2009年7月8日水曜日

17.「旅」

「きみはっ、なにをいっまっ」のレコード、うちにありますよ。シングルのドーナツ盤。ドラマもずっと見てたしなあ。確かにあのドラマの世界にあこがれてたけど、現実は甘くないのだ。

さて、「旅」
「月日は百代の過客にして、、行かふ年も又旅人也」(芭蕉)
いきなりかっこよく始めたった。芭蕉は旅をして、その中で句を詠んだ人。芭蕉に限らず、旅を好んだ歌人、俳人は多いはず。その最たるものは種田山頭火か。詳しくは知らないんだけど。旅をしつつ句を詠む。その句も、五七五の形にとらわれない形。放浪する人は、いろんなことにとらわれないのかもしれないなあ。
あるいは、人は誰でも「放浪」に憧れがあるのかも。放浪の詩人、放浪の画家。何人も居そうだけれど、そういう肩書きがつくと、なんとなくかっこいい。かっこいいと思うのは、そこに憧れがあるからだろう。憧れがあるということは、多くの人は放浪したくてもできないということだ。だから放浪している人の話を聞き、放浪している人の句を詠んで、放浪を追体験しているのかも。それで満足している。ちょうどテレビの旅番組を見て温泉につかってうまいもんを喰った気分になるように。

おかげで、旅をテーマにした芸術作品は数限りなく存在する。いまちょうど、武田百合子の「犬が星見た」を読んでいるところだ。夫武田泰淳やその友人の竹中好らと行った旧ソ連の旅行記。武田百合子の観察眼に圧倒されっぱなし。事実を並べているだけなのに、感情がほとんど見えないのに、おかしい、楽しい、わくわくさせる。

本の話はおいといて。
よく考えてみると「放浪」と「旅」とはちょっと意味合いが違う。「放浪」になると、どこに行くか行き先は全く見えてこない。終着はどこなのか。決まっていないのが放浪だろう。「旅」となると、いつかはわが家に帰ってくる、そんなイメージがある。
「しばらく、旅に出ます」
というと、どこかで自分を探しに行って、でもいつかは元の場所に戻ってくるという安心感のようなものもあるけれど、どうだろう。
「放浪」の末に、結局は元の場所に戻ってくる、ということもあるかもしれない。童話の「青い鳥」みたいだ。読んだことないけど。いろいろ探し回って、一番大切なものは元の自分がいた場所にある。そんなところだろう。なんだか教訓めいていて、好きになれないなあ。別に僕が好きなろうがなるまいが話は存在するんだけど。


昔は、旅行がそんなに好きでもなかった。出かけるのはめんどくさいし、旅先で知らない人に会って話をするのもめんどくさい。だいたい他人と話をすること自体がいつもめんどくさいのだから、そんな人間がわざわざ見ず知らずの場所に行って見ず知らずの人と出会うなんて、考えただけですくんでしまう。お土産の算段、お小遣いの心配、考え始めると再現がなく後ろ向きになっていた。
そんな風だったんだけど、ぶたこと一緒になることで180度変わってしまった。
旅行は楽しい。知らない場所に行って知らない人と出会う。相手にとってもこちらは異邦人だ(たとえのはなし)。だから対等だといえる。いろんなものを見てやろう知ってやろうと思うと、いろんなことが見えてくる。その面白さ。
でもこれはひとりではどうにもならなかっただろう。ぶたこが一緒にいて、いろいろ世話を焼いてくれるからこそできること。ぶたこに任せておけば安心というのがある。ひとりでどこかに出かけるというのは、今でも苦手だ。
つまりは、いろいろ考えるのがめんどくさいんだろう。それさえなければ、旅行を楽しむことはできるんだけど。それでは旅行の醍醐味がない。確かに。それでも楽しんでるんだから、いいではないか。人には人の楽しみ方があるのだ。

結婚するまで、飛行機に乗ったこともなかった。初めて乗ったのは北海道旅行。冬の北海道でカニづくし。新婚旅行で海外に行けるかと思ったが、ちょうど湾岸戦争の最中で断念したのだ。これで海外には縁がなくなったかと思ったが、2年後に初めてロスにツアー。ユニバーサル・スタジオ、ディズニー・ランド、ナッツベリー・ファームと、遊園地三昧。「カリフォルニアに雨は降らない」と言われていたのに、旅行の2日目は大雨。そういえば新婚旅行も(萩・津和野)雨だったなあ。ときどき雨にたたられる。

毎年、国内、海外を問わず、いろんなところに旅行に行ってるなあ。一時香港に凝ったこともあったし(毎年、旧正月前のバーゲンを狙って行ってた)、国内秘境めぐりのようなものもあったなあ(観光客がほとんど居ないところを狙って)。青春18切符も、いっぱいお世話になりました。そのすべてが、ぶたこと一緒の思い出になっているところがいいところ。ふたりで行くのが一番面白い。


旅行の思い出を始めると際限がなくなるので、この辺で話題を変えて。
「旅」というと、そのものズバリの混声合唱組曲「旅」を思い出す。たぶんいままで一番たくさん関わった合唱曲だと思う。何回も歌ったし、何回も指揮をした。僕はこの曲が大好きなんだけど、どうやら最近はあまり歌われないらしい。曲そのものは簡単に歌えるので、中高生の合唱初心者が歌う、易しいけれど面白みのあまりない曲と思われているのかなあ。
冗談じゃない。
どんな曲だって、一生懸命楽譜を読み込んで、歌い込んで、気持ちを込めれば、歌いがいのあるいい曲になるのだ。簡単な曲だから、深みがないと思うのは、そう思う方こそ浅はか。あたらしい耳触りのいい曲もいいけれど、昔から歌い継がれている曲にはそれなりの理由もあるのです。無理やり歌えとは言わないけれどね。くだらないと思わないでほしいだけ。


なんか話が広がっていってしまうなあ。これもまたよし、か。

では次のお題。今日は七夕だから、星にちなんで「星座」としましょう。

ではぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

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