2010年10月20日水曜日

41.テレビ

テレビ

最近のテレビ番組については、書けることがいっぱいありそうだけど、全部もんくになってしまいそうなので、テレビの機械そのものについて書こうと思う。

初めて自分の家にテレビが来たときのことは思い出せない。生まれたのが昭和34年だから、生まれる前からあったわけではないだろうと思う。小さい頃の写真を見ると、テレビがと一緒に撮ったものもある。当時はテレビは床の間に置いてあって、姿見鏡のようにブラウン管の前に布を垂らしてあった。見ないときには布をかけておくという習慣だったのだ。
あのテレビの大きさはどれくらいだったのだろう。画面の大きさが18インチとか20インチとか言っていたような気もするが、自転車のそれと混同しているかもしれない。今のテレビを見ていると、こんなに大きくはなかったという印象だ。
今と違って四隅は鋭角ではなく、丸みを帯びていた。ブラウン管の技術があまり高くなかったのだろう。そしてブラウン管の前にはさらにカバーのようなものもついていた。パソコンの出はじめの頃、ディスプレイにかぶせていた遮光カバーのようなものである。ブラウン管の光がまぶしすぎないようにとか、ブラウン管に部屋の様子が映り込まないようにするためのものだったと思うが、宣伝文句は「これで画面も広々と見えます」というものだった。画面の四隅を引き伸ばす、レンズのような役目もしていたらしい。
床の間に置いてあるし、普段は布がかかっているしで、今のテレビとはずいぶん様子が違う。今だったら一家団欒の中心に座っているけれど、当時はテレビを見ながら食事、などということは考えられなかった。だいたい放送されている番組も少なかった。昼間は正午のニュースが終われば今で言うワイドショーのようなものがあって、NHKの連続テレビ小説があって(覚えているのは「おはなはん」だ)、そこから夕方までは番組はお休み。新聞のテレビ欄には堂々と「テストパターン」と書いてあった。当時はもちろん白黒なので、今のような色分けされた四角形が並んでいるわけではなく、ひしゃげたドーナツのような形から、上下左右に光の筋のようなものが出ている形だった。音も鳴っていた。それは今と同じような気がする。

一番初めにテレビで見た映像は、化け猫の映画だった。夜の武家屋敷の庭。池の畔で水面を見ている女の後ろ姿。着物を着ていて髪は日本髪。廊下を通りかかった裃を着たお武家さんが不審に思って、「これ、そこで何をしておる」と声をかけると、そおっと振り向いた女の顔が猫になっていた。「にゃあお」と一声鳴いたのが恐ろしかった。映画の題名も、その後何が起こったのかも知らないままだが(怖くてその場から逃げたのだ)、振り返ったその顔はトラウマのように脳裏に焼き付いている。シチュエーションからいって、鍋島藩の「猫化」を映画にしたものだと思う。そういう怪談映画が昔はよくあったけれど、最近はめっきり減ってしまった。ホラーとは違う怪談映画。

昔のテレビは、よく故障もした。マンガのようだけれど、叩けば直るときもあった。テレビの裏蓋を外すと、そこには何本もの真空管が林立していた。壮観だった。時々裏蓋を外して眺めていた。電源をいれると高熱を持つので、電源を入れたままで外さないようにと言われていたが、オレンジ色に揺れる光がみたくて、こっそり電源を入れたままで外して見たこともあった。裏蓋を外すのは簡単で、ネジをいくつか外すだけなのだ。そしてテレビは床の間に置いてあるので、テレビの裏側に回るのも(テレビの後ろはスペース十分なので)子供には簡単だった。
今、「工場萌え」が流行っているが、どこか共通するものがあるのだろう。
時代は変わって、真空管そのものが今や貴重品だ。日本ではすでに製造していない。見かけることもなくなった。昔は真空管アンプを自作するマニアもいて、人気があったのだが。

テレビでもう一つ大事なのは「電波」なのだが、これは前に「ラジオ」の題の時にも書いたなあ。ラジオ以上に、「映像が電波に乗って届く」というのは、改めて考えると驚きだ。その映像も、アナログからデジタルになり、3Dになり。やがて本物と見間違えるような立体映像(3Dを超えるような)ものも出来上がるかもしれない。


さて、次のお題。
途中で出てきて、ちょっと面白いかなと思った。季節外れやけど

「怪談」

で、どないでしょう。

ぶたこ、これ書いて~(^◎^)

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