガースの模様の入ったやつとか、いろんな鉛筆が引き出しにはいったまま。なんとなくもったいないような気がしている。ちょっとずつでも使ってやりたいなあ。おせいどんほど、使い切ることはできないかもしれないけれど。


だらだらと書いてみました。さて、次は何にしようかな。

6月も終わりに近づいているので、「半年」というのは、どうでしょう。

ではぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年6月29日月曜日

10. 「石鹸」

最近、お風呂で身体を洗うのにも、ボディシャンプーなるものを使う家庭も多くて、石鹸の存在って昔ほど大きくないのかもしれないですね。でも、わが家で「石鹸」の存在はかなりのもんです。

たこぶは、アトピっ子です。というか、でした・・ともいえるのかな。いいお医者さんを紹介していただいて自然に治療するというやり方を何年か続けたあと、ほとんど症状が出なくなり、今は病院に通うこともなくなりました。その先生のところに通いはじめた頃から、たこぶは純石鹸で身体のすべての部分を洗います。少しでも香料とかが混ざってたらいけないので、東急ハンズで混ざりものナシの純石鹸が安くなってるメッセのときに、いつもまとめ買いをするのが、わが家の慣習です。すべての部分というのは髪もです。私の中で、髪はシャンプーでしょうという固定観念があったので、へー髪も石鹸かぁと、最初は新鮮でした。でも、ずっと見ていて慣れてくると、いいなぁと思います。一つの石鹸で、頭のてっぺんから足の先まで全部洗えるんですもんね。旅に出かけるときも石鹸一つ持てばいいわけだし。シンプルな暮らしだなって思います。

今、髪の手入れも肌の手入れも、すごく複雑になってきてるなぁって思います。特に女性にとって。

髪にしても、シャンプー、リンスだけでなくて、コンディショナーと呼ばれるトリートメントする人が多いと思うし、白髪が増えると白髪染め。若くても真っ黒な人は少なくて、段階の差こそあれ茶系に染めている人がいっぱいいてっていうか、ほとんどの人が染めてるような気がするなぁ。私もときどきは染めてみようって思うときがあるけど、今は染めてないです。白髪もたくさん出てきた。鏡のなかにうつった自分をゆっくり眺めると、ときどきげっそりしたり(^oo^;) でもまっ、これが今の自分なんですもんね。これからも少しずつ白髪が増えてきて、素敵な銀髪になる、これもいいのかなって思います。洗うときも、シャンプー、リンスは使うけど、コンディショナーはほとんど使わないなぁ。めんどくさいし。髪がゴワゴワでも、そんなにつややかでなくても、まあいいやっなんて、ほとんど女を捨てているのかもー(^oo^;) 

それから、美容室。行ってないなぁ。最後にいったのは、NYに行く前だから、去年の早春。おかっぱに短く切って。向こうにいる間、半端に伸びてきたけど、持っていった無印のカットハサミで、自分で切ってた。こっちに帰ってからも、それが続いていて、美容院にかける費用がゼロの記録が続いてます。一生美容院に行かないぞとは思わないけど、一ヶ月に一回とか二ヶ月に・・・とか、そういう頻度はなんだかもったいない気がして、行けない。高いですもんねー、美容院。でも、あー、一度プロの手ですっぱり美しく切ってほしいとか、気分転換にパーマでもかけてみるか・・とか思うときもあるかも。そういうときは、自分の気持ちに正直になって、美容院、行こうと思います。今のところは、しばらく予定なしってところ。

そして、肌の手入れ。みんな、どうしてるのかな? テレビとか見ていたり、お店の売り場を通ると、ほんとにいろんな製品出てますね。シワをどうにかするとか、肌色を明るくするとか。私は、いわゆるメジャーな化粧品ブランドのセカンドブランドの化粧水と乳液をぬるぐらい。それもええ加減。風呂上りも二回に一回ぐらいしかつけなかったり。化粧する前も、化粧水と乳液のつぎに下地もつけないことも多いかな。化粧はするんですけどね、さすがに素顔では外に出かけられない。あまりにもひどくてー(^oo^;) でも、パックとか、美容液とか、しわとりクリームとか、そういうお手入れをするのがすごく苦手。何もしないまま、46歳の今に至ってます。

私の中では、たこぶみたいに、すべてが石鹸一つですむ・・・というのってうらやましいです。男だったらそうしてるのになぁなんて。出かけるときにも化粧しなくていいし、服もたくさん持たなくていいし。手入れ、という点で、男の人って自然でいいなぁと思います。

シンプル・イズ・ザ・ベストってやつですね。シンプルな生活についての本はいっぱい出てるけど、女性の髪や肌の手入れは、いつになってもシンプルにならず、どんどん複雑になっていってる・・・そんな気がして、なんか矛盾を感じるのでした。


それから、石鹸といえば、シャボン玉。小さい頃、シャボン玉をつくって遊ぶのが大好きでした。それから、すごく不思議だった。液体なのに、ストローをとおしたら、虹色の風船ができるなんて、ほんとに素敵。それがまた空に向かって飛んでいくんですもんね。細かい論理は分からんけど、シャボン玉は、夢が形になったみたいだなぁ、なんて思います。石鹸のマジックだ(^oo^)



さてさて、石鹸については、こんくらいかな。いつものごとく、脱線しまくりでしたが(^oo^;)
次のお題は何にしようかなー。うんと、最近気になってる存在、「鉛筆」これにしよう。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年6月28日日曜日

9. 「バランス」

ぶたこへのお題は、何か関係ないもので思い浮かんだもの、というので最初は「スッポン」が浮かんだんだけど、ものの名前じゃない方がいいかなと思って、そこから思い浮かんだ「すっぽんぽん」か「すってんてん」か「すっからかん」か、悩んだあげく(ウソ)決めたんですけど、意外にあっさりと返答されたのでがっかり。もっと難しいお題を考えたろう。といっても、どんなことを書いてもいいから、難しい題でも関係ないんですけどね。


山田耕筰の「夕やけの歌」の作詩は、木下杢太郎でした。杢太郎の戯曲「南蛮寺門前」(修善寺物語じゃないよ)の冒頭に、教会の前で子どもたちが歌う、という設定で作られた歌詞だそうです。ちょっと調べれば分かるのにね。「南蛮寺」という題名から、「寺」が「教会」かなという想像もつきますわな。
歌詞の全文は、こんなのです。

夕やけ小やけ。
摩訶陀(まかだ)の池の
さんしよの魚は
きらきら光る。
玻璃(びいどろ)のふらすこ
ちんたの酒は
きらきら光る。
鐘が鳴る。鐘がなる。
寺の御堂(みだう)の
十字の金(かね)は
きらきら光る。

まずは訂正でした。


体調がすぐれない時、精神的にまいってる時、「あ、今バランスが良くないな」と思う。どこのバランスがどう良くないのかは分からないんだけれど、きっとどこかでバランスが崩れいているのだ、だから体調がおかしいのだ、気分もすぐれないのだ、と思うようにしている。
そこで体を動かしてみる。ラジオ体操なんかをしてみる。ちょっと散歩をしてみたり。
あるいは逆に、何もしなかったり。ここだけの話だけれど、仕事中におかしいなと思ったら、トイレの便器に座ってしばらく何も考えずにぼーっとしたりもする。
無駄な時間のようだけれど、おかげですっきりした気分になる。

人間には無駄な時間もきっと必要なのだろう。考えてみたら、毎日6時間ぐらいは寝てるんだから(多少の差はあるけど)、一生のうちの4分の1、あるいは3分の1ぐらいは何もしない時間があるわけだ。寝ていなくても、ぼーっとして過ごす時間もある。
それが「無駄な時間」と考える人も多い。「死んだらいつまでも寝られるし」そんなに生き急ぎたいのか。今のうちにやっておかないといけないこと、そんなにたくさんあるんだろうか。

ユダヤのことわざに、
「お金を貯めるためには、二つのことをすればよい。明日の仕事を今日のうちにやり、今日食べるものを明日にまわせ」
というのがあるけれど、今の自分の生活は全く逆で、明日にまわせる仕事があったら、焦らずに明日にまわそうよと思ってしまう。一分一秒を争うような仕事をしていないせいもあるけれど。
それより、今の楽しみを大事にしたいと思ってしまうのだなあ。
おかげでいろんな人に先を越されてしまっているんだろう。「ぼちぼち行こかぁ」といってる間に。
「あとから来たのに追い越され/泣くのが嫌なら、さあ歩け」
と歌の文句は言うけれど、先に行きたい人があるのなら「お先にどうぞ」と道をあけてしまうだろう。その人が切り開いた道を、「どうもありがとう」と言いながらぼちぼちとたどっていく。そんな生き方があってもいいんじゃないか。


話が変な方に向かうのはいつものこと。「バランス」でしたな。
人によってバランス感覚というのはまちまちだ。外から見ていると「どうしてこんな風に?」と思うけれど、本人の中では納得できているんだろう。「人間は矛盾に満ちた存在だ」というS・モーム先生の意見には賛成だ。だから面白い。だから「わたしは全くぶれてません!」と宣言する人ほど信用できない。そうありたいと思うのは勝手だけれど。人間はぶれるものだし、考えも変わっていってあたりまえなのに。変われる余裕も必要だと思うのだけれど。

ぶたこも書いているけれど、お金の使い方のバランスは難しい。とくに大きなお金は。国のお金となると特に大変なんだろう。それは分かるけど、使い方に疑問を持つことが多い。疑問を持つことばかりが報道されるというのもあるんだろうけど。
最近「エコ」ということがよく言われるけれど、どの程度何をすればいいのか、よく分からない。経済を活性化させるのと環境を守るのと。
最近、自転車通勤とかが流行っていて、それ以前にも町には自転車があふれているし、ときどき人との接触事故が起こったりして、駅前にも駐輪している自転車がいっぱいで、「迷惑です」という宣伝もしているけれど、自転車用道路とか駐輪場とかのインフラ整備はどこも全く進んでいる様子がない。自動車専用道路はいたるところで工事をしているのに。自動車はどんどん走らせて排気ガスもいっぱいばらまいて。エコカー減税で、いちおう排気ガスを抑えるという名目はあるけれど、排気ガスを抑えたいんだったら、車の台数を今の半分で済むような社会づくりを考えた方が早いんじゃないかと思う。
車嫌いのたわごとなんだけど。
どうせ無理だと分かってるんだけど。日本は車社会だし(車産業社会、ということ)。


こういうことを書き出すと、文句ばっかりが並んでしまうなあ。基本的には、どこかで全体のバランスは取られていくんだろうと思っているのです。今「おかしいなあ・・・・」と思ってるところでも、いつかはまともなところに落ち着くような気がしています。いつか、というのはいつか分からないけれど。10年先か100年先か1000年先か。


さて次のお題。なにか身近なものにしたいなあ。
「石鹸」でどうでしょう。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年6月27日土曜日

8. 「すっからかん」

なんちゅーお題やねん(^oo^;) すっからかんかぁ。
「すっからかん」を辞書でひくと、「全くからっぽであるさま。中に何も残っていないさま。」
別にお金と特定しているわけじゃないねんけど、この言葉は、もうダイレクトにサイフや家計と結びつくイメージありますね。

おサイフがすっからかんなのを忘れて、買い物に行って、レジで気がついた・・・なんてことは、幸いにして今まで経験ないけど、足りなくて、青くなって、買ったものを減らしたってことは何回かあった気がするな。

それで思い出したけど、NYにいるとき、マンハッタンの裕福な地域といわれるアッパー・ウェストサイドにあるスーパーで見た光景。レジに並んでいたら、前にいた女の人がなんとなく支払いでモタモタしていた。っていうか、その前からその人の様子はおかしかった。髪は乱れていて、一応ちゃんとしたスーツのようなものを着ているんだけど、強烈に覚えているのは、スカートの後ろのファスナーが軽く開いていて、どうやら壊れているみたい。布地もだいぶくたびれている様子。年齢は三十代って感じかな。子どもがまだ小さいのかなというイメージ。子どもを連れていたわけじゃないんだけど。

その人が買っていたものは、みんな、賞味期限ギリギリで割引された野菜や果物ばっかりやった。半額とかになってる、ハッキリいって半分腐ってるみたいな色のも混じってた。レジで合計金額が出てきた。1ドルとちょっと。その人は1ドルしか持ってなかった。カバンの中を必死で探したけど、数十セントが出てこない。あきらめて、買うつもりだった果物からいくつかを減らして買えるだけのものを買っていったその人。

今、自分のブログを検索してみたら、この話、書いてました。去年の10月だ。
「1ドル札」

もしかして、あの人は、ホームレスだったのかな。それとも福祉住宅に住んでる人なのかな。あの日1ドルしか持ってなかったけど、他の日はどうなんだろう。毎日食べるものはあるのかな。あの日の印象は強烈で、あれからも何度かあの人のことを思い出します。

日本でも、最近、生活保護という言葉がよくニュースに登場しますね。
私がNYで働いていた老人ホームには、たくさんのボランティアがいたけど、必要でもないのに、頼まれてもいないのに、自分からボランティアさせてくれって人は、私以外ほとんどいなかったと思う。レギュラーで来ている人のほとんどは、政府から日本でいう生活保護のようなお金を受け取っている人たちで、そのお金と引き換えに一ヶ月に何十時間とか決められた長さだけ、社会奉仕活動をするという条件があるらしいんですね。だから、政府から補助を受け続けるために、老人ホームに来て、入居者のお世話をしている人たちがいっぱいいました。何年も来ている人もいるし、何ヶ月かで来なくなる人も。私が知らないだけで、そういう条件じゃなくて自分の意志で来ていた人もいたのかもしれないけど、ホームの人の話によると、そういう人がほとんどだということでした。


最近の日本で生活保護が話題になるというと、二種類ある気がする。
悪用する人たち。生活保護を受けている人目当てに、入院させる病院、必要でもないのに手術させる病院、老人の施設を作って、生活保護の費用や介護保険の費用で設けている人たち。もちろん善意でやっている人たちもいると思うけど、悪用している人たちの話が目に付きますね。そういうニュースを見ていると、生活保護を受けるのって、申請して認可されるのって簡単のように見える。病院や施設を通すと、何かコツのようなものがあって、うまくいくようになってるのかな。こういう場所に団体で保護を受けている人たちがいるってイメージ。


で、一方では、生活保護を申請したのに認可されず、病気で働くこともできて、日々お金がなくなっていって、この時代に餓死してしまうという哀しい話もよく聞えてきますね。それと、そこまででなくても、生活保護という言葉にあまりいいイメージがなくて、生活に困っているのに、条件は満たしているのに、保護は受けない、ギリギリまでがんばるって、がんばりすぎて、結局、病気になったり、生きていけなくなったり。


私は本当にラッキーだと思うけど、食べるのに困ることなく、今までの人生を歩ませてもらった。それどころかやりたいことさえ、やらせてもらうことができた。


福祉って何なのかなぁ。誰のためのものなのかな。
悪用する人のためではなくて、それによって生きることができる人たちのためのもののはずで。
障害者の郵便特待制度を悪用した人たちもいたけど、そういうのを悪用するってどういう神経なのかな。
それほど経済的にひどい世の中だから、仕方ないの? 仕方なくなんかないよなー。
うーんわからん。


モノってどのぐらいあるといいのかな。
いっぱいありすぎてもあかんし、足りなさすぎてもあかんし。

人生のなかにはいっぱい波があって、何度も谷があって。谷があるから山もあって。
その谷からなんとか這い上がるためには、一時期だけでもこういう公からの助けってのは、必要やもんね。生活保護にしても、雇用保険にしても。こういう制度が一応充実しているといわれる日本に住んでいることは幸せなんやけど、その利用の仕方が、だんだんおかしくなってきてる気がして、どう考えたらいいのかようわからなくなるときがあるねんなぁ。


すっからかんかぁ。
うちの家計がすっからかんにならんように、余計なお金は使わんようにせなあかんね。
でも、お金持って死ねるわけでもないから、貯めるばっかりに心をくだくのではなくて、一度きりの人生を楽しむために、自分の人生のために使うことも大切やとも思うねんな。


バランスってのは、ありますな。なんにでも。
ってことで・・・・。次のお題は「バランス」か?
芸ないかな。こうやって話題が脱線した行き先を単純にお題にするのは・・・・。

でもまっ、いいや。「バランス」。たこぶのバランス考、聞きたいし。
これでお願いします。


たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年6月26日金曜日

7. 「キラキラ」

マイケル・ジャクソンが輝いていた時代というのは、実はほんの少しの間だけだったような気がする。世界的なヒットになったアルバム「スリラー」、その5年後かにリリースされた「バッド」、次代に残る作品といえばそれくらいじゃないだろうか。実は「スリラー」で、新しい世界を開いたように見えて、やれることは全部やってしまったような印象だ。当時、ホラー映画の巨匠として人気を集めていたジョン・ランディスが監督した「スリラー」のビデオを(深夜のMTVで)見て、驚いて呆れて引き込まれてしまった。でも、「これ、何回も見たいとか聞きたいとか思うかなあ」とも感じた。もともとソウル・ミュージックには興味なかったし、ディスコ・ミュージック(死語か)にも興味なかったし(踊れないし)。集団のダンスは見事だと思ったけど(振り付けも斬新だとは思ったけど)、「だからどうした?」という思いも強かった。「スリラー」からシングルカットされた曲はどれもミリオンセラー。そんなアルバムは過去には存在しなかったから、大変な話題になったけれど、逆に「次は?」というプレッシャーはあったに違いない。5年後に出た「バッド」は、「スリラー」から発展できたのだろうか? 聴いてないから知らないけれど。MTVの「バッド」の映像は、「スリラー」ほども、「ビート・イット」ほどにも驚きもなく、なんだかなあという感じだった。その後にアルバムを出していることなんて、まるで知らなかった。別に興味がないから知らなくてあたりまえなんだけど。

マイケル・ジャクソンは「キラキラ」というイメージからはほど遠い。
ただ、「スリラー」のビデオクリップを作ったことで、時代を変えたとは言えるかも。それまではただ「歌ってる姿を流す」だけだったビデオクリップが、お金をかけて映像に凝って、話題を作ってアルバムも売れる、という図式を作ったのだから。これはビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を作って、LPレコードの意義をすっかり変えてしまったのと同じくらいの出来事だったかもしれない。

それでも「キラキラ」というイメージからはほど遠い。

「キラキラ」というと「いつも輝いている」ということと、「周囲に輝きをふりまいている」というイメージがある。それでいて「ギラギラ」というほどまぶしさがいやらしくなく、「ヒラヒラ」というほど軽くもなく、「チラチラ」というほど目を凝らす必要もない。

思いつきでいろいろ書いたけど、重ね言葉っていっぱいあるのだなあ。読み返してみて思うのだけれど、それぞれ一瞬の動きではなくて、継続しているというか、持続している動きのような気がする。これが「キラリ」だとか「ギラリ」だとか「ひらり」だとかだと、一瞬の動きだけで、でもそこに惹かれるものがあるような印象だ。
マイケル・ジャクソンは「キラリ」と光ったのかもしれない。


「キラキラ」という言葉は、次に「光る」と続けて言ってしまう。「キラキラひかる」というドラマもあったなあ。元は小説か。
「キラキラ光る」というと、僕には昔歌った合唱曲がすぐに思い浮かばれる。山田耕筰の「夕焼けのうた」という曲で、多分「修善寺物語」のなかで歌われるのだと思う。歌っていた当時は、そんなことはまったく気にもかけずにただ歌っていたのだが。あの歌詞は誰が書いたのだったか(今、楽譜を探せば出てくるんだろうけれど、めんどくさいので記憶を頼りに書いています)。多分詩も山田耕筰だったのではないか。夕焼けこやけがキラキラ光る、というだけの歌詞だったが。中に、
「鐘が鳴る鐘が鳴る/寺の御堂の/十字の鐘は/キラキラ光る」
というのがあり、「十字の鐘」というのが何のことかさっぱり分からなかった。楽譜に書いてある歌詞だけを追いかけていくと「十時の鐘」かと思って、夜の10時に鐘が鳴るのかと思ったが、それでは「夕焼け」にはならない。
誰かが漢字の歌詞を見つけてくれて、「十字の鐘」と書いてあったのだ。それでも、何のことだかますます分からなかった。分からないまま歌っていると、指揮者の先生が
「教会の尖塔の、十字架の下にある鐘が光ってるんだよ」
と言ってくれて、そこでようやく「寺の御堂の」というのがキリスト教会のことを指すのだと分かったのだった。分かりませんよ、そんなん。寺と言われたら日本の寺しか思いうかべへんもん。
さらにこの歌の「キラキラ」という表現が一番の決め所だ! というわけで、「どんなキラキラにしたいの?」と問いかけられながら歌ったことが忘れられない。
言葉から、どんなイメージを受けて、それをどう表現するか。歌う時に一番大事なことなんだろうなあ。しょっちゅう忘れるけど。


「キラキラ光る」といえば星。ときどき夜空を見上げることはあるけれど、都会ではポツポツとしか光る星を見ることはできない。満天の星は、空気のきれいなところに行かないと見えないだろうなあ。
昔、「天の川」を見たことがあった。琵琶湖で合唱団の合宿をした時だ。雨上がりで天気もよかったんだろう。夜空を見上げると、天気がいいはずなのにすじ雲のようなものがかかっている。友人が「天の川や」と言ったのだが、信じられなかった。ただのすじ雲だと思った。だが、「合間から星が見えるやろ。ということは、あのすじ雲のように見えるのが、星の後ろにあるってことや。せやからあれが天の川や」という物知りの友人に言われて、改めてほほーっと思ったのだった。
天の川を見たのはその一度きりだ。またいつかどこかで、見られる時があるだろうか。都会では無理だろうなあ。


「キラキラ」を書きながら、さて、次の題は何にしようかと考えていた(キラキラは、難しかった(^◎^;))が、「星」だとか「天の川」だとかだと、まるで連想ゲームみたいでかえって面白くない。
なので、全く関係ないものにしましょう。

次のお題は、「すっからかん」でお願いします(_◎_)

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年6月25日木曜日

6. 「エエかっこしぃ」

たこぶと同じく、就職活動をしないまま仕事についた私です。大学時代バイトをしていた飲食店の常連だった人が社長さんで、私のそのお店での働きぶりを気に入ってくれて、働かないかと言ってくれました。それで大学を辞めたとき面接を受けて、そのままその会社に。最初は正社員で、その後、アナウンスや音楽の仕事や趣味に時間をとられるようになって、あまりにも残業が多く、責任も重く、ハードだったその仕事の形態を、正社員から準社員(パートのようなものなんだけど、社員色が強いもの。。。みたいな感じかな)に変えてもらって、その会社とは結局10年以上は縁が続いたかな。

でも、たこぶが言うように、自分の中では何十年も同じ会社でフルタイム働き続けたという経験がないから、一つのことを永年続けている人、特に職人色の強い仕事に人生かけて打ち込んでいる人を見ると、心から尊敬してしまいます。っていうか、NYでも話すのが好きだったのは、ドアマンやバスの運転手さんやスーパーで売り場の整理をしている店員さんや、デリの店員さん。誰もがやりたがらない仕事、朝早くからだったり、長時間だったりする仕事をやってくれている人たちって、本当に感謝やなぁ・・・なんて思います。そういうことをしていない自分をどこか、「すみませーん」って思ってるんかもなぁ。


さて、私ら二人ともが、たいがいエエ加減な生き方していると、だんだんバレてきたところで(^oo^;)
今回のお題は「エエかっこしぃ」ですかー。ほー。面白いトピックやな。

私はエエかっこしぃか?と言われると、そうでもない気がするけど、でも、この感覚ってどこかで誰もが持ってるような気ぃもするんですね。

「エエかっこしぃ」って、もしかしたら「プライド」なんかもしれん。って。日本語でいうと「尊厳」みたいな。

この「エエかっこしぃ」って、「かっこエエ」って順番変えたら、だいぶイメージ変わりますわな。「エエ」が先に来た途端に否定的なイメージになりよる。なんでなんかな。「かっこエエ」となると、素敵なイメージ。なんでやろな。「しぃ」に鍵があるんかな。

とにかく。

たとえば。。。。
それまですごく社会的に活躍していた人が病気になるってことはあります。いつもおしゃれだった人。いつもみんなのリーダーだった人。いつも活動的だった人。そんな人が、たとえば末期がんと診断された。たとえば、脳梗塞で半身不随になってしまった。

このときにどうするかって色々ありますよね。

ある人は、誰にも会わなくなるかもしれん。自分が髪をバサバサにして、元気なくなって、ベッドで寝てる姿は見られたくないって。そんな自分を見られたくない。よくなってから、またみんなの前に姿を現したい。で、もし二度と人前に姿を現すことがなく、自分が死んでしまったとしても、それでいい。元気やった頃の自分だけを覚えててほしい。

私、これはこれで、かっこエエなぁって思います。エエかっこしぃやなぁって思うけど、その人がその方法を選んだのなら、尊重してあげたいし、会えなくなるかもしれないから、会いたいって思うのは、こっちの勝手で、会えなくてつらくても、やっぱりその人の気持ちを尊重すべきで、そのまま会えないで亡くなってしまったとしても、いつまでも元気やった頃の溌剌としたその人を覚えてあげているしかないのかなって。



それとはまったく逆に。。。。
末期がんだったり、大きな病気だったりを、人前に堂々とさらけ出す人がいます。髪が抜けても、身体がぼろぼろになっても、やせ細っても、うまく舌が回らなくなっても、とにかく、自分の醜い部分も含めてさらけ出す。人間はこうやって弱っていくものなんだ、こうやってまた土にかえっていくものなんだって、教えてくれる、そんな人がいます。これまた思うねんなぁ。かっこエエって。これもいい意味でのエエかっこしぃやなって。




私が嫌いなエエかっこしぃって、どんなんやろ。
人の存在に上下つけることかな。
最近でいうと、例の○○県知事が国政に参戦するかどうかのニュースで、国会議員の人が「けっ」「何をねぼけたこと言うとんねん」みたいなコメントしてましたよね。衆議院議員はえらくて、参議院議員も衆議院よりは「下」やけど、それでも国会議員ではあって、その国会議員よりも「下」なのが、知事であり市長であり、地方議員っていう図式。人をさげすむことで、自分の地位を守ろうとして、自分が「えらい」んだって示そうとして、その結果かえって、その人がいかに「つまらない」存在なのかを、世間にさらしていることに気が付いていない。最低の人たちやなぁって思いました。その最低の人たちの最低ぶりをさらけ出す目的で、あんなことを意図的に言うてはるんかな、あの知事さんはなんて思った。いや、もっともっと裏に色々ありそうですけどね、今回のことは。何もかもが自民党に注目を集めるためのコマーシャルじゃないのとか。すごく大きな芝居が、全員でうたれていて、国民がだまされているんちゃうかとか、ほんま、勘ぐりだしたらキリがありません。

あれ、話がまた横にそれはじめたけど(^oo^;)

とにかく、自分は「えらい」んだって思ってる人、そういう意味で「エエかっこ」してる人、私は嫌いです。自分のなかにそういう感覚が存在していないか、すごく気になります。自分にプライドを持つことは大切だけど、自分が誰かより上とか下とかはないはずで、そういう感覚は持ちたくないなって。鈍感でいると、知らない間に持ってしまうかもしれないから、気をつけていないといけないなって。

でも、エエかっこせんとこせんとこって気をつけるのは大切だけど、さっき書いたみたいに、自分に対して「プライド」を持つこともとても大切。それは自分を愛してあげることになるし、自分を愛せたら人を愛することもできて、自分が幸せだと人にも幸せになってほしいから、誰かに対して親切になれる・・・そんな気がするから。自分ばっかりにはなりたくないけど、人間一つ一つの存在が大切なんだってことは、自分も含んでるんだって忘れたくないなとも思うのです。

こないだ、シルバーコーラスの練習で、練習の最後に、自分でもまったく意図していなかった言葉が出てきました。意図していなかったというか、今日はこれを言って練習をしめようとか、そんな計画はしていなかったという意味。最後に、その日やった曲を通して歌ったとき、指揮する私を見つめて、一生懸命に気持ちよさそうに歌うみんなを見ていて、私は思わずこう言っていました。

「皆さん、本当にきれいですよ」って。これ、本心です。気持ちの底から出てきていました。勝手に。流れ出すみたいに。みんなも正面きってそういわれて、照れるみたいなでもとても可愛い微笑みを浮かべておられました。うちのメンバーは確かに若くはないけど、美人コンテストで優勝するよう人たちばっかりじゃないけど、みんな、本当にきれいです。それは、みんなが生きてきたそれぞれの人生が美しいから。素晴らしいから。どれもこれも、自慢できるものだから。そう感じるから。私も、これから年を重ねて、過ごしてきた人生が、あんな風にキラキラと放出される、そんな人になりたいなって思いました。

エエかっこしぃから、えらい脱線してしまいましたな。わははははは。これもありでしょー。
次のお題かぁ。何にしようかな。
そうだ、単語じゃないけど、「キラキラ」。これにしよう。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

5. 「仕事」

僕も勉強は嫌いな方で、結局大学まで行ったけど、卒業することなく現在に至っている。年を追うごとに勉強嫌いになっていったのも同じ。小学校ではまだ「良くできる子」で通っていたけれど(それは4人きょうだいの末っ子という特権があったからに違いないと、今では思う。学校で起こるどんなことも、すでに上3人が体験済みというのは大きい)、中学校からはだんだん並みの子になっていき、高校では中の中。一浪して入った大学では、部活(合唱団)にうつつを抜かしているうちに、勉強嫌いの性格が爆発して、授業はさぼりまくり。
大学は夜間部だったので、昼間はヒマ(部活も夜だった)。ぶらぶらしていたら、知り合いに「働いてみぃひんか」と言われて、アルバイトをしたのが就職の始まり。いわゆる就職活動の経験がないのですね。
しかし、学校でのさぼり癖は仕事にまで及んで、仕事についた始めのころこそまじめに働くものの、遅刻、欠勤の常習者となり、減給、あるいは首になることもしばしば。
何度目かの「おさそい」で(なぜかぶらぶらしていると、誰かが声をかけてくれるのだった。ええ時代やったのかも)勤めたのは本屋。仕事は店番と、月刊定期誌の配達。初めて「免許」なるものを取得。原付バイクにいっぱいの荷物を積んで、店を出て左にハンドルを切ったとたんに横転。幸い擦り傷だけで済んだけど。練習もなしにいきなり30キロ超の荷物を積んで走らせるとは、本屋の店長も無謀だった。

しばらくは本屋に勤めつつ、合唱団の指揮をしつつ、という多忙な日々。
「しんどぉて、かなわんわ」
と愚痴ると、当時合唱団員だったぶたこが、
「ほんなら、やめたら」
その一言で仕事を辞めて、またしばらくぶらぶら。失業保険が切れかけたころ、元合唱団の団員からまたまた「おさそい」。「うちの主人の勤めてる会社でバイトを募集してるけど」
というわけで働き始めたところに、20年勤めることになったのでありました。

こういう人間なので、まともに働いている人には頭が上がらない。どんな小さな仕事でも、まじめに働いている人はえらいなあと思う。仕事の大小に関わらず。地下鉄のホームで掃除をしているおばさん、スーパーでレジを打っている女の人(女の人が多いなあ)、道でチラシを配っているどこかの飲食店の店員さん。どの人も輝いて見える。どんな小さな仕事でも、それがないと社会は成り立たないのではないかと思うからだ。

昔々、僕が若い頃は「社会の歯車のような仕事はしたくない」という人が多かった。今でも「起業家」とかはもてはやされるのかなあ。
でも、思うのであるよ。出来のいい歯車になるのも、悪くないと。「こんなことして、何の役に立つのか?」と思うような仕事、世の中にはいっぱいあるけど(今の僕の仕事も似たり寄ったりかなあ)、どの歯車も、ひとつでも欠けると世の中は回らないのだよ、きっと。


僕は、このように流されて流されて、成り行き任せのままに生きてきて、たまたま仕事にありついて、お金をもらえるようになっているわけで、これはとてもラッキーなことだったといつも思っている。特に今の世の中ではね。
多くの人が将来の夢とかを抱いて、学校で勉強したり就職活動したりするわけだけど、僕はそういう夢みたいなものはあんまりなく(仕事以外の夢はたっぷりあった)、努力とか勉強とかも嫌いだったから、ほんとに今でも生きていられるのは、たまたまが続いているせいだと思う。叶うことなら、これからもたまたまはずっと続いてほしいところだ。

自分の現状には不満はないけれど、夢を実現したひととかを見るとうらやましく思う。それと、自分の仕事に誇りを持っている人は「かっこエエなぁ」と思って、尊敬の眼差しで見てしまう。「ドリームハウス」で、建築家の奇妙なデザインの設計にも「なんじゃこらぁ?」と言いつつ、設計図どおりに仕上げてしまう大工さんの腕前には感動する。枯れかけの桜を再生させるために、努力を惜しまない「桜守」と呼ばれるおじさんは、その努力をたたえられても「植木屋でっさかい」の一言でかわしてしまう。かっこエエなあ。

こうやって考えてみると、僕が感心しているのはどうやら「自分の力で仕事をしている人」みたいだ。才能とか才覚とか、やり手だとかじゃなくて、自分の力で努力している人。大勢のそういう人たちが居て、この世界は動いている。通勤の電車に乗っていて時々思う。ここに居る人みんなで、この社会が成り立っているんだなあ、と。


かっこつけすぎ(^◎^;)

つぎのお題は「エエかっこしぃ」にしよう(^◎^)

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2009年6月24日水曜日

4. 「授業」

たこぶの「ラジオ」話、前半のメカニックなこと、ほとんど分からんかった(^oo^;) 普段は男も女も関係ないやんとかいうけど、ああいう話になると「男の子話だ」と感じてしまうなぁ。なんやろ。自分の中に、これは女の子、これは男の子みたいな分別があるんかもしれんなぁ。

聴いてたラジオ番組というと、
「ぬかるみの世界」→ティーチ・インにも行ったし、新世界ツアーにも参加したよ
「ヤンリク」→キダ・タローさんのミキサー完備スタジオ貸しますに友達三人とカルテットコーラスで出演したよ。
「ヤンタン」→ちんぺいの女性立ち入り禁止コーナーとかに電話してオンエアになったことあるな。一回だけ。
「サタデー・バチョン」→浜村淳さんの「思い出は映画とともに」のコーナーが好きやった。
「オールナイト日本」、「走れ歌謡曲」このあたりは、朝まで起きてテスト勉強のときに聴いてた。勉強はせずに(^oo^;)

・・・と私がラジオを語る番ではなかったのであった。
お題は「授業」ですな。

授業かぁ。
私の学校時代というと。
小学校のときは、まじめな生徒やった。前半は寝屋川市の小学校、後半は転校して大阪市南区小学校。いじめられたりはしたけど、基本的に勉強がきらいじゃなかったな。体育はいつも苦手やった。

中学になって、授業が面白くないと思い始める。生徒が団体で先生をいじめるなんていう、最低なこともはやってたな。今から思い出すと、やさしくていい先生やったのに「ださい」「めんどくさい」「うっとうしい」とかいうて、国語の先生が教室に入ってきたら、全員机と椅子を後ろに向けて、先生が話すのも無視したり。一度、先生が泣いてしゃべってはったこともあった。あー、悪かったなぁ。あのとき。あの頃、校内暴力とかもはやってて、生徒同士で恐喝みたいなこともあったりして、「不良」って言葉を覚えたのもこの頃。私は、不良にもなれないけど、まじめな子たちにも入らず、適度に悪かった。寄り道で喫茶店に行ったり、放課後ディスコ行ったり、十分ふまじめやねんけど、「不良」といわれる子たちの域には達しないところで、とどまってた感じ。地域的に都会の真ん中やったし、みんな、親が商売してたりして、野放しなってた子も多くて、寂しかったり、家庭の事情が複雑やったりしたんかもなぁ。

そうそう、中学・高校あたりは、交換日記というのもはやってて、授業中、ノートに何か書いては、グループ同士で机の下からまわしては、読んだりしてた。

高校。いよいよ授業がおもしろくなくなって、しょっちゅうサボってました。今でも覚えてるけど、あと一回さぼったら留年ってところまでさぼってた。あかんやん(^oo^;) こんだけサボってるわりには、先生とは仲がよくて、放課後、教科準備室に遊びにいって、話し相手になってもらったり、ご飯を食べに連れいってもらったりと、先生たちには可愛がられた生徒やった覚えがあります。もしかしたら、あぶなっかしくて、ほっておけなかったんかもなぁ。

そんな私も短大に入れて、クラブにうつつぬかして、これまたあんまり授業はまじめじゃなかった。途中で声楽を勉強しようということになって、四年生大学のを受験するねんけど、結局は私は大学を一つも卒業しなかった。これは今でも少し後悔してるし、私ってあかんやんなーって思うことの一つ。


授業というと、私の中では大人になってからの方が印象が強いかも。記憶が新しいこともあるけど、大人になって、自分でお金出して、自分がやりたいことを学ぶということが、すごく素晴らしいことだって気がついたから。日本で通ったサイマル・アカデミーの授業、一生懸命受けて、一度は奨学生として学費を割引してもらえたし、最初の短期海外留学のカナダの英語学校でも、最後には優秀生徒賞みたいなんをもらった。大人になってから受けた授業、一番最近のNYでの指揮法の授業も含めて、ほとんど休んだ覚えがない。先生の言うことをひとことを、一つも逃さずに聴くぞ、自分のものにするぞ、復習するぞ、予習するぞって、やたら気合が入ってるねんな。

この違いって何なんでしょね。この気合が、子どものときからあったら、私はまったく違う人生歩んでたんやろな(^oo^;)(^oo^;) もっと早く気づけよって思うけど、まっ、気づかないまま人生終えてたよりは、よかったやんって思うことにしてます。

自分の経験を通して思うのは、学ぶには「動機」があるといいのかなってことかな。あと、深く深く学びたいって域まで達するには、やっぱ自分の意志で選んだ道で、自分で貯めたお金で学校に通うってことも大切なのかもしれん。親に出してもらったお金を、私はいっぱいムダにして、申し訳なかったと思うけど、あの頃に戻っても、やっぱりそんなに勉強しない気もする。なんでやろなぁ。

そう、もう一つ思うのは、学ぶためには、気持ちが安定しているってことも、けっこう大切なのかもしれん。子どもの頃の私は、「こんな悩みがあって、人生いつまで続くか分からんし、別に勉強したからってやりたいことがあるわけでもないし、とにかく他に考えることいっぱいあるのに、勉強どころちゃうわ」とか、その時々で勝手な理由つけて、さぼってた。悩むのが趣味やったかも(^oo^;) 心が安定していると、目の前の目標がすんなり見えてくるというのはあるかもしれんなぁ。

私には子どもがいないけど、世の中の親御さんたちが、子どもが勉強せえへん、勉強する子どもにするためにはどうしたらええんやろって悩む気持ちはわかるし、勉強に集中できない子どもの気持ちも、自分がそうやったからどっか分かるなぁ。

で、これまた自分の経験を通して思うけど、学ぶってこと、いつになっても遅くないから、それでもええんかなって。学校時代勉強がキライで、大人になってから目覚めて大好きになって、人生の後半でやりたいこと見つけて、それから研究者になったり、職業が変わったり、自分の一生をかけたプロジェクトができたり。そんな人生の途中で目覚めた学びも、いつだって「間に合う」、学んだ人がいつでも受け入れられる、そんな世の中であって欲しいなぁって思う。

社会人を何年かやって、あるいは主婦を何年かやって、一念発起して、学校行って学んで、資格とって、それから仕事探しても、見つからない・・・・今ってそんな世の中のように見えるけど、そんな途中からがんばってる人が、年齢と関係なく、新しく働ける場所、学んだことを生かせる場所が、与えられる、受け入れられる、そんな世の中になってほしい。今、仕事を探して苦労している友人がすぐそばにいるから、余計にそう思うなぁ。


あれ・・・・授業の話から、仕事の話になっとる(^oo^;)
まっいいか。これもまた自然なり~。

んじゃ、次のお題はコレにしよう、「仕事」。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年6月23日火曜日

3. 「ラジオ」

かつて広島東洋カープに、ラジオという選手がいた。甲子園での阪神戦で、サンテレビ実況の谷口アナが、
「バッターボックスにはテレビ・・・・ではなくて、ラジオ」
と、ベタ過ぎて笑うしかない中継をしていた。

子どものころ、すでにラジオはトランジスタの時代だった。テレビはまだ真空管で、「トランジスタ・ラジオ」というのは、文明の香気を感じるような響きだと思ったものだ。
トランジスタといっても、大きさは大きめの弁当箱ぐらいはあった。裏蓋はネジで留めてあるだけなので、ドライバーで簡単に外すことができた。中を覗くと、小さな部品が並んでいて、未来都市の風景だなあなどと思っていた。小さな部品といっても、文字どおりのトランジスタが並んでいるんだけれど、それも今のトランジスタと比べると、塩の結晶とご飯粒ぐらいの差はあるんだけれど。そういう小さな部品が整然と並んでいる風景に、なぜかとてもわくわくしたものだ。

科学好きの男子なら、そこから発展して自作ラジオ、ということになるんだろうけれど、僕はただ並んでいる部品を見ているだけで満足していた。
ことに気に入っていたのは「バリコン」と呼ばれる部分だ。
正確には「バリアブル・コントローラー」というらしい。つまりはチューニングの部分なんだけど、なぜかこの部分は小さなラジオの本体の中でも大きなスペースが当てられていて、その存在感が大きかったのだ。さらに、裏蓋を開けたままチューニングつまみを回すと、バリコン本体が動くのである。
バリコンの形は、何と言ったらいいんだろう、何枚かのディスクが重なっているようなもので、その円盤部分がつまみの動きと共にグイーンと回るのが、なんともロボットの動きのようで楽しかったのだ。

考えてみたら、ラジオのチューニングというのはおかしなものだ。テレビならチャンネルを合わせるだけで目的の放送局にピタリとチューニングできる。だがラジオのチューニングはいつまで経ってもつまみで調整するタイプだ。自動チューニングというのもあるけれど(わが家のミニコンポもそのタイプ)、基本はダイヤルタイプ。これは何か意図があるんだろうか。おかげで昔は、深夜放送で東京の放送を聴こうとして、韓国語が流れてきたこともあった。いまでも同じかもしれないけれど。試してないのでわかりませんが。

韓国の放送が聴けるというのも、おかしなものだ(テレビではあまり考えられない)なあ。なにしろ電波は行く先を決めずに流れていくものだから、つかまえることさえできれば、その放送を聴くこともできるのだな。ひょっとしたら、テレビ電波も同じようにつかまえることができるのだろうか? 長波と短波で届く範囲が変わってくる、という話も聞いた覚えがあるなあ。

電波というのも、面白い存在だ。目には見えないけれど、いろんな情報を運ぶことができる。こちらでツー・トトト・ツーと打てば、あちらでもツー・トトト・ツーと聞こえる、ということを発見・発明した人はえらいなあと思う。まあ、何事でも最初に見つけた人、最初に作った人はえらいんだけど。
中学か高校かの理科の時間に、電波の原理というのを習ったような気がするんだけれど、今ではすっかり忘れている。そんな原理なんか知らなくても、1008kHzにチューナーを合わせれば、タイガースの野球中継は聴くことができる。同じように、テレビのスイッチを入れてチャンネルを合わせれば、好きな番組は見ることができる。原理なんか知って、どないなるの?
でも、原理を知っていると、何かと便利なのかも。
第一、何で今になってテレビの地上波はデジタル化せなあかんのか、ということが分かったりするのかも。
分かってどうする? 分かってようが分からなかろうが、デジタル化はされるのだ。そしてテレビを買い換えなければ。とほほ。

さて、ラジオといえば、僕らの若い頃(35年以上前!)は、深夜ラジオの全盛期であった。時代的に全盛、というより、その時代の自分が一番よく深夜ラジオを聴いていた、というだけやけど。ラジオを聴きつつ寝る。起きたらラジオはつけっぱなし。そんな日が週に何日もあったなあ。DJが終わる午前5時ごろにようやく寝始めるとかね。もちろん次の日の授業中は、その分の睡眠時間ということになるのである。ははは。

ということで、次のテーマは「授業」ということにしましょうか。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

2. 「氷」

なんか、交換ブログ作った初日で、おもしろいから二回も投稿しちゃお。

たこぶから初めてのお題は「氷」ですか。
涼しいですなー。暑かった今日には、ごちそうに感じますね。氷。

氷といえば、冷蔵庫の進歩には目を見張るものがありますね。私が子どもの頃、冷蔵庫といえば、1ドア。冷蔵庫のなかの上段に、ちょっとした棚みたいなのがあって、そこに製氷皿を置いて氷を作ってた。でもその製氷室は、すぐに霜がはって、それが山のようになって、その霜とりがまた大変。

初めて2ドアの冷蔵庫が来たときは、驚いたなぁ。氷がすごくきれいにできる。あんまり真ん中に穴もあいたりしない。で、それからまた何年もたって、友だちんちで、はじめて氷が自動ででけるやつを見たときは、これまたたまげたもんです。で、数年前、一部有名なビックカメラでクジに当たって10万円分の商品がタダになるってのでわが家に冷蔵庫が来まして。それ以来、わが家でも氷自動製造機能の恩恵にあずかってます。一回目、氷が自動ででける瞬間、今でも覚えてます。隣の部屋にいたんだけど、その瞬間すごい音が冷蔵庫から聞えてきてびっくりした。ぐわっ、みたいな音がして、なんだなんだ今の音は?って思った。で、冷蔵庫まで見に行ったら、それが氷がでけた音で、たった10個ぐらいしかでけてなかった。こんなちょっとかって思ったけど、チリも積もればなんとかで、次の朝起きてみたら、でけた氷が山になってて感激した。

そういう便利な機能も、慣れてしまうとなんとも思わないモンですな。今では、当たり前のように、夕食の時間になると、麦茶入れたコップに、ざぱっざぱって氷を入れて、涼をとららせてもらってます。改めて、冷蔵庫さん、ありがとう(^oo^)


それから、氷といえば、はずせないのが「カキ氷」。昔から大好物です。カキ氷を食べたら、頭が痛くなるって人がいるけど、私はあまりならない。山のようなカキ氷でも、わりと最後まで美味しいなーって思って食べられます。ときどき、舌の先がマヒして話しにくくなるときはあるけど(^oo^;)

私が好きなフレーバー。

子どもの頃
・イチゴ
・レモン
・ミルク(ミルクはちょっと高かったから特別なとき)

色がきれいなのが好きだった。


大人になってから
・宇治金時ミルク(ゴールデントリオ!)
・宇治金時
・宇治ミルク
・ミルク金時
・いちごミルク

宇治にかたよってます。ほんまの抹茶使ってる店だとご機嫌。


あー、書いてるだけで涼しくなってきたよ。


では、次のお題。何にしようかなー。
今、聴いてる最中なので、「ラジオ」。これにします。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)

2009年6月22日月曜日

1. 「書く」

ぶたこぶのコレ書いて

そんなわけで(どんなわけやらは、上記リンクを参照してください)、ぶたことの交換ブログを始めました。
ぶたこも自己紹介をしているので、わたくしもついでに(^◎^;)

ついこないだ、50歳になりました。半世紀も生きてきたなんて、信じられんなあと思ってたけど、こないだ日本最長寿の方が入れ替わって(^◎^;)、113歳かあ、それでまだあんなに元気やなんて、そっちの方が信じられん、人間、ほんまの寿命というのはどんなけあるんやろうと、自分とは全く関係のないことなのに感心していました。

趣味は読書と音楽、かなあ。絵を描くこと、とか入れたいけれど、絵を描くのはお金がかかる(^◎^;)。画材道具って高いんですよね。音楽も高くつくんちゃうんか、と思われそうやけど、楽しむといっても楽器じゃなくて歌う方、あとは聴く方やから、そんなに大したことはないのです。
読書は、どんな本でも。でもあんまり学術書とかは読めへんかなあ。好きなのは小説。ジャンルはあんまりこだわりがありません。その時々で、自分の中ではやりすたりがあるような気がします。一人の作家やひとつのジャンルを追っかける傾向にはあるかなあ。

さて、今回のお題は「書く」ですが、ぶたこは「書くのも読むの好きで」と書いていますが、書くことに何の抵抗もないらしいことは、「ぶたこな日々」の読者の方なら十分にご存じでしょう。ときどき、
「あんなけよお書かはりますね、大変でしょう?」
と言われる(わたくしに対しても)のですが、なにしろキーボードを打つ早さが尋常じゃないので(しかもローマ字じゃなくてカナ入力である)、あっという間にたかたかたかと書き上げてしまうのであります。ほとんどしゃべる速度と変わらないんじゃないかと思うくらい。だから、ぶたこにとってブログを書くことは、
「誰かとおしゃべりすること」
とほとんど変わらないのでしょう。
そして、普段のおしゃべりでも、言葉につまるようなことはほとんどないので、文章を書く時もほとんどつまることがない。あっという間に書き上げてしまうのはそのせいかも。

ブログを「書く」と言うけれど、本当は字を書いているのではないですね。キーボードを打ってる。字を書くのが早いわけではなくて、キーボードを打つのが早いというところが、現代やなあ。
その昔、パソコンがはやり始める前、ようやくワープロがはやり始めたころかなあ、
「ワープロで文字を打つのに慣れてしまうと、字を覚えなくなる。字を覚えるのは、何といっても手書きするからなのである。ただキーボードのキーを叩いて、変換した文字を確かめるだけでは、いつまで経っても字を覚えられない。すなわち、日本人は日本語を覚えなくなり、日本語は廃れてしまうのである。よって、ワープロは日本語にとって害悪なのである」
というような言われ方をしたことがありましたな。
でも、それから何十年も経ってるけど、日本語は廃れずに使い続けられてますね。文字を覚えない、なんてことはあるのかなあ。漢字検定は(いろいろ問題はあったけど)、まだ流行ってるみたいやし。

便利な小道具とかが出てくると、ついつい「そんな便利さにだまされてはいけないのだっ」という、旧来の方法を後生大事にすべきという意見というか、風潮が生まれるんですけど、それっていい時と悪い時とあるなあと思いますな。
ワープロから発展して、パソコンでもコミュニケーションがとれるようになって、文字を交換できるようになって、ひとりひとりの世界が広がったのは間違いないことやし。
もちろん、すべてがすべて、新しいこと便利なことがすばらしいとは言いませんけどね。わたくしも相変わらず携帯電話を持ち歩かない生活やし(どうにも慣れない)。

手書きで文字を書く機会は少なくなったとはいえ、全くなくなったわけではありませんな。今日も図書館での手続きは手書きで住所氏名を書かなあかんかったし。仕事でもしょっちゅう手書きでメモをとるし。ちょっとしたメモなら、パソコンよりも手書きの方が楽やし早いから、仕事中は手書きが多いかなあ。
でも、機会が少なくなっているのは間違いないので、しょっちゅう書き間違いをするのも確かです。
あれ? 結局、間違わないためには手書きに慣れた方がいいっていう結論になる?
そんなつもりはなかったのに・・・・


と、話がまとまらなかったところで(^◎^;)、次のお題。

蒸し暑い日が続きそうなんで、ちょっと涼しげに、「氷」といきましょう。

ぶたこ、コレ書いて(^◎^)

ぶたこぶのコレ書いて~はじめます(^oo^)

ぶたこです(^oo^)

えっと、今日から新しい試みを始めます。
私、ぶたこ(^oo^)と、旦那のたこぶ(^◎^)は、夫婦それぞれブログを持っています。二人ともお互いの日記を書くのも読むのも楽しんでるんだけど、何か二人で一緒にできないかなぁということになりました。

きっかけは、今日行ってきた「田辺聖子文学館」。ここ最近、休日出勤が続いていたたこぶ、今日は月曜だけどお休みでした。お昼に回転寿司いったあと、帰り道、近所の樟蔭女子大に寄って図書館の利用申し込みをして、その図書館一階にある文学館を二人で見学したのです。展示の最後にこの文学館ができたときの記念対談が見られるブースがあって、月曜で空いてて誰もいなかったのをよいことに、一時間以上のビデオ二人で最初から最後まで真剣に見入ってしまいました。

大阪弁は聴覚からでなく、視覚からの表現が必要、いつも人生で希望を持って、持ち続けるのは難しいけど持ち続けられるように自分なりに工夫して、書くことが好きなら色々な文章を読んでみて、著名だといわれる作家作品をできるだけ全部読んで、好きな作家を見つけてその作品に隠された秘密を探って・・・・。もう刺激をたくさんいただきました。

文学館からの帰り道、私が「ねえ、たこぶ、私たち二人とも書くのも読むのも好きでさ、お互い自分のブログ持ってるけど、ブログって、自分でネタ見つけて、自分で書きたいなって思うことが浮かばないと書かないよね。で、ときどき、あんまりネタがないなって思ったり、書きたくないなって思ったりする。あのさ、お互いに書くネタを与え合うってのどうかな? コレについてどう思う? コレについて書いてみてって。書くネタを相手に投げて、お互いに交代で書きあうねん。そういう共同ブログを作るのって面白くない?」と提案してみました。なんだか聖子さんに刺激を受けて、頭の中にそんなことがパッと浮かんだのです。

たこぶもおもしろがってくれました。「それ、ええな。やってみよか(^◎^)」

ってことで、帰宅して、ブログを開設。色はどんな色? 枠はどんなの?と話し合って決めて、タイトルも、いっぱい候補を出し合って、「ぶたこぶのコレ書いて」に決めました。いつまで続くか分からないけど、どのぐらいの頻度になるか分からないけど、相手からコレ書いてと言われて書くのって、なんか面白いなって思います。その「コレ」について、自分でも思ってもみない記憶がよみがえるかもしれないし、相手が自分が想像もしないようなことを書くかもしれない。試してみようと思います。

交換エッセイは、自分のブログと二人の共通ブログの二ヶ所に文章をあげます。そして、同じ文章を二人の共同ブログ「ぶたこぶのコレ書いて」にもあげます。二人のブログを別々に読んでくれている読者は、それぞれのブログで読むことになるし、二人のやりとりをまとめて読みたいときは、この共同ブログを訪問していただくと読めることになります。読者がつくのかどうかは分からないけど、自分たち自身が楽しいので、やってみようと思います。


では、まずは自己紹介から。

私は、ぶたこといいます。家族は、旦那のたこぶと、ネコのガラ、モモ。子どもはいません。46歳ですが、来月には47歳になります。住んでいる場所は大阪府東大阪市。住みやすくて気に入ってます。

趣味は・・・なんだろう。やっぱり最初に来るのは音楽かな。歌をうたうのが好きです。ピアノも少し弾けます。英語を学んでいます。真剣に学びはじめたのは2001年。カナダに一ヶ月短期留学したことがきっかけです。学び続けてもう八年かぁ。ペラペラになんて、一生なれそうにもないけど、自分の思っていることが始めた頃に比べるとだいぶ伝えられるようになったなと思います。

世の中のこと、いろんなことに興味があります。その興味のモチベーションは、知らないから知りたい・・・という欲から来ているかもしれません。学生時代、自分でいうのもなんですが、不真面目でした(^oo^;) 大人になって、勉強っていいなぁ、学ぶっていいなぁって思い出して、今、どんなことも「へー知らなかったなぁ」って無知をさらけ出しながら、新しいことを学び続ける毎日です。

書くことが好きです。たぶん読むことも。あまり難しい文章は書けないけど、自分の心の奥の方にある小さなシワみたいな部分をなんとか書き出すことができたらいいな、そしてそんなシワみたいなものを交換できる友達が書くことを通してできると素敵だなと思っています。

46歳という年齢は、きっと人生の後半には入っているんだろうなって思いますが、まだまだ自分のことオトナになれきれていない未熟な存在だと思うし、もっともっと成長していきたいなと思っています。


って、こんくらいでいいかな。自己紹介になってるかな?

ってことで、まず第一回のネタをたこぶに投げたいと思います。ネタは、なんでもあり、細かいことでも、重くても軽くても。何にしようかなー。

んと、では、最初のお題は、「書く」。コレでいきます。

たこぶ、コレ書いて~(^oo^)