ずいぶんと間があいてしまいました。おかげで自分が前に何をお題にしたのかさえ忘れている始末。面白い企画やと思いつつ書いてるんだけど、忙しくなるとついつい後回しになってしまうのは仕方のないことですなあ。
さて、「喜び」ですが。
この言葉を聞いて思い起こすのは2つのこと。そのどちらも、あまり気持ちのいい物じゃないのです。
ひとつは、お隣の国の「喜び組」。なんかそんな名前の団体がありましたなあ。きれいどころが集まって将軍様のために「喜んで」歌ったり踊ったりしてはるらしい。
まあ人に尽くす、人のために、人に喜んでもらうために何かをするというは、美しい行為だとは思いますけどね。ただその喜び方が、あまり気分のいいものではないのですね。おかげで「喜び」という言葉にまで影響しているという、悲しいつながりです。
もうひとつは「喜びの歌」。ベートーヴェンの第九交響曲ですな。終楽章の歌詞がシラーの「歓喜に寄せて」で、主題が喜びの歌として知られているものですね。
いや、ベートーヴェンは大好きな作曲家だし、第九交響曲も素晴らしい曲だと思いますよ。
でも、合唱をやってると「第九、歌ったりするんでしょう」といろんな人に言われるのがめんどくさいんですね。
さらに、猫も杓子も、というほどではないにせよ、誰でも合唱といえば第九、歓喜の歌、というイメージを持っているのが、なんとも居心地が悪いんですね。わたくし、この歌をまともに歌ったことがないもんで、余計にそう思うのかなあ。それと、大したことのない演奏を何回も聴いたせいもあるでしょうねえ。
プロのオーケストラが(時にアマチュアのオーケストラが)アマチュア合唱団と一緒に演奏したりするんやけど、なかなか名演奏には行き当たらないというのが正直なところ。加えてソリストもいいとなるとほとんど皆無に近いかも。もう数え切れないくらいにCDとかも出てるんでしょうけど、今聴いて感動できるかどうか。中には、歌詞の意味も分からんと歌ってるんちゃうのという(ソロも含めて)演奏もあってねえ。
でも、それを否定するのはやっぱりよくないよなあと思います。歌いたければ歌えばいいんだから。それこそ個人の「歌いたい」という欲望を、歌う喜びを誰も止めることはできないわけやし。「上手じゃないからやめておきなさい」なんていう権利は誰にもない。だからここまでの話は、ただの個人的な愚痴ていどのことです。
ただ、世間的に第九を特別扱いする風潮が(特に年末が近づくと)出てくるのはどうかなあと思います。「世界の平和を願った崇高な曲」確かにそうでしょうけど、ほかにそういう曲がないかといえば、そんなことはないわけでね。
ただ、ミサ曲とかじゃない、つまりは宗教的な束縛のない歌詞、世俗曲でここまで人間を賛美したのは珍しいといえるでしょうけど。あ、天使ケルビムがでてきてたかな。
そんなわけで、単純に「喜び」というと、変な方向に気分が行ってしまうのでした。某居酒屋で、料理を注文すると「はい、喜んで!」と大声で答えられるとどぎまぎしてしまうのも、そんな気持ちがこちらにあるせいかなあ。まああれは、いかにも喜んでいるようで、実はマニュアルで言わされているだけなのだ、というのが分かっているから、余計に違和感を感じてしまうのだろうけど。うわべだけの喜びほどうさんくさいものはないしね。
気分を持ち直して、改めて自分の喜びについて考えてみましょう。
ものすごい、涙を流すような喜びというのは、そうそうあるものではないですね。喜びが幸せと同義と考えてもいいとしても、すごい幸せを感じる時ってなんだろうなあ。
ほんとにつまらないことだけれど。去年ひとり暮らしをしている時、とても殺伐としたニュースがテレビから連日流れていた時があった。どんな内容だったかは覚えていないけれど、他人のことなんか気にしない僕でも、どうして人間はこんなに殺伐とした生き方しかできないんだろうと、暗い気分になってしまった。
そんなとき、お昼ご飯を食べに外に出た。家の近くの手作りコロッケのお店でランチを食べた。その時、最初に出てきたスープを一口飲んで、なんておいしいんだろうって思った。そして、こんなおいしいスープを飲める自分は、なんて幸せなんだろうって思った。こんなおいしいものがこの世の中にあるのに、こんなおいしいスープを作る人がこんな近くに住んでいるのに、どうして世の中は殺伐としているんだろう。そう思って突然、胸がいっぱいになってしまいました。
喜びは、こういう日常の小さなことの積み重ねかなあ、と思います。
さて。
次のお題を考えなければ。
ちょっと前に台風が来た時、停電に備えて用意しました。「ろうそく」でどうでしょう。
ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)
2009年10月15日木曜日
34. 「予感」
帰国してすぐは、毎日やることないなー、妙にヒマやなー、どうしよーとか言ってた私ですが、最近、なんとなくほぼ毎日予定が詰まってくるようになりました。フルタイムで仕事しているわけじゃないのに、なんだか気持ち的にバタバタしとります。
で、またまたしばらく寝かせていました、たこぶとの交換エッセイ。今回、たこぶが投げてくれたお題は「予感」です。予感ですか。予感ねー。霊感でもない。ヤマ感でもない。第六感とはまた違うよね。
予感。たこぶ的にいうと、私は予感が当たりやすいタイプみたい。特に、野球見てるとき、私が「次、ホームランっ」とかいって、本当にホームランが出たときがあったり、たこぶが「次は打つで(^◎^)」といったときに、私が「いや、三振!」となんか感じる。それが当たっていたりすることも多い。これ、「多い」ってだけで、何も確率的に証明されていないし、はずれてることも同じように「多い」って気がするけど、たこぶはなぜか私の予感が「当たる」と信じているみたい。
たぶん、その一番大きな原因は、新庄やろなぁ。
阪神からメジャーにいって、日本ハムで現役生活を終えた、あの新庄選手のことです。
まだ阪神にいた頃やったか、ある試合で、新庄が敬遠ボールをヒットしたことがあったんです。そのとき、私たちテレビの前でライブで見てました。で、新庄の打席が来て、敬遠。キャッチャーが立ち上がって、横にずれた。
なんか、私は、腹が立ってた。勝負してーやーって。で、「新庄、打てぇぇぇぇ!!」と叫びましてん(^oo^;) そしたらたこぶが、完全にわたくしをバカにしたように「ナニいうてんの? 敬遠やのに、打つわけないやん(^◎^)」とせせら笑いまして。私は、「そんなことないで、打てるかもしれん。新庄、まけるなー、敬遠なんかくそくらえやー、打ってまえーーー」と叫び続けてまして。
次の瞬間です。たこぶの目がテンになりました。
新庄が、バットを思い切りのばして、フォームも何もあったもんちゃう、野球の基本も関係ないっとばかりに、バットを思い切り振り回しましてん。そしたら、そのバットがボールに当たった! で、しかも、ヒットぉぉぉ!!
これに、たこぶは、ものすごく驚いたようで(^oo^;) 私は勝ち誇ったように、「ほれほれほれ、見てみぃなー、私のいうたとおりになったやろ? 新庄うったやろ? でへへへへへーー」というわけです。
それからでしょうな。たこぶが、「ぶたこの予感、恐るべし」と思い始めたのは。
何か印象的なこと、大きな予感が一つ当たると、「こいつの予感は当たるのだ」と、思い込ませることができる、ええ例なのかもしれないです。
私自身、自分の予感が当たるかというと、ようわかりません。
っていうか、予感とは違うけど、目の前にいる人が、何が欲しいのか、何を考えているのかを「感じる」ことには、もしかしたら敏感な方かもしれんなーとは、思ったことがあります。もちろんはずれることもあるし、鈍感になることもあるけど。
学生時代アルバイトしていた飲食店で、お客さんがタバコを吸いたいなーって思ったその瞬間に灰皿を出していたり、何かこぼした瞬間におしぼりを出していたり、メニューが見たいなと、目をやった瞬間に、ハイっとメニューを差し出したり。このアルバイトで培われたものかとも思っていたけど、考えてみたら、もっと昔から来ているのかも。
子供の頃から、自分の両親や兄弟と暮らすことがほとんどなくて、誰か他の家族の中に入れてもらって暮らしてきた私。いってみれば、他人の中で育ってきたともいえるわけです。とても大切にしてくれたけど。なんというか、異文化の中で暮らしてたともいえるのかな。というか、自分自身の文化がなかった。自分の直接の両親や兄弟だけと、大きくなるまで暮らし続けると、自分たちだけのルールや習慣ってのができて、それがその家を出るまで続くけど、私は数年ごとにその「文化」が変化してまして。高知に住んでたとき、兵庫、大阪、そして自分の母親と。自分の母親と暮らしはじめたときでさえ、その前に暮らしていたのは一歳の頃で、それ以来になるわけだから、はじめて一緒に暮らすのとほとんど同じ。新しい「文化」がそこにありました。
暮らす家族が変わるたびに、新しい環境になじまなくてはいけなくて、空気を感じなくてはいけなくて、うまくやっていきたいと子供心に思うんでしょうね。きっと。それから、家族以外の友人や先生たちとの関係も、その一時的な家族と同じように大切だった。それで、周りで起きていることや、周りの人たちが思っていることを、感じよう、わかろうと必死でしていたのかもしれないです。
たこぶと結婚してから、自分の家族が初めてできたような気持ちがしています。結婚して18年。ずーっと同じ人と、しかも二人だけで暮らしてきているから、二人だけのルールや習慣ができて、それが何も言わなくても続いていく。これが快適だったりするんですね。だから、なにごとも敏感にかんじる必要はなくなって、楽になりました。っていうか、楽になって初めて、あー楽やなーって分かったという感じかな。
子供の頃の私は、一生懸命感じようとしていたんだなって、今になって分かるわけです。
だから、この人はこれからこんなことするんじゃないかな、こんなことが起きるんじゃないかな、こんなことを思ってるんじゃないかなって、それを感じようとするから、それが「予感」につながることも、時々あるのかもしれないですね。
こうやって、自分で整理して考えると、ほんと、人間って面白いですね。元々持ってる性格もあるけど、環境によって作られるものも大きいのだなぁと。
で、自分の子供時代を「かわいそうに・・・」と思うかというと、そうでもないです。
この「感じよう」とすることは、語学をやっていても、あるいは音楽をやっていても、おおいに役立っていると思うから。語学でも、自分が知っている言葉や表現は限られているし、知っている言葉でもいろんな意味合いが多方面にある。そういう足りない部分を補うのは、相手が何を考えているのか「感じる」ことなのかもしれないです。それによって、コミュニケーションがスムーズに行くような気がするんですね。相手の気持ちに共感することができれば、そんなに流暢に離せなくても、通じることってありますもんね。音楽でも同じで、隣で歌ってる人がどうしているのか感じてあげると、ハーモニーもうまくいったりするし、前で引っぱっている指揮者がどう思っているのかを感じることで、音楽が流れていく。
こう書いていくと「予感」というのは、ある意味、周りで起きていることにアンテナを張って、「感じた」ことのデータをもとに打ち出す計算結果に近いのかもしれないなーって思ってきました。どうかな?>たこぶ。
もしかしたら、まったく何の根拠もなしに、ふと感じる「予感」みたいなものもあるのかもしれないけど。そういうのがあったら、思い出したら、また書いてみたいと思います。
ってことで、予感の話はおしまい。
次のたこぶに書いてもらうお題、何にしようかなー。
うーんと・・・・。基本的な言葉にしよう。たこぶがどう思うか興味ある。
「喜び」 これにします。いろんな「喜び」があると思うし。
んじゃ、たこぶ、コレ書いて~(^oo^)
で、またまたしばらく寝かせていました、たこぶとの交換エッセイ。今回、たこぶが投げてくれたお題は「予感」です。予感ですか。予感ねー。霊感でもない。ヤマ感でもない。第六感とはまた違うよね。
予感。たこぶ的にいうと、私は予感が当たりやすいタイプみたい。特に、野球見てるとき、私が「次、ホームランっ」とかいって、本当にホームランが出たときがあったり、たこぶが「次は打つで(^◎^)」といったときに、私が「いや、三振!」となんか感じる。それが当たっていたりすることも多い。これ、「多い」ってだけで、何も確率的に証明されていないし、はずれてることも同じように「多い」って気がするけど、たこぶはなぜか私の予感が「当たる」と信じているみたい。
たぶん、その一番大きな原因は、新庄やろなぁ。
阪神からメジャーにいって、日本ハムで現役生活を終えた、あの新庄選手のことです。
まだ阪神にいた頃やったか、ある試合で、新庄が敬遠ボールをヒットしたことがあったんです。そのとき、私たちテレビの前でライブで見てました。で、新庄の打席が来て、敬遠。キャッチャーが立ち上がって、横にずれた。
なんか、私は、腹が立ってた。勝負してーやーって。で、「新庄、打てぇぇぇぇ!!」と叫びましてん(^oo^;) そしたらたこぶが、完全にわたくしをバカにしたように「ナニいうてんの? 敬遠やのに、打つわけないやん(^◎^)」とせせら笑いまして。私は、「そんなことないで、打てるかもしれん。新庄、まけるなー、敬遠なんかくそくらえやー、打ってまえーーー」と叫び続けてまして。
次の瞬間です。たこぶの目がテンになりました。
新庄が、バットを思い切りのばして、フォームも何もあったもんちゃう、野球の基本も関係ないっとばかりに、バットを思い切り振り回しましてん。そしたら、そのバットがボールに当たった! で、しかも、ヒットぉぉぉ!!
これに、たこぶは、ものすごく驚いたようで(^oo^;) 私は勝ち誇ったように、「ほれほれほれ、見てみぃなー、私のいうたとおりになったやろ? 新庄うったやろ? でへへへへへーー」というわけです。
それからでしょうな。たこぶが、「ぶたこの予感、恐るべし」と思い始めたのは。
何か印象的なこと、大きな予感が一つ当たると、「こいつの予感は当たるのだ」と、思い込ませることができる、ええ例なのかもしれないです。
私自身、自分の予感が当たるかというと、ようわかりません。
っていうか、予感とは違うけど、目の前にいる人が、何が欲しいのか、何を考えているのかを「感じる」ことには、もしかしたら敏感な方かもしれんなーとは、思ったことがあります。もちろんはずれることもあるし、鈍感になることもあるけど。
学生時代アルバイトしていた飲食店で、お客さんがタバコを吸いたいなーって思ったその瞬間に灰皿を出していたり、何かこぼした瞬間におしぼりを出していたり、メニューが見たいなと、目をやった瞬間に、ハイっとメニューを差し出したり。このアルバイトで培われたものかとも思っていたけど、考えてみたら、もっと昔から来ているのかも。
子供の頃から、自分の両親や兄弟と暮らすことがほとんどなくて、誰か他の家族の中に入れてもらって暮らしてきた私。いってみれば、他人の中で育ってきたともいえるわけです。とても大切にしてくれたけど。なんというか、異文化の中で暮らしてたともいえるのかな。というか、自分自身の文化がなかった。自分の直接の両親や兄弟だけと、大きくなるまで暮らし続けると、自分たちだけのルールや習慣ってのができて、それがその家を出るまで続くけど、私は数年ごとにその「文化」が変化してまして。高知に住んでたとき、兵庫、大阪、そして自分の母親と。自分の母親と暮らしはじめたときでさえ、その前に暮らしていたのは一歳の頃で、それ以来になるわけだから、はじめて一緒に暮らすのとほとんど同じ。新しい「文化」がそこにありました。
暮らす家族が変わるたびに、新しい環境になじまなくてはいけなくて、空気を感じなくてはいけなくて、うまくやっていきたいと子供心に思うんでしょうね。きっと。それから、家族以外の友人や先生たちとの関係も、その一時的な家族と同じように大切だった。それで、周りで起きていることや、周りの人たちが思っていることを、感じよう、わかろうと必死でしていたのかもしれないです。
たこぶと結婚してから、自分の家族が初めてできたような気持ちがしています。結婚して18年。ずーっと同じ人と、しかも二人だけで暮らしてきているから、二人だけのルールや習慣ができて、それが何も言わなくても続いていく。これが快適だったりするんですね。だから、なにごとも敏感にかんじる必要はなくなって、楽になりました。っていうか、楽になって初めて、あー楽やなーって分かったという感じかな。
子供の頃の私は、一生懸命感じようとしていたんだなって、今になって分かるわけです。
だから、この人はこれからこんなことするんじゃないかな、こんなことが起きるんじゃないかな、こんなことを思ってるんじゃないかなって、それを感じようとするから、それが「予感」につながることも、時々あるのかもしれないですね。
こうやって、自分で整理して考えると、ほんと、人間って面白いですね。元々持ってる性格もあるけど、環境によって作られるものも大きいのだなぁと。
で、自分の子供時代を「かわいそうに・・・」と思うかというと、そうでもないです。
この「感じよう」とすることは、語学をやっていても、あるいは音楽をやっていても、おおいに役立っていると思うから。語学でも、自分が知っている言葉や表現は限られているし、知っている言葉でもいろんな意味合いが多方面にある。そういう足りない部分を補うのは、相手が何を考えているのか「感じる」ことなのかもしれないです。それによって、コミュニケーションがスムーズに行くような気がするんですね。相手の気持ちに共感することができれば、そんなに流暢に離せなくても、通じることってありますもんね。音楽でも同じで、隣で歌ってる人がどうしているのか感じてあげると、ハーモニーもうまくいったりするし、前で引っぱっている指揮者がどう思っているのかを感じることで、音楽が流れていく。
こう書いていくと「予感」というのは、ある意味、周りで起きていることにアンテナを張って、「感じた」ことのデータをもとに打ち出す計算結果に近いのかもしれないなーって思ってきました。どうかな?>たこぶ。
もしかしたら、まったく何の根拠もなしに、ふと感じる「予感」みたいなものもあるのかもしれないけど。そういうのがあったら、思い出したら、また書いてみたいと思います。
ってことで、予感の話はおしまい。
次のたこぶに書いてもらうお題、何にしようかなー。
うーんと・・・・。基本的な言葉にしよう。たこぶがどう思うか興味ある。
「喜び」 これにします。いろんな「喜び」があると思うし。
んじゃ、たこぶ、コレ書いて~(^oo^)
2009年9月23日水曜日
33.「健康」
ぶたこの女子高生話は面白かったなあ。高校時代のたこぶはまじめな男子校生(変換しない)だったので、ぶたこのような波瀾万丈はありません。高校自体の雰囲気が「温泉」と揶揄されるようなゆるんだ空気だったので、大した事件が起こるわけでもなく、大した活動をするでもなく、と過ぎていきました。まあそこで合唱部に入って合唱を始めることになったわけですが。
当時合唱部(吹奏楽部と合同で「音楽部」となっていました)の顧問の先生が3人いて(なぜ?)、そのうちの一人が体育の先生(女子)でした(なぜ?)。
その先生は学校の中でもいわゆる「名物」先生でした。どれくらい名物先生かというと、学校創設時から(うちの高校は戦後の新設校)保健体育の先生をしていて、理科(地学)の先生はその先生の教え子だったりするのです。「あの子はまじめな子だから」などと、まるで自分の生徒のようにその先生のことを話し出したりね。と書くと、なんだか優しそうな先生に思えるかもしれないけれど、とんでもなく厳しい先生で、声もでかく(校庭の端から名前を呼ばれて縮み上がることもあるぐらい)、どうやら学校内でも発言力が大きいらしい(生徒だから詳しいことはわかりませんが)という噂もありました。
クラブの顧問ぐらいなら(それも3人のうちの一人)どおってこともないのですが、保健の授業も受け持っていたのですね。しかも2年生の時には担任になりました。こわかったなあ。
先生としては、背筋のぴんとしたというか、一本筋が通っていて、とてもいい先生だったと思います。厳しいんだけれど、多くの生徒に慕われてたし。多くの先生にも尊敬されてました。
それだけ厳しい先生だったから、僕みたいなへらへらした生徒は好きになれなかったでしょう。でも偏見を持たない人だったので、いやな気分になることはなかったなあ。
で、保健の授業でいつも口を酸っぱくして言ってたことが「健康」です。
人生の基本、それは健康。健康であるかどうかが、幸福であるかどうかの基準である。
では「健康」とは何か。
それが高校最初の保健の授業の宿題でした。いまでも覚えています。
当時はインターネットなんかなかったから、みんなでなんやろか、なんちゅう問題や、などと言い合っていました。答えは分からなくてもいい、とにかく考えなさい、と。
で、答え。わからない(^◎^;)。なんじゃそら。
ただ、世界保健機構(WHO)が出した基準があります。
「健康とは、肉体的、精神的、社会的に健全な状態」
だそうです。これも何度も言われたので覚えていることです(正確ではないかもしれません)。
「この3つが満足されていなければ健康ではありません。肉体的に健康でも、また精神的に健康でも、社会的に健康じゃなかったら、それは健康じゃない。貧困、差別、戦争、そんな状態の中に生きている状態は健康じゃない」
よく「地球が病んでいる」なんて言うけれど、病んでいるのは地球じゃなくて人類のような気がします。人類は、全体で見ると今は健康じゃない。どこかで紛争があって、どこかで苦しんでいる人がいる。差別されている人、貧困にあえいでいる人。どこかにそんな人がいる。
社会的に不健康っていうのはなかなかやっかいです。肉体的な不健康はお医者さんが治してくれる可能性が高い。精神的な不健康も、最近は研究が進んできて、お医者さんに治せることが多くなってきています。
でも社会的な不健康は、何年も続いているのになかなか治りそうにありません。
長患いしているわけですが、これもいつかは治ると信じるしかありませんね。幸い生身の人間と違って寿命は長そうです。今後数億年は太陽が大爆発する心配もなさそうですし、地殻変動で地上の生物が絶滅するという危険もすぐには来そうにありません。基礎となる身体が大丈夫なうちに悪いところを治さなければいけないでしょうが、まだ時間に余裕はありそうです。
名医はそう簡単には見つからないかもしれませんが、誰もが健康でありたいと思っているはずですから、希望はありますね。
さて、社会的な健康はおいといて、個人的には、普段あまり健康に気を使っているとは言えません。体にいいことを何かしているかと言われると、まあときどき会社まで地下鉄の駅二駅分を歩いていますというぐらい。特別な運動は何もしていませんね。もともと運動音痴だったこともありますし、体力もそんなにないし。
食べるものにも全く気を使いません。よく中国産の食品を避ける、という人がいますが、あまり考えていませんね。安ければそれでいいとは思いませんが、「中国産だから危ないに違いない」とも思いません。
50年以上生きてきて、その間に食生活もいろいろ変わっていって(朝食はお茶漬けからパン食に変わりました)、化学調味料、化学肥料、合成食品、いろんなものはすでに食べ尽くしているような気がします。今更、という気もしていますね。
唯一気をつけているのは、アトピーなので、肌のケアですね。といっても特別なことをしているわけではありません。治療がうまくいって、今ではほとんど症状が出ないので、ほんとにケアするだけです。身体を洗う時には純石鹸を使う。洗い物をする時には必ずポリエチレンの手袋をする。汗をかいたらちゃんと拭く。毎日お風呂に入る。どれも特別に努力を必要とするものではないのが救いです。
いつのころからか、テレビでも健康が話題になっているというか、みんな健康に関しては関心が強いというか、そういう番組や通販宣伝が多いですね。通販が毎日毎日手を代え品を変えて宣伝して、多分儲かっているところを見ると、みんな健康には気をつけているんでしょうねえ。
健康のためには死んでもいい、という笑い話があったけど。健康のために割く時間とかお金とかを考えて、あまり考えずにその時間やお金を別に使うことにして、さてどっちが得か。まあ答えは人それぞれでしょうけどね。僕は今の使い方で十分かな。いつかは衰える時が来る。それは受け入れるしかないと思っています。大した覚悟ではないですが。
「健康」の話はこんなんでいいのかな。
さて次のお題。しばらく「コレ書いて~」が書かれなかった間に、政権交代があったりして激動の世の中になりつつあるような予感がします。
ということで、「予感」というのでどうでしょう。
ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)
当時合唱部(吹奏楽部と合同で「音楽部」となっていました)の顧問の先生が3人いて(なぜ?)、そのうちの一人が体育の先生(女子)でした(なぜ?)。
その先生は学校の中でもいわゆる「名物」先生でした。どれくらい名物先生かというと、学校創設時から(うちの高校は戦後の新設校)保健体育の先生をしていて、理科(地学)の先生はその先生の教え子だったりするのです。「あの子はまじめな子だから」などと、まるで自分の生徒のようにその先生のことを話し出したりね。と書くと、なんだか優しそうな先生に思えるかもしれないけれど、とんでもなく厳しい先生で、声もでかく(校庭の端から名前を呼ばれて縮み上がることもあるぐらい)、どうやら学校内でも発言力が大きいらしい(生徒だから詳しいことはわかりませんが)という噂もありました。
クラブの顧問ぐらいなら(それも3人のうちの一人)どおってこともないのですが、保健の授業も受け持っていたのですね。しかも2年生の時には担任になりました。こわかったなあ。
先生としては、背筋のぴんとしたというか、一本筋が通っていて、とてもいい先生だったと思います。厳しいんだけれど、多くの生徒に慕われてたし。多くの先生にも尊敬されてました。
それだけ厳しい先生だったから、僕みたいなへらへらした生徒は好きになれなかったでしょう。でも偏見を持たない人だったので、いやな気分になることはなかったなあ。
で、保健の授業でいつも口を酸っぱくして言ってたことが「健康」です。
人生の基本、それは健康。健康であるかどうかが、幸福であるかどうかの基準である。
では「健康」とは何か。
それが高校最初の保健の授業の宿題でした。いまでも覚えています。
当時はインターネットなんかなかったから、みんなでなんやろか、なんちゅう問題や、などと言い合っていました。答えは分からなくてもいい、とにかく考えなさい、と。
で、答え。わからない(^◎^;)。なんじゃそら。
ただ、世界保健機構(WHO)が出した基準があります。
「健康とは、肉体的、精神的、社会的に健全な状態」
だそうです。これも何度も言われたので覚えていることです(正確ではないかもしれません)。
「この3つが満足されていなければ健康ではありません。肉体的に健康でも、また精神的に健康でも、社会的に健康じゃなかったら、それは健康じゃない。貧困、差別、戦争、そんな状態の中に生きている状態は健康じゃない」
よく「地球が病んでいる」なんて言うけれど、病んでいるのは地球じゃなくて人類のような気がします。人類は、全体で見ると今は健康じゃない。どこかで紛争があって、どこかで苦しんでいる人がいる。差別されている人、貧困にあえいでいる人。どこかにそんな人がいる。
社会的に不健康っていうのはなかなかやっかいです。肉体的な不健康はお医者さんが治してくれる可能性が高い。精神的な不健康も、最近は研究が進んできて、お医者さんに治せることが多くなってきています。
でも社会的な不健康は、何年も続いているのになかなか治りそうにありません。
長患いしているわけですが、これもいつかは治ると信じるしかありませんね。幸い生身の人間と違って寿命は長そうです。今後数億年は太陽が大爆発する心配もなさそうですし、地殻変動で地上の生物が絶滅するという危険もすぐには来そうにありません。基礎となる身体が大丈夫なうちに悪いところを治さなければいけないでしょうが、まだ時間に余裕はありそうです。
名医はそう簡単には見つからないかもしれませんが、誰もが健康でありたいと思っているはずですから、希望はありますね。
さて、社会的な健康はおいといて、個人的には、普段あまり健康に気を使っているとは言えません。体にいいことを何かしているかと言われると、まあときどき会社まで地下鉄の駅二駅分を歩いていますというぐらい。特別な運動は何もしていませんね。もともと運動音痴だったこともありますし、体力もそんなにないし。
食べるものにも全く気を使いません。よく中国産の食品を避ける、という人がいますが、あまり考えていませんね。安ければそれでいいとは思いませんが、「中国産だから危ないに違いない」とも思いません。
50年以上生きてきて、その間に食生活もいろいろ変わっていって(朝食はお茶漬けからパン食に変わりました)、化学調味料、化学肥料、合成食品、いろんなものはすでに食べ尽くしているような気がします。今更、という気もしていますね。
唯一気をつけているのは、アトピーなので、肌のケアですね。といっても特別なことをしているわけではありません。治療がうまくいって、今ではほとんど症状が出ないので、ほんとにケアするだけです。身体を洗う時には純石鹸を使う。洗い物をする時には必ずポリエチレンの手袋をする。汗をかいたらちゃんと拭く。毎日お風呂に入る。どれも特別に努力を必要とするものではないのが救いです。
いつのころからか、テレビでも健康が話題になっているというか、みんな健康に関しては関心が強いというか、そういう番組や通販宣伝が多いですね。通販が毎日毎日手を代え品を変えて宣伝して、多分儲かっているところを見ると、みんな健康には気をつけているんでしょうねえ。
健康のためには死んでもいい、という笑い話があったけど。健康のために割く時間とかお金とかを考えて、あまり考えずにその時間やお金を別に使うことにして、さてどっちが得か。まあ答えは人それぞれでしょうけどね。僕は今の使い方で十分かな。いつかは衰える時が来る。それは受け入れるしかないと思っています。大した覚悟ではないですが。
「健康」の話はこんなんでいいのかな。
さて次のお題。しばらく「コレ書いて~」が書かれなかった間に、政権交代があったりして激動の世の中になりつつあるような予感がします。
ということで、「予感」というのでどうでしょう。
ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)
2009年9月19日土曜日
32. 「女子高生」
さて、モバイル環境も整ったし、めでたくぶたの顔辞書もお引越ししたところで、えらいあいてしまいましたが・・・・(・oo・;)ぶたこぶの往復エッセイシリーズです。忘れてる人もいるやろな(^oo^;)
たこぶが前回「おばちゃん」について書いてくれたのが8月24日。確かその翌日だかにギックリ腰になったんやったな(^oo^;)そっからずーっとまとまって何かを考えて書く・・・という状態に脳みそも身体もならなくて、今日に至ってしまいました。その間に世の中は、総選挙があり、新しい政権が誕生して、新しい総理大臣が指名され、新しい内閣ができて、新しい政策方針が次々と示され、そして野党になった自民党は総裁選挙の候補者が昨日そろって・・・と、どんどん変化していってます。っていうか、この一ヶ月は日本の歴史の中でも、後々教科書に載るぐらいすごい変化した一ヶ月やったかもしれないですね。
今日、たかじんさんの番組で若い女の子タレントが三人出ていて、投票には行きましたか?と聞かれ、投票ってどうすればいけるんですか?投票するための紙はどこに届くのでしょーとか答えていた人がいて、あれだけ話題になった今回の総選挙でも若い女の子にとってのインパクトは、これぐらいなものなのかと、改めて実感したのでした。
たこぶからもらったお題は「女子高生」。
確かに女子高生というのは、いつの時代でもスゴイ。何がスゴイかわからんけど、とにかくスゴイ。なんていったって、男子高生が話題になることはないけど、女子高生は常に話題になる。だいたい、IMEのこの辞書も「じょしこうせい」と入れると一発変換したけど、「だんしこうせい」と入れても、「男子高声」としかでぇへん(^oo^; 認知されてないってことですな。言葉としても。
今の女子高生のことは、正直あんまり詳しくないおばちゃんになってしまった私です。確かに宇宙人のようにも見える。テレビや報道を通してみるとそう見えるときも多い。電車の中での会話もぜんぜんわからんときも多い。
でも、私の中で、どんな年代の人も、あんまり変わらない。赤ちゃんでも、小学生でも中学生でも高校生も大学生も若い女の子も中年になっても初老でもいわゆる年配といわれる年齢になっても・・・・。どの人も、「その人」であって、年いってる人を可愛いと思こともあるし、若い子を頼りになる、しっかりしてるって思うことも多い。でもって、表面上、たとえばガングロだったり、マスカラばっちりメイクだったりするような子でも、心の中はみんな同じ。みんな、それぞれの苦しみや悩みがあって、喜びや悲しみがあって、幸せや不幸せ感がある。それが表面上、どんな風に出てくるのか、出てこないのかに個人差があるって感じがする。
世の中に対する反抗心、親に対するもの、学校に対するもの、いろんなイライラ、疲労感、飽き飽き感、憎悪、愛情、それがメイクや服装や言葉遣いや態度に出てくる人もいる。乱暴になったり、文句ばっかり言ってたり、お化粧が濃かったり、服装が派手だったり、真っ黒だったり・・・・。
逆に押し込めてしまって、まったく平静を保っているようにしか見えない人もいる。心の中には、さっき書いたすべての正と負の感情が同じように渦巻いているというのに、それを出さない、出せない、出すすべを知らない・・・・。成績がよかったり、優等生だったり、親にも反抗しなかったり、学校も休まなかったり、誰とでも仲良しで、にこにこ笑顔で、で・・・・、ときどき、突然、表面にそれが現れたりする。そういうときには、往々にして重症になってしまっていたりする。
うーん・・・(^oo^;)女子高生がお題やんな。私、何を書いてるんやろう。
自分が高校生のときは、どんなんやったか。このお題を見たときに、それを考えた。
私ってどんな高校生やったんかな。私ってどんな女子高生やったんかなって。
そしたら、私は上に書いた両方の面を持ってた子やったかなって思った。
正の部分でいうと、たとえば、学級や生徒会の役員した経験がある。ホームルームに熱心やった。先生たちと仲良しやった。友達もまあまあ多かったかな。髪を派手に染めたりはしてなかったし、スカートを長くしたり短くしたりも、それほど細工しなかった。クラブ活動もまあまあやってた。
なのに。同じ人かって思うけど。負の部分もあった。
そうしていながら、私はよく授業をサボってた。役員とかしてる人間がそんなんしたらあかんやろって思うけど、特に高校の後半、欠課して、喫茶店にいって、今だから時効だと思うけどモクモクとかもしてた・・・。夜遅くまで繁華街もウロウロしてたなぁ。
心理的にもすごく渦巻いていた時期やった。家に帰るのがイヤやった。だから、夜遅くまでウロウロしてたんかもしれんなぁ。親とうまくいってなかった。中学からずっとだったけど。
一度、「家出します。探さないでください」とか書置きしたことがあって、そう書いておいて、学校に来ていた。学校の帰りにどっかにいこうかなぁ・・・ってぼうって考えてたような気がする。でも、そんなに大それた気持ちではなくて、なぜか軽い気持ちで。あかんやろって思うけど、多分、そのころは毎日、今の生活から逃げたい逃げたいって思ってたような気がする。
そしたら母親があわてて学校に連絡した。私は授業の途中で呼び出された。「こんな書置きしたんか」と先生に聞かれ、ハイと答えて、しばらく話して、ちゃんと家に帰るということで落ち着いたような覚えがある。なんて人騒がせなんや(^oo^;)あかんやろ・・・。はい(^oo^;)
人生がひっくりかえるような事実がわかって、いや、それほどのことではなかったんかもしれんけど、少なくとも当時の自分では抱えきれないようなことがあって、夜の街をウロウロして、電話ボックスに入って、親友に電話して「もう、あかん、わたし、もうあかんーーー」と号泣したこともあったなぁ。私の友だちをしてくれていた人たちには、ほんまに迷惑いっぱいかけた。すごく不安定で、泣いたり落ち込んだりしてばかりいたから。
友達だけではなくて、先生にもよく話しにいった。なんか、大人の人とそのころ話したかった。普通の大人の人と。多分、親ではない、外にいる大人の人と話したかったというのがあるのかもしれない。親が悪かったとかそういうのではなくて、なんていうか、息が詰まってくる毎日の中で、ついつい考えすぎて、突き詰めてしまうあの世代の感情を落ち着かせるのに、先生たちの存在は大きかった。放課後、しょっちゅう先生たちの準備室にいりびたって、人生相談してた。考えてみたら授業の準備するのにすっかり邪魔してたことになるなぁ・・・・。
若いころは悩むのが仕事っていう人もいるけど、その点でいうと、私はその仕事にほんま集中してました(^oo^;)こんな悩みがあるねんから、授業なんか受けてられへん、こんな気持ちで学校なんて・・・と、何かにつけて、勉強を「しない」理由にしてましたね。将来のことなんて考えず。将来なんて、「ない」方がいいいぐらいに思ってたわけだから、将来のために努力するとか、そんなんムダなわけです。そのころの私の論理としては。ほんま、どうしようもないなー。
そういう毎日でも、楽しいこともいっぱいあって、そう、こうやって思い返してみたら、いい友達もいて、いい先生に恵まれて、いい学校に行けて、ガハハハ笑った日々もあって、人とのふれあいの暖かさに涙したこともあって・・・・。
とにかく揺れ動いていたのです。女子高生のぶたこは。
そして、ぜんぜん優秀じゃなかった。
この子、これから先の人生どうなるの?って心配したくなるような子だったと思う。
そして、本当に心配してくれた人たちがたくさんいて、そんな人たちのおかげで、かまってくれた人たちがいたから、私の今があるんだなぁってこうやって書いていて改めて思う。
そんな高校時代をすごした私だから、どこかさっき書いた二つのタイプをミックスしたみたいな私だったから、若い人たち、いわゆる女子高生を宇宙人とは思わないのです。派手なカッコをして、繁華街(これも死後やな(^oo^;))をさまよっていたにしても、一生懸命、必死で優等生をしていたにしても、その中に悩みや苦しみやモガキを抱えている子がいて、それが、それぞれの形で出てきているのが若い時代なのかなーって。家庭に悩みがなくても、なぜ学ぶのか、なぜ生きるのか、なぜ息してるの?・・・とか、そんな考えてどうしようもないことを真剣に考えて、意味を見つめて、心のそこから苦しんだりできるのが、若さの特権なのかもなーって。
若いっていいです。
そして、そんな時代の自分からもう何十年もたって、すっかり「おばちゃん」といわれる年代に達してしまった私だけど、どこかであの高校生のときのモガキ、クルシミを、忘れたくないなぁ・・・と思っている自分もいます。そして、逆に、あー、あんな時代はもうたくさん、もっと気楽に生きたいよーって思ってる自分も。単純に生きたいと思ってみたり、いや、それでええんかって思ってみたり。大人になると考えることがいっばいあるのよっていうけど、大人になると、確かに生活の上で実際の出来事で考えなあかんことがいっぱいあるから、どこかで、基本的なこと、根本的なことを考えることを忘れたり、放棄したりしている気がするねんな。
あの、宇宙人のように見える女子高生たちも、たぶん、「なんで毎日こうやって学校いかなあかんの?」って疑問を持つことがあって、そんな「しょうもないこと」のように見える悩みが、けっこう人間として肝心な部分なのかもしれんなーって。
あーあ、また何を書いてるのか、わからんようになってきました(^oo^;)
これが私らしいといえばそうなのでしょー。
次のお題、久しぶりのリクエストです。今回しみぢみと感じました「健康」、これいきましょう。
たこぶ、コレ書いて~(^oo^)
たこぶが前回「おばちゃん」について書いてくれたのが8月24日。確かその翌日だかにギックリ腰になったんやったな(^oo^;)そっからずーっとまとまって何かを考えて書く・・・という状態に脳みそも身体もならなくて、今日に至ってしまいました。その間に世の中は、総選挙があり、新しい政権が誕生して、新しい総理大臣が指名され、新しい内閣ができて、新しい政策方針が次々と示され、そして野党になった自民党は総裁選挙の候補者が昨日そろって・・・と、どんどん変化していってます。っていうか、この一ヶ月は日本の歴史の中でも、後々教科書に載るぐらいすごい変化した一ヶ月やったかもしれないですね。
今日、たかじんさんの番組で若い女の子タレントが三人出ていて、投票には行きましたか?と聞かれ、投票ってどうすればいけるんですか?投票するための紙はどこに届くのでしょーとか答えていた人がいて、あれだけ話題になった今回の総選挙でも若い女の子にとってのインパクトは、これぐらいなものなのかと、改めて実感したのでした。
たこぶからもらったお題は「女子高生」。
確かに女子高生というのは、いつの時代でもスゴイ。何がスゴイかわからんけど、とにかくスゴイ。なんていったって、男子高生が話題になることはないけど、女子高生は常に話題になる。だいたい、IMEのこの辞書も「じょしこうせい」と入れると一発変換したけど、「だんしこうせい」と入れても、「男子高声」としかでぇへん(^oo^; 認知されてないってことですな。言葉としても。
今の女子高生のことは、正直あんまり詳しくないおばちゃんになってしまった私です。確かに宇宙人のようにも見える。テレビや報道を通してみるとそう見えるときも多い。電車の中での会話もぜんぜんわからんときも多い。
でも、私の中で、どんな年代の人も、あんまり変わらない。赤ちゃんでも、小学生でも中学生でも高校生も大学生も若い女の子も中年になっても初老でもいわゆる年配といわれる年齢になっても・・・・。どの人も、「その人」であって、年いってる人を可愛いと思こともあるし、若い子を頼りになる、しっかりしてるって思うことも多い。でもって、表面上、たとえばガングロだったり、マスカラばっちりメイクだったりするような子でも、心の中はみんな同じ。みんな、それぞれの苦しみや悩みがあって、喜びや悲しみがあって、幸せや不幸せ感がある。それが表面上、どんな風に出てくるのか、出てこないのかに個人差があるって感じがする。
世の中に対する反抗心、親に対するもの、学校に対するもの、いろんなイライラ、疲労感、飽き飽き感、憎悪、愛情、それがメイクや服装や言葉遣いや態度に出てくる人もいる。乱暴になったり、文句ばっかり言ってたり、お化粧が濃かったり、服装が派手だったり、真っ黒だったり・・・・。
逆に押し込めてしまって、まったく平静を保っているようにしか見えない人もいる。心の中には、さっき書いたすべての正と負の感情が同じように渦巻いているというのに、それを出さない、出せない、出すすべを知らない・・・・。成績がよかったり、優等生だったり、親にも反抗しなかったり、学校も休まなかったり、誰とでも仲良しで、にこにこ笑顔で、で・・・・、ときどき、突然、表面にそれが現れたりする。そういうときには、往々にして重症になってしまっていたりする。
うーん・・・(^oo^;)女子高生がお題やんな。私、何を書いてるんやろう。
自分が高校生のときは、どんなんやったか。このお題を見たときに、それを考えた。
私ってどんな高校生やったんかな。私ってどんな女子高生やったんかなって。
そしたら、私は上に書いた両方の面を持ってた子やったかなって思った。
正の部分でいうと、たとえば、学級や生徒会の役員した経験がある。ホームルームに熱心やった。先生たちと仲良しやった。友達もまあまあ多かったかな。髪を派手に染めたりはしてなかったし、スカートを長くしたり短くしたりも、それほど細工しなかった。クラブ活動もまあまあやってた。
なのに。同じ人かって思うけど。負の部分もあった。
そうしていながら、私はよく授業をサボってた。役員とかしてる人間がそんなんしたらあかんやろって思うけど、特に高校の後半、欠課して、喫茶店にいって、今だから時効だと思うけどモクモクとかもしてた・・・。夜遅くまで繁華街もウロウロしてたなぁ。
心理的にもすごく渦巻いていた時期やった。家に帰るのがイヤやった。だから、夜遅くまでウロウロしてたんかもしれんなぁ。親とうまくいってなかった。中学からずっとだったけど。
一度、「家出します。探さないでください」とか書置きしたことがあって、そう書いておいて、学校に来ていた。学校の帰りにどっかにいこうかなぁ・・・ってぼうって考えてたような気がする。でも、そんなに大それた気持ちではなくて、なぜか軽い気持ちで。あかんやろって思うけど、多分、そのころは毎日、今の生活から逃げたい逃げたいって思ってたような気がする。
そしたら母親があわてて学校に連絡した。私は授業の途中で呼び出された。「こんな書置きしたんか」と先生に聞かれ、ハイと答えて、しばらく話して、ちゃんと家に帰るということで落ち着いたような覚えがある。なんて人騒がせなんや(^oo^;)あかんやろ・・・。はい(^oo^;)
人生がひっくりかえるような事実がわかって、いや、それほどのことではなかったんかもしれんけど、少なくとも当時の自分では抱えきれないようなことがあって、夜の街をウロウロして、電話ボックスに入って、親友に電話して「もう、あかん、わたし、もうあかんーーー」と号泣したこともあったなぁ。私の友だちをしてくれていた人たちには、ほんまに迷惑いっぱいかけた。すごく不安定で、泣いたり落ち込んだりしてばかりいたから。
友達だけではなくて、先生にもよく話しにいった。なんか、大人の人とそのころ話したかった。普通の大人の人と。多分、親ではない、外にいる大人の人と話したかったというのがあるのかもしれない。親が悪かったとかそういうのではなくて、なんていうか、息が詰まってくる毎日の中で、ついつい考えすぎて、突き詰めてしまうあの世代の感情を落ち着かせるのに、先生たちの存在は大きかった。放課後、しょっちゅう先生たちの準備室にいりびたって、人生相談してた。考えてみたら授業の準備するのにすっかり邪魔してたことになるなぁ・・・・。
若いころは悩むのが仕事っていう人もいるけど、その点でいうと、私はその仕事にほんま集中してました(^oo^;)こんな悩みがあるねんから、授業なんか受けてられへん、こんな気持ちで学校なんて・・・と、何かにつけて、勉強を「しない」理由にしてましたね。将来のことなんて考えず。将来なんて、「ない」方がいいいぐらいに思ってたわけだから、将来のために努力するとか、そんなんムダなわけです。そのころの私の論理としては。ほんま、どうしようもないなー。
そういう毎日でも、楽しいこともいっぱいあって、そう、こうやって思い返してみたら、いい友達もいて、いい先生に恵まれて、いい学校に行けて、ガハハハ笑った日々もあって、人とのふれあいの暖かさに涙したこともあって・・・・。
とにかく揺れ動いていたのです。女子高生のぶたこは。
そして、ぜんぜん優秀じゃなかった。
この子、これから先の人生どうなるの?って心配したくなるような子だったと思う。
そして、本当に心配してくれた人たちがたくさんいて、そんな人たちのおかげで、かまってくれた人たちがいたから、私の今があるんだなぁってこうやって書いていて改めて思う。
そんな高校時代をすごした私だから、どこかさっき書いた二つのタイプをミックスしたみたいな私だったから、若い人たち、いわゆる女子高生を宇宙人とは思わないのです。派手なカッコをして、繁華街(これも死後やな(^oo^;))をさまよっていたにしても、一生懸命、必死で優等生をしていたにしても、その中に悩みや苦しみやモガキを抱えている子がいて、それが、それぞれの形で出てきているのが若い時代なのかなーって。家庭に悩みがなくても、なぜ学ぶのか、なぜ生きるのか、なぜ息してるの?・・・とか、そんな考えてどうしようもないことを真剣に考えて、意味を見つめて、心のそこから苦しんだりできるのが、若さの特権なのかもなーって。
若いっていいです。
そして、そんな時代の自分からもう何十年もたって、すっかり「おばちゃん」といわれる年代に達してしまった私だけど、どこかであの高校生のときのモガキ、クルシミを、忘れたくないなぁ・・・と思っている自分もいます。そして、逆に、あー、あんな時代はもうたくさん、もっと気楽に生きたいよーって思ってる自分も。単純に生きたいと思ってみたり、いや、それでええんかって思ってみたり。大人になると考えることがいっばいあるのよっていうけど、大人になると、確かに生活の上で実際の出来事で考えなあかんことがいっぱいあるから、どこかで、基本的なこと、根本的なことを考えることを忘れたり、放棄したりしている気がするねんな。
あの、宇宙人のように見える女子高生たちも、たぶん、「なんで毎日こうやって学校いかなあかんの?」って疑問を持つことがあって、そんな「しょうもないこと」のように見える悩みが、けっこう人間として肝心な部分なのかもしれんなーって。
あーあ、また何を書いてるのか、わからんようになってきました(^oo^;)
これが私らしいといえばそうなのでしょー。
次のお題、久しぶりのリクエストです。今回しみぢみと感じました「健康」、これいきましょう。
たこぶ、コレ書いて~(^oo^)
2009年8月24日月曜日
31.「おばちゃん」
「おばちゃん」と聞いてまず思い出すのは、「おばちゃんのブルース」です。笑福亭仁鶴さんの大ヒット曲。ローカルヒットやったかもしれんけど。当時出演していた「ヤング・オー!オー!」でよく歌ってはりました。当時、仁鶴さんはいろんな番組の司会とかでも引っ張りだこで、絶大な人気を(関西では)誇っていたので、大ヒットもありかも、という気がします。今聞いても、なかなか泣かせる曲です。
当時子供だった僕も、この曲を聴いて「世の中には見えないところで頑張って働いているおばちゃんがいっぱいいてるんや」と教えられた思いがあります。そういう人たちに支えられて、世の中は動いている。その思いは今につながっています。ちょっと気取った言い方やけど。
一般に「大阪のおばちゃん」というと、元気があってどぎつくてがめつくて、生命力にあふれていて、声が大きくてうるさくて、がめつい、ずうずうしい、なれなれしい、etc. と言われるけれど、全部が全部そんな人ばかりではありません。だいたい「大阪の」でくくってしまうのもどうかと思うし。よく言われるのが「大阪では電車に乗る時に、降りる人を待たないで乗り込む」というのがあるけれど、僕の経験から言うと東京でもドアが開いた途端に乗ってくる人が結構います。地域性というのはあるかもしれないけれど、それでくくられるのはどうかなあ。
話がそれそうになるけれど、まあ百歩譲って(50歩ぐらいでいいかもしれないけれど)、大阪のおばちゃんは上記に挙げたような人ばかりではありません。
遠慮深い人は遠慮深いし、静かにしゃべる人も結構います。ただ、そういう人は人前で目立たないので分からないだけ。大声でしゃべる人は人前で目立つし、そういうひとのしゃべってる内容はたいがいが面白いものやし。あ、しゃべってることが面白いというのは、あるかもしれないなあ。どこかで話の落ちをつけないと気が済まないところはあります。確かに。でもこれはおばちゃんに限らず、大阪人の特性でもあるけどね。
となると、「大阪のおばちゃん」とはなんぞや、ということになって、ますます難しいことになりますね。弱ったな。話題を変えよう。
「おばちゃん」と呼ぶ時は、たいがいの場合は親しみを込めた響きがありますな。これと対照的なのは「おばはん」。こちらはちょっと剣があるというか、いやなやつを呼ぶ時の呼び方ですな。
「ちょっと、おばちゃん」というと、柔らかく呼びかけるような響きがあるけれど、「ちょっと、おばはん」と言うと「そこ、どいてんか」と続けてしまうような、ややけんか腰ともいえる響きになってしまいます。まあ、「おばはん」と言うことはほとんどありませんが。ときどき「おばちゃん」と言いつつ後者の響きになる時もあるので、要注意。何を注意するんだか。
ぶたこの話に出てきた番組の、ふたりぐみのおばちゃんは、ほんまにパワフルで頼りになりそうな人たちでした。そうそう、大阪のおばちゃんのもうひとつの特徴は、「誰にも臆することがない」つまり誰に対してもヘイコラしないし、かといってえらそうにもしない、つまりは誰とでも対等になるってところかなあ。この番組の二人組の最大の共通項ではなかったかしらん。「人なつっこい」というのと通じるところがあるねんけど。誰とでも普通にしゃべる。
自身が「おばちゃん」であることを理解すると、自分より若い子は「にいちゃん」「ねえちゃん」であり、同年輩なら「奥さん」であったり「あんた」であったりするし、自分より年配なら「おとうさん」「おかあさん」であったりする。もちろん血のつながりなんか関係ない。おばちゃんにとっては「人類みなきょうだい家族」なのですな。
これは強い。なにより家族であるからして、同じ家族の利益を考えないわけはない。家族であるからして、家族の安全を第一に考えて当然である。家族であるからして、守ってもらって当然である。
そういう「家族の一員」であることを、おばちゃんのまわりの人間は認識しないといけません。そしてその家族の要には、きっちりとおばちゃん自身が座っているのでありますな。
というわけで、誰もおばちゃんには逆らえないわけです。逆らってはいけないのです。おばちゃんが3人、横並びで道をふさいで歩いていたとしても、迷惑がってはいけないのです。そこは「家族であるみんなが使う道を、家族の一員であるおばちゃんが通っている」だけなので、それをどうこう言う権利は誰にもないのです。歩道を全速力でママチャリで駆け抜けていっても、迷惑がってはいけないのです。道を譲るのが家族の一員の正しいありかたです。
だんだん卑屈になってくる自分が、哀れに思えてくるのでこのへんで。
では次のお題にいきましょう。
わたくしが「おばちゃん」と並んで、この世の最強生物と思っている(おばちゃんと覇権を争ってるに違いない。われわれ男子の知らない世界で)、「女子高生」です。
ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)
当時子供だった僕も、この曲を聴いて「世の中には見えないところで頑張って働いているおばちゃんがいっぱいいてるんや」と教えられた思いがあります。そういう人たちに支えられて、世の中は動いている。その思いは今につながっています。ちょっと気取った言い方やけど。
一般に「大阪のおばちゃん」というと、元気があってどぎつくてがめつくて、生命力にあふれていて、声が大きくてうるさくて、がめつい、ずうずうしい、なれなれしい、etc. と言われるけれど、全部が全部そんな人ばかりではありません。だいたい「大阪の」でくくってしまうのもどうかと思うし。よく言われるのが「大阪では電車に乗る時に、降りる人を待たないで乗り込む」というのがあるけれど、僕の経験から言うと東京でもドアが開いた途端に乗ってくる人が結構います。地域性というのはあるかもしれないけれど、それでくくられるのはどうかなあ。
話がそれそうになるけれど、まあ百歩譲って(50歩ぐらいでいいかもしれないけれど)、大阪のおばちゃんは上記に挙げたような人ばかりではありません。
遠慮深い人は遠慮深いし、静かにしゃべる人も結構います。ただ、そういう人は人前で目立たないので分からないだけ。大声でしゃべる人は人前で目立つし、そういうひとのしゃべってる内容はたいがいが面白いものやし。あ、しゃべってることが面白いというのは、あるかもしれないなあ。どこかで話の落ちをつけないと気が済まないところはあります。確かに。でもこれはおばちゃんに限らず、大阪人の特性でもあるけどね。
となると、「大阪のおばちゃん」とはなんぞや、ということになって、ますます難しいことになりますね。弱ったな。話題を変えよう。
「おばちゃん」と呼ぶ時は、たいがいの場合は親しみを込めた響きがありますな。これと対照的なのは「おばはん」。こちらはちょっと剣があるというか、いやなやつを呼ぶ時の呼び方ですな。
「ちょっと、おばちゃん」というと、柔らかく呼びかけるような響きがあるけれど、「ちょっと、おばはん」と言うと「そこ、どいてんか」と続けてしまうような、ややけんか腰ともいえる響きになってしまいます。まあ、「おばはん」と言うことはほとんどありませんが。ときどき「おばちゃん」と言いつつ後者の響きになる時もあるので、要注意。何を注意するんだか。
ぶたこの話に出てきた番組の、ふたりぐみのおばちゃんは、ほんまにパワフルで頼りになりそうな人たちでした。そうそう、大阪のおばちゃんのもうひとつの特徴は、「誰にも臆することがない」つまり誰に対してもヘイコラしないし、かといってえらそうにもしない、つまりは誰とでも対等になるってところかなあ。この番組の二人組の最大の共通項ではなかったかしらん。「人なつっこい」というのと通じるところがあるねんけど。誰とでも普通にしゃべる。
自身が「おばちゃん」であることを理解すると、自分より若い子は「にいちゃん」「ねえちゃん」であり、同年輩なら「奥さん」であったり「あんた」であったりするし、自分より年配なら「おとうさん」「おかあさん」であったりする。もちろん血のつながりなんか関係ない。おばちゃんにとっては「人類みなきょうだい家族」なのですな。
これは強い。なにより家族であるからして、同じ家族の利益を考えないわけはない。家族であるからして、家族の安全を第一に考えて当然である。家族であるからして、守ってもらって当然である。
そういう「家族の一員」であることを、おばちゃんのまわりの人間は認識しないといけません。そしてその家族の要には、きっちりとおばちゃん自身が座っているのでありますな。
というわけで、誰もおばちゃんには逆らえないわけです。逆らってはいけないのです。おばちゃんが3人、横並びで道をふさいで歩いていたとしても、迷惑がってはいけないのです。そこは「家族であるみんなが使う道を、家族の一員であるおばちゃんが通っている」だけなので、それをどうこう言う権利は誰にもないのです。歩道を全速力でママチャリで駆け抜けていっても、迷惑がってはいけないのです。道を譲るのが家族の一員の正しいありかたです。
だんだん卑屈になってくる自分が、哀れに思えてくるのでこのへんで。
では次のお題にいきましょう。
わたくしが「おばちゃん」と並んで、この世の最強生物と思っている(おばちゃんと覇権を争ってるに違いない。われわれ男子の知らない世界で)、「女子高生」です。
ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)
2009年8月22日土曜日
30. 「三味線」
さて、たこぶとの往復エッセイです。
今回のお題は「三味線」。
最近の私はどっちかっていうと洋風の音楽に関わりが深い生活なのですが、子供の頃は、けっこう和風な習い事をたくさんしていました。10歳まで離れて暮らしていた母が、一緒に住み始めてからも商売で家にいないことが多く、夕方早くから夜中まで帰ってこなかったので、一人でいる寂しさをうめるためにも、外の世界との関わりを持つためにも、習い事をしなさいとすすめてくれました。今から考えると、そんな費用も捻出してくれていたんだなと感謝ですね。
小学校高学年の頃は、なぜか、お茶、お花、三味線・小唄を習っていたのです。これって、小学生にしたら珍しいですよね。お茶とお花は、二軒お隣の運送屋さんの奥さんが先生をしていて、運送屋さんの二階に教室がありました。すぐ近くということもあって、ここに数年通っていた覚えがあります。といっても、そんなに真剣な習い事って感じではなく、毎回出てくるお饅頭が楽しみで、お抹茶も大好きで、そのお茶の合間にお花も生ける・・・みたいな感じかなぁ。たぶん、週に一度通ってたと思います。
三味線と小唄は、母親と一緒に通ってた覚えがあるけど、これはあんまり長続きしなかったような。家に三味線もありましたねー。母は仕事に必要というか、習っておきたいと思っていたらしく、あんたも一緒に習ったらどう?と連れていってくれました。1年は続かなかったんじゃないかなー。その後小学校の終わりから中学にかけての二年ぐらいは日本舞踊も習っていたので、ほんと、この頃は和風に傾いてました。今から思うと、もっとちゃんと続けていれば、今ごろ、使い物になったのになーって。っていうか、英語を学び出して、海外に友人もできると、逆にこういう和風の趣味がちゃんとあるといいなってあこがれるのです。外国の友人に教えてあげたい、見せてあげたいって。これから先の人生で、いつかまた習う機会があるといいのになぁ。自分で習うとなると、他にやりたいことに優先して費用をかける・・・・というのが、なかなか難しいんですね、これが。どうしても必要なことではないし。でも、いつも、何か新しい習い事を・・・と思うたびに、日本舞踊はまたやってみたいなぁ・・と思うことの一つです。
こういう習い事がまったく役に立たなかったかというと、そうでもなくて、前にも書いたけど、今でも時々日本舞踊の会のアナウンスの仕事を頼まれるのは、アナウンスができて、その上で、ああいう日本の音楽や踊りを少しは知っているということが理由なのかもしれないと思います。わかってくれている人がやってほしい・・・と主催者側は思われるようで。少しかじっただけでも、まったく知らないよりマシですもんね。人生、どんな小さな経験でも、邪魔にはならない、後で役に立つこともあるってことですね。
さて、話は戻って三味線。
多分、今、目の前に出されても、全然弾けません(^oo^;) 自慢ぢゃないけどっ。
覚えてるのは、調子に、本調子、二上がり、三下がりっていう種類があったなぁ・・・とか。楽譜は、数字譜やったなぁ・・・とか。三本ある弦がそのまま三線紙になっていて、おさえる弦のところに数字が書いてある。でも、音符の長さは分からん。長さは、お師匠さんから口伝えで教わって、それを覚えるんですね。バチの使い方も難しかったなー。あと、口三味線の言い方。「チリ」というと、左手の弦を押さえる指で、「り」のときに弾くとか。「シャン」となると、複数の弦を一度に弾きおろす音やったかなーとか。そのカナによって、奏法が現れていたって記憶です。流派は、里園流だった気がする。お師匠さん、お元気かなぁ。あの頃もう「おばあちゃん」って感じやったけど(^oo^;)
お琴や三味線や篠笛や尺八・・・。自分が日本人であるわけだから、こういう和風の楽器を一つぐらいできるといいですよね。楽器を買わなくても習えるところがあったら、これもまた、いつかやってみたい楽器かなぁ。
この機会にと、Wikipediaで三味線を調べてみました。
三味線の皮は、ネコからできているとどこかで聞いたことがあったけど、私は、実は信じてませんでした。あるいは、「上等なのだけはそうかもしれんけど、お稽古用とか、普通の人が使うのは、何か人工のに違いない」と思い込んでました。でも、今、これを読むと、えーーー「一般に」ネコを使用していたのー? ネコの腹だって(;oo;)怖いよー(;oo;)(;oo;) でもって、最近は材料不足のおりから、犬の皮が使われているとか。もっと怖いかも・・・・。知らんかったー。今や、ネコを愛する私たち、ネコの家族がいる我が家なので、それを考えると、前言撤回、やっぱり三味線は習いたくないよーって思ってしまいました(;oo;)
楽器って、バイオリンの弓とかも馬の毛だったり、動物を使っていることが多いんですよね。それって、複雑だなー。でもまだ「毛」ならいい。だって死ななくても毛ならもらえそうな気がするから。ネコの腹の皮・・と聞いたら、ものすご怖いよーと思ってしまいます。
あー、ここからどこにも話が進められなくなってしまった(^oo^;)
ネコが出てきたところで、わが家のもう一つの心配ごと。
この春の終わり、我が家のネコ、ぶーこが天国にいったのですが、実は、残った二匹のうち、ガラくんも最近元気がないのです。夏バテかなぁとも思ってたけど、どうやら違うみたい。食べなくなり、水もあまり飲まなくなり、げっそりやせてきて、じゃれてこなくなり、寝ていることが多くなり、ゴロゴロしたり、ニャアニャアと可愛い泣き声もあげなくなり・・・・。獣医さんに相談して、部屋を涼しくしたり、新鮮な水をと色々してみたけど、あまり変わらない。この週末、先生のところに連れて行ってみてもらおうと思っています。ぶーこが逝ってしまってまだ日が浅いというのに、ガラも・・・というのはつらすぎるし、がんばってこの夏を乗り切って、また涼しくなったら元気になってくれないかなーというのが、私たちの願いです。
三味線からこんなところにいってしまったわ(^oo^;)
さて、次のお題のリクエスト、何にしようかなー。
そうそう、昨日ね、テレビ東京で10時からやってた番組、見た方おられます? 三林京子さんと元かしまし娘の庄司照江さんが主役で、実在する大阪のおばちゃんを演じてはりました。大阪市の財政のムダを徹底的に指摘するおばちゃんオンブズマンの話。これが、ものすご痛快でしてん。しかも、その再現ドラマ、脇役に至るまで全ての人が、カンペキな関西弁をしゃべってた。こういうパターンのドラマって、関西弁が不自然で、内容よりもそれが気になってしまうものなんだけど、昨日のは、ほんまその点でも気持ちよかった。主役の演じっぷりも見事で、シリーズ化して、二時間ドラマになれへんかなって思ったぐらい。あの家政婦シリーズみたいに。で、これは実際にあった話なので、ホンモノのその二人のおばちゃんも出演してはったけど、そのお二人のキャラがまた素晴らしい! 大阪のおばちゃん万歳!って思いました。再放送とかないかなぁ。
ってことで、次のお題ね、「おばちゃん」にします。
たこぶ、コレ書いて~(^oo^)
今回のお題は「三味線」。
最近の私はどっちかっていうと洋風の音楽に関わりが深い生活なのですが、子供の頃は、けっこう和風な習い事をたくさんしていました。10歳まで離れて暮らしていた母が、一緒に住み始めてからも商売で家にいないことが多く、夕方早くから夜中まで帰ってこなかったので、一人でいる寂しさをうめるためにも、外の世界との関わりを持つためにも、習い事をしなさいとすすめてくれました。今から考えると、そんな費用も捻出してくれていたんだなと感謝ですね。
小学校高学年の頃は、なぜか、お茶、お花、三味線・小唄を習っていたのです。これって、小学生にしたら珍しいですよね。お茶とお花は、二軒お隣の運送屋さんの奥さんが先生をしていて、運送屋さんの二階に教室がありました。すぐ近くということもあって、ここに数年通っていた覚えがあります。といっても、そんなに真剣な習い事って感じではなく、毎回出てくるお饅頭が楽しみで、お抹茶も大好きで、そのお茶の合間にお花も生ける・・・みたいな感じかなぁ。たぶん、週に一度通ってたと思います。
三味線と小唄は、母親と一緒に通ってた覚えがあるけど、これはあんまり長続きしなかったような。家に三味線もありましたねー。母は仕事に必要というか、習っておきたいと思っていたらしく、あんたも一緒に習ったらどう?と連れていってくれました。1年は続かなかったんじゃないかなー。その後小学校の終わりから中学にかけての二年ぐらいは日本舞踊も習っていたので、ほんと、この頃は和風に傾いてました。今から思うと、もっとちゃんと続けていれば、今ごろ、使い物になったのになーって。っていうか、英語を学び出して、海外に友人もできると、逆にこういう和風の趣味がちゃんとあるといいなってあこがれるのです。外国の友人に教えてあげたい、見せてあげたいって。これから先の人生で、いつかまた習う機会があるといいのになぁ。自分で習うとなると、他にやりたいことに優先して費用をかける・・・・というのが、なかなか難しいんですね、これが。どうしても必要なことではないし。でも、いつも、何か新しい習い事を・・・と思うたびに、日本舞踊はまたやってみたいなぁ・・と思うことの一つです。
こういう習い事がまったく役に立たなかったかというと、そうでもなくて、前にも書いたけど、今でも時々日本舞踊の会のアナウンスの仕事を頼まれるのは、アナウンスができて、その上で、ああいう日本の音楽や踊りを少しは知っているということが理由なのかもしれないと思います。わかってくれている人がやってほしい・・・と主催者側は思われるようで。少しかじっただけでも、まったく知らないよりマシですもんね。人生、どんな小さな経験でも、邪魔にはならない、後で役に立つこともあるってことですね。
さて、話は戻って三味線。
多分、今、目の前に出されても、全然弾けません(^oo^;) 自慢ぢゃないけどっ。
覚えてるのは、調子に、本調子、二上がり、三下がりっていう種類があったなぁ・・・とか。楽譜は、数字譜やったなぁ・・・とか。三本ある弦がそのまま三線紙になっていて、おさえる弦のところに数字が書いてある。でも、音符の長さは分からん。長さは、お師匠さんから口伝えで教わって、それを覚えるんですね。バチの使い方も難しかったなー。あと、口三味線の言い方。「チリ」というと、左手の弦を押さえる指で、「り」のときに弾くとか。「シャン」となると、複数の弦を一度に弾きおろす音やったかなーとか。そのカナによって、奏法が現れていたって記憶です。流派は、里園流だった気がする。お師匠さん、お元気かなぁ。あの頃もう「おばあちゃん」って感じやったけど(^oo^;)
お琴や三味線や篠笛や尺八・・・。自分が日本人であるわけだから、こういう和風の楽器を一つぐらいできるといいですよね。楽器を買わなくても習えるところがあったら、これもまた、いつかやってみたい楽器かなぁ。
この機会にと、Wikipediaで三味線を調べてみました。
三味線の皮は、ネコからできているとどこかで聞いたことがあったけど、私は、実は信じてませんでした。あるいは、「上等なのだけはそうかもしれんけど、お稽古用とか、普通の人が使うのは、何か人工のに違いない」と思い込んでました。でも、今、これを読むと、えーーー「一般に」ネコを使用していたのー? ネコの腹だって(;oo;)怖いよー(;oo;)(;oo;) でもって、最近は材料不足のおりから、犬の皮が使われているとか。もっと怖いかも・・・・。知らんかったー。今や、ネコを愛する私たち、ネコの家族がいる我が家なので、それを考えると、前言撤回、やっぱり三味線は習いたくないよーって思ってしまいました(;oo;)
楽器って、バイオリンの弓とかも馬の毛だったり、動物を使っていることが多いんですよね。それって、複雑だなー。でもまだ「毛」ならいい。だって死ななくても毛ならもらえそうな気がするから。ネコの腹の皮・・と聞いたら、ものすご怖いよーと思ってしまいます。
あー、ここからどこにも話が進められなくなってしまった(^oo^;)
ネコが出てきたところで、わが家のもう一つの心配ごと。
この春の終わり、我が家のネコ、ぶーこが天国にいったのですが、実は、残った二匹のうち、ガラくんも最近元気がないのです。夏バテかなぁとも思ってたけど、どうやら違うみたい。食べなくなり、水もあまり飲まなくなり、げっそりやせてきて、じゃれてこなくなり、寝ていることが多くなり、ゴロゴロしたり、ニャアニャアと可愛い泣き声もあげなくなり・・・・。獣医さんに相談して、部屋を涼しくしたり、新鮮な水をと色々してみたけど、あまり変わらない。この週末、先生のところに連れて行ってみてもらおうと思っています。ぶーこが逝ってしまってまだ日が浅いというのに、ガラも・・・というのはつらすぎるし、がんばってこの夏を乗り切って、また涼しくなったら元気になってくれないかなーというのが、私たちの願いです。
三味線からこんなところにいってしまったわ(^oo^;)
さて、次のお題のリクエスト、何にしようかなー。
そうそう、昨日ね、テレビ東京で10時からやってた番組、見た方おられます? 三林京子さんと元かしまし娘の庄司照江さんが主役で、実在する大阪のおばちゃんを演じてはりました。大阪市の財政のムダを徹底的に指摘するおばちゃんオンブズマンの話。これが、ものすご痛快でしてん。しかも、その再現ドラマ、脇役に至るまで全ての人が、カンペキな関西弁をしゃべってた。こういうパターンのドラマって、関西弁が不自然で、内容よりもそれが気になってしまうものなんだけど、昨日のは、ほんまその点でも気持ちよかった。主役の演じっぷりも見事で、シリーズ化して、二時間ドラマになれへんかなって思ったぐらい。あの家政婦シリーズみたいに。で、これは実際にあった話なので、ホンモノのその二人のおばちゃんも出演してはったけど、そのお二人のキャラがまた素晴らしい! 大阪のおばちゃん万歳!って思いました。再放送とかないかなぁ。
ってことで、次のお題ね、「おばちゃん」にします。
たこぶ、コレ書いて~(^oo^)
2009年8月15日土曜日
29.「あんこ」
大好物です、あんこ。あんこには「こしあん」と「つぶあん」があるけれど、どちらかというと「つぶあん」が好きです。人によってはあのつぶつぶが苦手という人もいるらしいですが、あのつぶにはあんこのエキスというか、あんこの元がぎっしりつまっているようなイメージがあって(そんなことはないのだろうけれど)、とても好きです。
大阪であんこというと「回転焼き」と「おはぎ」ですな。回転焼きというのは関西弁かなあ。関東地方では今川焼きともいうらしい。というのは子供のころ読んだマンガで知った。
近所の商店街には回転焼きやさんがあって、よくおやつというかお土産に(近所の商店街のお土産というのもおかしいけれど)買ってもらったなあ。同じ店では、夏場になるとアイスコーヒーも売っていて、店先でガラスのコップになみなみとつがれたのが出てきてその場で飲むんだけど、これが関西風に言うと「キンキンに」冷えていて、とてもおいしかった。
大阪には「御座候」という(大阪じゃないかも。本店は姫路らしい)回転焼きの老舗があって、時々買います。(今調べたら、「回転焼き」という言い方はしないのですね。商品名は「御座候」なのですと)
昔、商店街で買ったのと比べると、断然皮が薄いですね。商店街の回転焼きは皮(生地というのかなあ)がとても分厚かった。まあ、生地も含めて「回転焼き」ということなんでしょうけど。食べる方の目的は何といっても中のあんこなので、やはり皮は薄い方がよろしい。書きながら唾がわいてくるわい。
「泳げたい焼き君」という歌があったけど、たい焼きは子供のころは一般的ではなかったなあ。テレビドラマで見るくらいで。たい焼きの中身があんこだというのも、ずっとあとで知ったかなあ。
あんこのもう一つの代表、おはぎですが、これが彼岸の食べ物だという印象はあんまりないなあ。まあ子供のころは、年の行事にそもそもあんまり興味がなかったということもあるけど。
そういえば、子供のころは家であんこを作っていたなあ。小豆を炊いて。詳しい作り方は知らないけれど、鍋に一杯の小豆を炊いていた覚えがある。それで時々、火にかけているのを忘れて焦がしてしまったり。そんなこともあったような。少々焦げてもかまわずにそれであんこを作って。そしたら、やや苦みのあるあんこができたりしてね。
記憶違いかもしれないけれど、やや焦げのついたあんこを食べた覚えがある。家であんこを作るというのは一般的だったのだろうか。それが彼岸の習慣だったのだろうか。
あんこそのものじゃないけれど、今だったらアイスクリームの「あずきバー」。なぜだかアイスクリームの中で、一番冷たいような気がする。あずきの力なのか。あんこの力なのか。硬くて冷たくて、というのは昔からあずきバーが一番だった。ときどき歯が立たないくらいに硬くて冷たくて、唇がアイスにくっついてしまったりとか。そんな経験ありませんか。
あんこを使ったたべものはまだまだある。あんドーナツにあんパン。最近の僕の好みはあんドーナツだけど、子供のころはあんパンしかなかったかな。なんか子供のころの話ばっかりになるけれど。そういえば、と今思い出したけど、子供のころは粒あんのあんパンよりこしあんのあんパンを好んで食べてたなあ。子供のころはつぶつぶがイヤだったのだろうか。まあ子供やから、柔らかいものを好むとういうのは分かるが。分かるって、自分のことやねんけど。
考えてみると、あんこは西洋のものじゃないよなあ。それと西洋のパン(あるいはドーナツ)と一緒にして、しかもおいしかったというのは、誰のアイデアだったんでしょう。思いついた人はエライ。
今日はお盆で、近所のお寺では河内音頭が流れている。太鼓と三味線とエレキギター。変わった取り合わせだけれど違和感がありませんな。三味線とエレキというのは、寄席番組で見慣れているからかもね。
では次のお題。「三味線」にしましょう。どないでしょうか。
ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)
大阪であんこというと「回転焼き」と「おはぎ」ですな。回転焼きというのは関西弁かなあ。関東地方では今川焼きともいうらしい。というのは子供のころ読んだマンガで知った。
近所の商店街には回転焼きやさんがあって、よくおやつというかお土産に(近所の商店街のお土産というのもおかしいけれど)買ってもらったなあ。同じ店では、夏場になるとアイスコーヒーも売っていて、店先でガラスのコップになみなみとつがれたのが出てきてその場で飲むんだけど、これが関西風に言うと「キンキンに」冷えていて、とてもおいしかった。
大阪には「御座候」という(大阪じゃないかも。本店は姫路らしい)回転焼きの老舗があって、時々買います。(今調べたら、「回転焼き」という言い方はしないのですね。商品名は「御座候」なのですと)
昔、商店街で買ったのと比べると、断然皮が薄いですね。商店街の回転焼きは皮(生地というのかなあ)がとても分厚かった。まあ、生地も含めて「回転焼き」ということなんでしょうけど。食べる方の目的は何といっても中のあんこなので、やはり皮は薄い方がよろしい。書きながら唾がわいてくるわい。
「泳げたい焼き君」という歌があったけど、たい焼きは子供のころは一般的ではなかったなあ。テレビドラマで見るくらいで。たい焼きの中身があんこだというのも、ずっとあとで知ったかなあ。
あんこのもう一つの代表、おはぎですが、これが彼岸の食べ物だという印象はあんまりないなあ。まあ子供のころは、年の行事にそもそもあんまり興味がなかったということもあるけど。
そういえば、子供のころは家であんこを作っていたなあ。小豆を炊いて。詳しい作り方は知らないけれど、鍋に一杯の小豆を炊いていた覚えがある。それで時々、火にかけているのを忘れて焦がしてしまったり。そんなこともあったような。少々焦げてもかまわずにそれであんこを作って。そしたら、やや苦みのあるあんこができたりしてね。
記憶違いかもしれないけれど、やや焦げのついたあんこを食べた覚えがある。家であんこを作るというのは一般的だったのだろうか。それが彼岸の習慣だったのだろうか。
あんこそのものじゃないけれど、今だったらアイスクリームの「あずきバー」。なぜだかアイスクリームの中で、一番冷たいような気がする。あずきの力なのか。あんこの力なのか。硬くて冷たくて、というのは昔からあずきバーが一番だった。ときどき歯が立たないくらいに硬くて冷たくて、唇がアイスにくっついてしまったりとか。そんな経験ありませんか。
あんこを使ったたべものはまだまだある。あんドーナツにあんパン。最近の僕の好みはあんドーナツだけど、子供のころはあんパンしかなかったかな。なんか子供のころの話ばっかりになるけれど。そういえば、と今思い出したけど、子供のころは粒あんのあんパンよりこしあんのあんパンを好んで食べてたなあ。子供のころはつぶつぶがイヤだったのだろうか。まあ子供やから、柔らかいものを好むとういうのは分かるが。分かるって、自分のことやねんけど。
考えてみると、あんこは西洋のものじゃないよなあ。それと西洋のパン(あるいはドーナツ)と一緒にして、しかもおいしかったというのは、誰のアイデアだったんでしょう。思いついた人はエライ。
今日はお盆で、近所のお寺では河内音頭が流れている。太鼓と三味線とエレキギター。変わった取り合わせだけれど違和感がありませんな。三味線とエレキというのは、寄席番組で見慣れているからかもね。
では次のお題。「三味線」にしましょう。どないでしょうか。
ぶたこ、コレ書いて~(^◎^)
2009年8月11日火曜日
28. 「豆腐」
こっちもほったらかしになってました。たこぶとの往復エッセイです。
たこぶから投げられた今回のお題は「豆腐」。豆腐かぁ。
豆腐といえば、「味がない」、「だから嫌い」というのが、子供の頃の私でした。
子供の頃、こういう微妙な味がまったく理解できず、コンニャク、豆腐、水炊きが嫌いでした。はっきりとした味、鍋物なら、すき焼きが大好きでした(って、しょっちゅう食べられるわけでもなかったのですが、とにかく甘辛ければ、豚肉でも鶏肉でもスキヤキと思っていた)
今思い出しても気持ち悪いのですが、昔、水炊きが夕食のメニューのとき、みんなはポン酢をつけて食べているのに、私だけなんと生卵をつけて食べていたのです(^oo^;) スキヤキのつもりになって、おいしいと思い込もうとしていたらしいけど、水炊きってそれでなくても味がないのに、それと生卵なんて、余計気持ち悪いやんっ。何でそんなことを思ったんでしょうね、私(^oo^;) コンニャクも嫌いやったなぁ。味ないもんって。ガンモドキとか、ああいう系統だめでした。
いつから好きになったんやろう、豆腐。大人になってからって思うけど、何歳ごろからか覚えてない。でも、今は、私もたこぶも豆腐は大好き。もちろん上等のおいしい豆腐も好きだけど(京都で食べる湯豆腐なんて最高だー)、別に安もんでもいいんです。いわゆる、充填豆腐ってんですか? ああいうのでも気軽に買ってきます。スーパーに行って、その日に売り出しになってるのをあんまり細かいこと気にせずに買います。時々、なんとか次郎とかいう、上等の豆腐が売り出しになってたら、思い切って買ってきたりして、「おー、やっぱり上等の豆腐は味が違うなー(^oo^)(^◎^)」と、ものすご幸せを感じつついただきます。これも、普段安もんの豆腐を食ってるからこそ、上等の素晴らしさが分かるのだ、だから普段の庶民な生活は意味があるのだと、自分たちに言い聞かせている部分もあります(^oo^;)
豆腐って、便利ですよね。生でも食べられるし、炒めて麻婆豆腐にもなるし、味噌汁に入れてもいいし、グラタンにもできるし、チクワやニンジンと一緒に炒り豆腐にして副菜にもなります。
アメリカでも豆腐はもう普通にスーパーで売ってました。ハウスが幅きかせてたなぁ。日本食スーパーにいかなくても、ブルックリンでもマンハッタンでも、シータウンや、アソシエートとかいう、日本でいうところのサティとかヨーカ堂やサンディみたいなスーパーでばりばり売ってました。一緒に住んでいたリサも豆腐大好き。特にNYでは、ベジタリアンの人が多くて、そんな人たちには豆腐は肉代わりにたんぱく質がとれるということもあって、欠かせないものみたいです。野菜と一緒に炒めるという食べ方が、リサんちではポピュラーでした。っていうか他の食べ方、あんまりしてなかったかも。私がカレースープを作って豆腐入れたら、おいしいおいしいと言って食べてくれたなぁ、あー懐かしい(●^oo^●)
日本食でいうと、豆腐や寿司は、NYの人たちは、日本人以上に頻繁に食べてるんじゃないのってぐらいでした。彼らにしてみたら、本場は日本なんだから、日本人はもっともっと頻繁に寿司を食べているんだろうと思っているらしいけど、寿司なんて特別なとき以外は食べないし、大体家で作らないもんっていうと、驚く人も多かったです。食べないよね(^oo^;)寿司。運動会とかひな祭りのときに、お母さんがチラシ寿司を作るとか、イナリ寿司を作るとかはあるか。それから最近だと家族で手巻き寿司とかあるのかな。我が家はそういうのなかったです。二人暮らしだったし。っていうか、母と二人で暮らしていた10歳から大人になる頃までも、食事はほとんど別々だったから、要するにいつも一人で食べていたし。それで手巻き寿司ってのもおかしいもんな。たこぶと暮らしてからも、二人で手巻き寿司ってのはやったことないです。何回か、チラシ寿司をインスタントのん買ってきて、作ったことあるぐらい。イナリ寿司は、もしかして作ったことないかも。あー、ダメダメ主婦なのがばれてしまう(^oo^;)
そうそう、お寿司といえば、たこぶ家を思い出します。お正月に家族が全員集まるとき、それとかたこぶの実家での法事のとき、出てくるのが決まって出前のにぎり寿司なのです。だから、にぎり寿司といえば、たこぶのご両親の味がするって感じ。今の私には。そんな私の人生の後半になって加わった新しい思い出、習慣、歴史ってのもええもんです。お盆には帰れないけど、今月末にお父さんとお母さんところに会いに行く予定。元気にしてはるかな。久しぶりに会えるの楽しみだ。
あら・・・・またまた豆腐から寿司まで、すっかりふらふらと横道にそれてしまったわん(^oo^;)いつものことか。
さて、次のお題は何にしようかなー。豆腐ときて、私が寿司に寄り道して、日本の味といえば、他に何があるやろう。「あんこ」これにしよう。魚のあんこうちゃいまっせ。小豆のあんこ、これです。
んじゃ、たこぶ、コレ書いて~(^oo^)
たこぶから投げられた今回のお題は「豆腐」。豆腐かぁ。
豆腐といえば、「味がない」、「だから嫌い」というのが、子供の頃の私でした。
子供の頃、こういう微妙な味がまったく理解できず、コンニャク、豆腐、水炊きが嫌いでした。はっきりとした味、鍋物なら、すき焼きが大好きでした(って、しょっちゅう食べられるわけでもなかったのですが、とにかく甘辛ければ、豚肉でも鶏肉でもスキヤキと思っていた)
今思い出しても気持ち悪いのですが、昔、水炊きが夕食のメニューのとき、みんなはポン酢をつけて食べているのに、私だけなんと生卵をつけて食べていたのです(^oo^;) スキヤキのつもりになって、おいしいと思い込もうとしていたらしいけど、水炊きってそれでなくても味がないのに、それと生卵なんて、余計気持ち悪いやんっ。何でそんなことを思ったんでしょうね、私(^oo^;) コンニャクも嫌いやったなぁ。味ないもんって。ガンモドキとか、ああいう系統だめでした。
いつから好きになったんやろう、豆腐。大人になってからって思うけど、何歳ごろからか覚えてない。でも、今は、私もたこぶも豆腐は大好き。もちろん上等のおいしい豆腐も好きだけど(京都で食べる湯豆腐なんて最高だー)、別に安もんでもいいんです。いわゆる、充填豆腐ってんですか? ああいうのでも気軽に買ってきます。スーパーに行って、その日に売り出しになってるのをあんまり細かいこと気にせずに買います。時々、なんとか次郎とかいう、上等の豆腐が売り出しになってたら、思い切って買ってきたりして、「おー、やっぱり上等の豆腐は味が違うなー(^oo^)(^◎^)」と、ものすご幸せを感じつついただきます。これも、普段安もんの豆腐を食ってるからこそ、上等の素晴らしさが分かるのだ、だから普段の庶民な生活は意味があるのだと、自分たちに言い聞かせている部分もあります(^oo^;)
豆腐って、便利ですよね。生でも食べられるし、炒めて麻婆豆腐にもなるし、味噌汁に入れてもいいし、グラタンにもできるし、チクワやニンジンと一緒に炒り豆腐にして副菜にもなります。
アメリカでも豆腐はもう普通にスーパーで売ってました。ハウスが幅きかせてたなぁ。日本食スーパーにいかなくても、ブルックリンでもマンハッタンでも、シータウンや、アソシエートとかいう、日本でいうところのサティとかヨーカ堂やサンディみたいなスーパーでばりばり売ってました。一緒に住んでいたリサも豆腐大好き。特にNYでは、ベジタリアンの人が多くて、そんな人たちには豆腐は肉代わりにたんぱく質がとれるということもあって、欠かせないものみたいです。野菜と一緒に炒めるという食べ方が、リサんちではポピュラーでした。っていうか他の食べ方、あんまりしてなかったかも。私がカレースープを作って豆腐入れたら、おいしいおいしいと言って食べてくれたなぁ、あー懐かしい(●^oo^●)
日本食でいうと、豆腐や寿司は、NYの人たちは、日本人以上に頻繁に食べてるんじゃないのってぐらいでした。彼らにしてみたら、本場は日本なんだから、日本人はもっともっと頻繁に寿司を食べているんだろうと思っているらしいけど、寿司なんて特別なとき以外は食べないし、大体家で作らないもんっていうと、驚く人も多かったです。食べないよね(^oo^;)寿司。運動会とかひな祭りのときに、お母さんがチラシ寿司を作るとか、イナリ寿司を作るとかはあるか。それから最近だと家族で手巻き寿司とかあるのかな。我が家はそういうのなかったです。二人暮らしだったし。っていうか、母と二人で暮らしていた10歳から大人になる頃までも、食事はほとんど別々だったから、要するにいつも一人で食べていたし。それで手巻き寿司ってのもおかしいもんな。たこぶと暮らしてからも、二人で手巻き寿司ってのはやったことないです。何回か、チラシ寿司をインスタントのん買ってきて、作ったことあるぐらい。イナリ寿司は、もしかして作ったことないかも。あー、ダメダメ主婦なのがばれてしまう(^oo^;)
そうそう、お寿司といえば、たこぶ家を思い出します。お正月に家族が全員集まるとき、それとかたこぶの実家での法事のとき、出てくるのが決まって出前のにぎり寿司なのです。だから、にぎり寿司といえば、たこぶのご両親の味がするって感じ。今の私には。そんな私の人生の後半になって加わった新しい思い出、習慣、歴史ってのもええもんです。お盆には帰れないけど、今月末にお父さんとお母さんところに会いに行く予定。元気にしてはるかな。久しぶりに会えるの楽しみだ。
あら・・・・またまた豆腐から寿司まで、すっかりふらふらと横道にそれてしまったわん(^oo^;)いつものことか。
さて、次のお題は何にしようかなー。豆腐ときて、私が寿司に寄り道して、日本の味といえば、他に何があるやろう。「あんこ」これにしよう。魚のあんこうちゃいまっせ。小豆のあんこ、これです。
んじゃ、たこぶ、コレ書いて~(^oo^)
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