2009年6月23日火曜日

3. 「ラジオ」

かつて広島東洋カープに、ラジオという選手がいた。甲子園での阪神戦で、サンテレビ実況の谷口アナが、
「バッターボックスにはテレビ・・・・ではなくて、ラジオ」
と、ベタ過ぎて笑うしかない中継をしていた。

子どものころ、すでにラジオはトランジスタの時代だった。テレビはまだ真空管で、「トランジスタ・ラジオ」というのは、文明の香気を感じるような響きだと思ったものだ。
トランジスタといっても、大きさは大きめの弁当箱ぐらいはあった。裏蓋はネジで留めてあるだけなので、ドライバーで簡単に外すことができた。中を覗くと、小さな部品が並んでいて、未来都市の風景だなあなどと思っていた。小さな部品といっても、文字どおりのトランジスタが並んでいるんだけれど、それも今のトランジスタと比べると、塩の結晶とご飯粒ぐらいの差はあるんだけれど。そういう小さな部品が整然と並んでいる風景に、なぜかとてもわくわくしたものだ。

科学好きの男子なら、そこから発展して自作ラジオ、ということになるんだろうけれど、僕はただ並んでいる部品を見ているだけで満足していた。
ことに気に入っていたのは「バリコン」と呼ばれる部分だ。
正確には「バリアブル・コントローラー」というらしい。つまりはチューニングの部分なんだけど、なぜかこの部分は小さなラジオの本体の中でも大きなスペースが当てられていて、その存在感が大きかったのだ。さらに、裏蓋を開けたままチューニングつまみを回すと、バリコン本体が動くのである。
バリコンの形は、何と言ったらいいんだろう、何枚かのディスクが重なっているようなもので、その円盤部分がつまみの動きと共にグイーンと回るのが、なんともロボットの動きのようで楽しかったのだ。

考えてみたら、ラジオのチューニングというのはおかしなものだ。テレビならチャンネルを合わせるだけで目的の放送局にピタリとチューニングできる。だがラジオのチューニングはいつまで経ってもつまみで調整するタイプだ。自動チューニングというのもあるけれど(わが家のミニコンポもそのタイプ)、基本はダイヤルタイプ。これは何か意図があるんだろうか。おかげで昔は、深夜放送で東京の放送を聴こうとして、韓国語が流れてきたこともあった。いまでも同じかもしれないけれど。試してないのでわかりませんが。

韓国の放送が聴けるというのも、おかしなものだ(テレビではあまり考えられない)なあ。なにしろ電波は行く先を決めずに流れていくものだから、つかまえることさえできれば、その放送を聴くこともできるのだな。ひょっとしたら、テレビ電波も同じようにつかまえることができるのだろうか? 長波と短波で届く範囲が変わってくる、という話も聞いた覚えがあるなあ。

電波というのも、面白い存在だ。目には見えないけれど、いろんな情報を運ぶことができる。こちらでツー・トトト・ツーと打てば、あちらでもツー・トトト・ツーと聞こえる、ということを発見・発明した人はえらいなあと思う。まあ、何事でも最初に見つけた人、最初に作った人はえらいんだけど。
中学か高校かの理科の時間に、電波の原理というのを習ったような気がするんだけれど、今ではすっかり忘れている。そんな原理なんか知らなくても、1008kHzにチューナーを合わせれば、タイガースの野球中継は聴くことができる。同じように、テレビのスイッチを入れてチャンネルを合わせれば、好きな番組は見ることができる。原理なんか知って、どないなるの?
でも、原理を知っていると、何かと便利なのかも。
第一、何で今になってテレビの地上波はデジタル化せなあかんのか、ということが分かったりするのかも。
分かってどうする? 分かってようが分からなかろうが、デジタル化はされるのだ。そしてテレビを買い換えなければ。とほほ。

さて、ラジオといえば、僕らの若い頃(35年以上前!)は、深夜ラジオの全盛期であった。時代的に全盛、というより、その時代の自分が一番よく深夜ラジオを聴いていた、というだけやけど。ラジオを聴きつつ寝る。起きたらラジオはつけっぱなし。そんな日が週に何日もあったなあ。DJが終わる午前5時ごろにようやく寝始めるとかね。もちろん次の日の授業中は、その分の睡眠時間ということになるのである。ははは。

ということで、次のテーマは「授業」ということにしましょうか。

ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)

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